軽ボンネットバン
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また、ナンバープレートの車種を表す分類番号は、架装などで頭が「8」となった車両を除けば、軽トラック軽ワンボックスと同じく、頭が「4」となる番号[1]が付けられている。

1980年代までの軽貨物車は物品税が非課税(その後、軽ボンバンのみ5.5%に課税される)であったことから、節税目的のセカンドカーとして隆盛を極めた(当時の軽乗用車の物品税は15.5%)。また、軽自動車は貨物車であっても、当時の乗用車と同じ2年車検で、自動車保険も低廉であったため(小型貨物車、普通貨物車の貨物車は1年車検。ただし1983年に乗用車・軽乗用車の初回車検が3年に延長されたのに対して軽貨物車は2年のまま延長されなかった)、デメリットも小さかった。

1989年の消費税導入に伴う税制優遇の相対的縮小や、1990年代以降の「トールワゴンブーム」などによるデラックス化への移行で、軽自動車市場の主流からは外れたものの、軽自動車カテゴリーの一ジャンルとして定着し、2008年現在でも主立った軽自動車メーカーでの生産が続いている。


沿革

元々このスタイルの軽自動車は、軽四輪自動車の黎明期から多数存在しており、1955年スズキ・スズライト1959年のコンスタック、1963年のスバル・360カスタムなど、古くから事例は多い。

しかしこれらは市場からも「小型ライトバン」として「貨物自動車」の一種と捉えられており、乗用車として積極的に用いられる存在ではなかった。また軽トラックシャーシ派生のワンボックス型ライトバンに比して輸送力・積載量が劣る[2]ため、さほど存在の大きなカテゴリーでもなかった。

この傾向が一転したのは、日本におけるモータリゼーションが大幅に進行した1970年代に至ってからである。


47万円の「乗用車」アルトの出現「定価47万円」で一世を風靡した初代アルト(前期型:1979年5月-1982年10月)。簡易な2ストロークエンジンで、内装は鉄板むき出し部が多く、装備はヒーターのみでAMラジオすらオプションであった。ウインドウウォッシャーは手押しポンプ作動

1970年代、特に自動車普及の進行が著しかった地方・郊外では、メインとなる1台目の乗用車に加えて、主婦等が軽便な交通機関として利用する2台目の自動車(セカンドカー)の需要が生じていた。

軽自動車メーカーのスズキ(当時は鈴木自動車工業)は、調査の結果「日常で自動車を使用するシチュエーションにおける平均乗車人数は2人未満」と割り出した。そこで当時過剰なデラックス化傾向を辿っていた一般の軽乗用車とは正反対の商品コンセプトを打ち出し、その手段として軽商用車のカテゴリを利用することにした。

当時は前輪駆動方式が軽自動車に本格普及した時期で、ボディスタイルも実用性の高いハッチバック形に収れんしつつあった。このレイアウトであれば、ボンネット形の3ドア乗用モデルと商用モデルは、自動車としての基本骨格をたやすく共通化できた。バンタイプの自動車は商用車としての制約から後席の居住性が悪いが、運転席部分は乗用車同様のスペースを確保でき、2人までの乗車ならユーザーにとっては乗用車と何ら変わりがない居住性を得られた。しかも主たるユーザーの女性たちは、規格上の乗用車と商用車の区別には無頓着であることが、市場調査で判明していた。商用ボンネットバンの先代モデルに当たるフロンテハッチも堅調な売れ行きであり、このジャンルで新たな展開の可能性が見出されたのである。

これらの検討を元に、スズキが1979年にフロンテの商用モデルとして発売した「アルト」が、ジャンルとしてのいわゆる「軽ボンバン」の最初とされている。

アルトでは5ドアのフロンテと基本構造を共通化しながら3ドアボディを採用、助手席側キーホールやシガーライターなどの装備・装飾は省略して徹底簡素化し、エンジンも当初は簡易な2ストローク3気筒を使用した[3]。実用のみに徹したシンプルなコストダウン設計に加え、物品税非課税も手伝って「定価47万円」という当時では驚異的な低価格を提示できた[4]。「アルト47万円!」と謳った即物的なテレビコマーシャルは注目を集め、発売後1ヶ月足らずで1万8000台以上のオーダーを得て、当時のベストセラーとなった。


ジャンルとしての確立初代(L55)ミラ

火付け役となったアルトの成功に追随する形で、ダイハツ工業クオーレのバンモデルとしてミラクオーレを発売し、富士重工業三菱自動車工業も同様の車種を相次いで投入、市場は活況を呈した。

「節税車」軽ボンネットバンの大人気ぶりは税務当局の注意を引き、1981年10月からは4人乗り軽ライトバンにも5.5%の物品税が課税されるようになったが、それでも乗用軽の物品税課税率15.5%に比べればはるかに格安で、人気を大きく削ぐことはなかった。しかも、完全2人乗り仕様であれば5.5%課税の対象とならかったため[5]、メーカー側も廉価版として後部座席を省いた2座モデルの軽ボンネットバンを投入するしたたかさを見せた(三菱は運転者のみの単座モデルをも発売したほどであった)。

1985年には、1974年に軽乗用車カテゴリーから撤退して久しかった本田技研工業が市場の動きに刺激され、低車高のユニークな軽ボンネットバン、トゥデイを発売して、乗用タイプの軽自動車市場に復帰した[6]

これらの軽ボンネットバンは、主婦層を中心とした大衆ユーザーから広く支持され、1980年代における軽自動車の主流となった。ボンネットバンは、1980年代の軽自動車マーケットの活性化に著しく寄与したと言える。


ブームの沈静化

その後、商用モデルでありながらデラックスな内装、豪華な設備を備えたものや、ターボチャージャーを装備したスポーツ仕様車[7]が現れるなど、軽自動車市場は1970年前後の360cc時代を彷彿とさせる過剰装備・過剰性能へと逆行し、軽ボンネットバンの形態はいささかいびつな状況を呈した。

一般には、1989年の物品税廃止・消費税導入で、商用モデルの割安感が少なくなり、ボンバンブームは終焉を迎えたとされる。しかし実際には、物品税以外にも「5ナンバー」の軽乗用車に比べ任意保険はほぼ半額、軽自動車税自動車重量税も安く、今なお乗用モデルに対するメリットが存在している[8]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Smilegreen