都城市営電気供給事業
是非お友達にも!
★暇つぶし何某★

[Wikipedia|▼Menu]

都城市営電気供給事業(みやこのじょうしえいでんききょうきゅうじぎょう)は、昭和戦前期に宮崎県都城市が経営していた電気供給事業である。1927年(昭和2年)に開業し、1943年(昭和18年)まで存在した。

都城市では都城電気株式会社(みやこのじょうでんき)という民間の電力会社が1910年(明治43年)に開業して電気の供給が始まる。同社が市外の会社に合併されるのを機に事業市営化の計画が進展し、市域の事業を引き継ぐことで市営事業が開業した。市営事業が存在したのは16年間で、太平洋戦争中の配電統制令に基き九州配電九州電力の前身)へ統合された。


目次

1 沿革

1.1 都城電気の沿革

1.2 市営事業の開始

1.3 市営事業の推移

1.4 配電統制と戦後の市営復元運動

1.5 年表


2 供給区域・発電所一覧

3 脚注

3.1 注釈

3.2 出典


4 参考文献

5 関連項目


沿革
都城電気の沿革

1907年(明治40年)8月、清武川の水力発電所を電源として、宮崎県最初の電気供給事業となる日向水力電気宮崎市に開業した[1]。同社の起業計画が動き出したのは1900年(明治33年)のことであるが[1]、これに続いて同じ宮崎県の都城市(当時は北諸県郡都城町)でも1904年(明治37年)に電気事業の起業計画が浮上した[2]

都城の電気事業計画は町内有志の手によるもので、電源として都城の西方、鹿児島県囎唹郡財部村(現・曽於市)の大淀川水系桐原川(溝ノ口川)での水力開発を企画して鹿児島県知事に水利権を申請した[2]。財部村民の反対運動や2度にわたる競願者の出現で認可が遅れるが[2]1908年(明治41年)11月に水利権を取得[3]。続いて競願者も発起人に加え都城電気の電気事業経営許可を逓信省へ申請し[2]1909年(明治42年)3月23日付でその許可も得た[3]。これらを受けて会社設立の準備が進められ、同年6月10日に都城電気株式会社の創立総会開催に至った[3]。発足時の資本金は15万円であった[3]

会社設立後、桐原川で溝ノ口発電所(出力200キロワット、現九州電力溝之口発電所[4])を着工[3]ドイツシーメンス製の機器を取り付けて発電所は翌1910年(明治43年)5月に竣工した[3]。逓信省の資料によると都城電気は同年7月1日付で開業し、年内までに都城町内と隣の五十市村での供給を始めた[5]。7月13日には小松原公園にて電灯1400灯・アーク灯2灯をともした盛大な開業祝賀会を開催している[3]。開業当初の電灯需要家は350戸余り、灯数は1340個以上で、開業以後も歩兵第64連隊兵営への供給開始など多忙で電灯取り付けは順番待ちとなる盛況であったという[3]。電灯のほか動力用電力の供給も行っており、精米業に多く利用されたほか、会社では商店や料理店へ扇風機を売り込んでいる[3]


是非お友達にも!
◇暇つぶし何某◇

[次ページ]
[記事の検索]
[おまかせリスト]
[ブックマーク登録]
[mixiチェック!]
[Twitterに投稿]
[オプション/リンク一覧]
[話題のニュース]
[列車運行情報]
[暇つぶしWikipedia]

Size:50 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:FIRTREE