造幣局_(日本)
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独立行政法人造幣局
造幣局本局(創設時の門、大阪府大阪市造幣局が製造している6種類の硬貨
正式名称独立行政法人造幣局
英語名称Japan Mint
略称造幣局
組織形態独立行政法人
本局所在地 日本
〒530-0043
大阪府大阪市北区天満一丁目1番79号
北緯34度41分48.6秒 東経135度31分16.3秒 / 北緯34.696833度 東経135.521194度 / 34.696833; 135.521194座標: 北緯34度41分48.6秒 東経135度31分16.3秒 / 北緯34.696833度 東経135.521194度 / 34.696833; 135.521194
法人番号6120005008509
予算255億円(2008年度)[1]
*業務収入 250億円
*その他収入 5億円
資本金612億5,578万4,676円(2015年3月31日現在)
負債232億585万102円(2015年3月31日現在)
人数役員6人・職員871人[2]
理事長百嶋計(2017年4月1日?2019年3月31日)
活動内容硬貨の製造、勲章の製造など
設立年月日2003年4月1日
前身財務省造幣局
所管財務省
関連組織日本銀行
国立印刷局
拠点大阪本局(造幣博物館
さいたま支局
広島支局
ウェブサイト ⇒http://www.mint.go.jp/
テンプレートを表示
OAPタワーから南望する造幣局本局 広島支局 さいたま支局

独立行政法人造幣局(ぞうへいきょく、英語:JAPAN MINT)は、硬貨製造勲章褒章及び金属工芸品等の製造、地金鉱物の分析及び試験、貴金属地金の精製貴金属製品の品位証明(ホールマーク)などの事業を行う日本の行政執行法人である独立行政法人である。そのため、職員の身分は国家公務員である。
目次

1 概要

2 沿革

3 拠点

4 硬貨製造量

5 桜並木一般公開

5.1 大阪本局

5.2 支局


6 交通アクセス

7 諸外国取引き

8 民間向け事業

8.1 試験検定事業

8.2 勲章

8.3 土産品


9 文化財

10 脚注

11 関連項目

12 外部リンク

概要

本局は大阪市北区天満に位置し、構内に造幣博物館がある。支局はさいたま市大宮区広島市佐伯区の2か所に位置する。

1871年の創設時以来、工場内および近隣周辺に貨幣鋳造時の余剰発生ガスでガス灯を灯しており、当初は日本初のガス灯による街灯で見物人が多数訪れている。1964年の東京オリンピック札幌オリンピック長野オリンピックの金・銀・銅の各メダル、名古屋城金鯱なども製作され、大阪造幣局とも俗称される。

なお、造幣局では紙幣は製造しない。紙幣を印刷するのは国立印刷局である。
沿革

明治新政府は1868年5月16日(慶応4年4月24日)に旧金座および銀座を接収し、6月11日(慶応4年4月21日)に貨幣司を設けて二分判および一分銀などの鋳造を引き継がせている。1869年3月17日(明治2年2月5日)に貨幣司が廃止されて太政官に造幣局が設置され、8月15日(明治2年7月8日)に造幣局は造幣寮へ改称されて大蔵省所属となる。

1868年(慶応4年)に参与会計事務官三岡八郎、外国事務局判事五代才助らが同年に廃止されたイギリス帝国香港造幣局の造幣機械を6万で購入する契約を結び、11月1日(明治元年9月17日)に英国建築技師トーマス・ウォートルスが雇用され局舎設計および機器購入などを担当している。1870年3月3日(明治3年2月2日)に旧香港造幣局長キンドルが造幣寮首長に任命[3][4]されている。

大阪本局は1871年1月17日(明治3年11月27日)に銀貨製造を開始し、4月4日(明治4年2月15日)に大蔵省造幣寮として創業式を挙行している。6月27日(明治4年5月10日)に新貨条例および造幣規則布告がされて近代的貨幣制度が開始される。

1875年(明治8年)1月31日限りでキンドルらお雇い外国人10人を解雇して寮務全般が改革され、試験分析局のディロンおよび冶金室のウィリアム・ゴーランドに造幣頭の顧問役を兼任させている。

1877年(明治10年)1月11日に造幣局へ改称される。

1879年(明治12年)9月16日に大蔵省内で東京出張所が開設され貨幣製造のための地金受け入れ業務を開始する。1889年大阪本局の土地の一部が宮内省(現宮内庁)の所管へ移され、その後三菱合資会社(現三菱マテリアル)へ払い下げられる。東京支局は1907年(明治40年)5月17日に廃止されるが、1929年昭和4年)7月1日に東京市麹町区内幸町へ東京出張所が再設され、1939年(昭和14年)11月20日に豊島区西巣鴨へ移転し、1943年(昭和18年)9月1日に造幣局東京支局へ改称され、1945年(昭和20年)4月13日に空襲で全焼し事業を停止している。同年6月7日に大阪本局も空襲で被災し工場の一部を焼失している。

1945年(昭和20年)2月1日に広島県佐伯郡五日市町へ造幣局広島支局が開設される。8月6日に広島市への原子爆弾投下により被災するが、1946年(昭和21年)1月15日に貨幣製造を再開し、同月に東京支局も貨幣製造を再開している。

1949年(昭和24年)6月1日に大蔵省の外局であり、長官を長とする造幣庁となる。

1952年(昭和27年)8月1日に大蔵省の附属機関である造幣局となり、国家行政組織法の改正により、1984年7月1日に位置づけが、大蔵省の特別の機関となる。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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