退位
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退位(たいい、英語: abdication)は、君主がその地位を手放すことである。対義語は即位。権力を手放すかどうかはケースバイケースである。
目次

1 概要

2 現代に退位した主な君主

3 日本

3.1 天皇


4 中国

5 イギリス

6 オランダ

7 スペイン

8 ベルギー

9 デンマーク

10 ノルウェー

11 スウェーデン

12 ルクセンブルク

13 クウェート

14 ヨルダン

15 カタール

16 ブータン

17 カンボジア

18 退位後の処遇

19 注釈

20 脚注

21 関連項目

概要

通常、革命憲法法律などによって君主制が廃止されない限りは、自動的に継承者に譲り渡すことになる。君主の地位の継承は2種類あり、君主の死によって継承される場合は「退位」と言わず、君主が生きているうちに地位権力を手放すことを「退位」という。また、君主自身の意思ではなく、革命や憲法などで他人が君主から地位権力を剥奪することは廃位(英:dethronement)という(ただし、この場合でも剥奪した側は退位を装うことがある)。

2016年7月13日の今上天皇の意向を示す主要各紙や放送各局の報道では、「生前退位」の表現が多く用いられた[1][2]。しかし「生前」という言葉はその人物の「死後」を前提として使用する為、存命の人物に対して、「生前」という言葉は非礼に当たり、本来使用しない。存命の人物に対しては通常「譲位」とするのが正しい[3]

中世ヨーロッパ世界において、君主が生前に退位する事例はいくつも見られた。ただしそれは主に、政争に敗れての強制的なものだった。イングランド王国を例にとると、エドワード2世1327年)、リチャード2世1399年)が挙げられる。革命で君主の座を追われる事例も近世以降には見られるようになった。同じくイングランドでは、名誉革命で亡命したジェームズ2世(1868年)が代表例である。また、君主自身のスキャンダルを理由とする退位も、近代以降には生じるようになった(バイエルン王国ルートヴィヒ1世イギリスエドワード8世など)[4]

君主自身の高齢化や健康状態を理由とする「譲位」は、古くは神聖ローマ皇帝兼スペイン王カール5世などの例も見られるが、常態的になったのはヨーロッパでも20世紀以降である。その嚆矢となったのは、1948年9月に退位したオランダのウィルヘルミナ女王で、68歳の時に王位を長女のユリアナに譲った[4]。女性君主から実子への譲位と見るならば、アラゴン女王ペトロニラカスティーリャ女王ベレンゲラなど、中世からしばしば見られるが、これらの場合は男王への譲位である。

退位について、憲法に規定のある国が多い。イギリス・スペインは特別法によって退位している。また、憲法・法律の規定を根拠としないで退位している国の例もある(カタールブータンベルギー[5]
現代に退位した主な君主

名位日付後継者
バオ・ダイ ベトナム帝王1945年8月25日君主制廃止
ペータル2世 ユーゴスラビア王1945年12月29日君主制廃止
ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世 イタリア王1946年5月9日ウンベルト2世
ヴァイナー サラワク王1946年7月1日君主制廃止
ミハイ1世 ルーマニア国王1947年12月30日君主制廃止
ウィルヘルミナ オランダ国王1948年9月4日ユリアナ
レオポルド3世 ベルギー国王1951年7月16日ボードゥアン
ファールーク1世 エジプト国王1952年7月26日フアード2世
タラール ヨルダン王1952年8月11日フセイン
アリ―(英語版) カタール首長1960年10月24日アフマド(英語版)
サウード サウジアラビア国王1964年11月2日ファイサル
シャルロット ルクセンブルク大公1964年11月12日ジャン
サイフディン3世(英語版) ブルネイ・スルタン1967年10月4日ハサナル・ボルキア
ユリアナ オランダ国王1980年4月30日ベアトリクス
レツィエ3世 レソト国王1995年1月25日モショエショエ2世
ジャン ルクセンブルク大公2000年10月7日アンリ


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