親不知
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この項目では、日本海沿いにある地形について説明しています。その他の用法については「親知らず (曖昧さ回避)」をご覧ください。
国道8号は山肌にへばりつくように、北陸自動車道は海上高架橋で通過する。親不知の天険断崖

親不知(おやしらず)は、新潟県糸魚川市の西端に位置するが連なった地帯である。正式には親不知・子不知(おやしらず・こしらず)といい、日本海の海岸の断崖絶壁に沿って狭い砂浜があるだけで、古くから交通の難所として知られる[1]


目次

1 概要

2 名称の由来

3 ギャラリー

4 脚注

5 参考文献

6 関連項目


概要

飛騨山脈(北アルプス)の日本海側の端に当たる。親不知駅がある歌(うた)の集落を中心に、西の市振(いちぶり)地区までが親不知、東の勝山(かつやま)地区までが子不知(こしらず)と呼ばれており、併せて親不知子不知とも呼ばれる。市振から勝山までは約15 km程の距離である[2]。日本海に面する断崖は、飛騨山脈の北端が日本海によって侵食されたために生まれたもので、崖の高さは300?400 mほどある[2]

かつて、越後国越中国の間を往来する旅人は、この断崖の下にある海岸線に沿って進まねばならず、古くから北陸道(越路)最大の難所として知られてきた。波間を見計らって狭い砂浜を駆け抜け、大波が来ると洞窟などに逃げ込んだが、途中で波に飲まれる者も少なくなかったといわれる[2]

地形的に軍事的な要衝にもなっていた。承久3年(1221年)の承久の乱では、朝廷側が親不知西側の市振で防衛線を展開。越後側から進軍してきた北条朝時を迎え撃ったが、1日のうちに撃破されている[3]

江戸時代、参勤交代制度が始まると加賀藩主が親不知を往来した。参勤交代時には、富山県側の新川郡から400-500人の波除人夫が集められ、人垣により波濤を防いで通行した[4]

明治時代の1883年(明治16年)になって初めて、断崖を削って北陸街道(→国道8号)がつくられ[5]、その後1912年(明治45年/大正元年)に北陸本線(現:えちごトキめき鉄道日本海ひすいライン[6]が開通している。この2路線はいずれも防災対策からのちにルート変更が行われており、この区間には放棄された旧線・旧道が散見される。

1971年、国道8号天険トンネル東口付近から栂海新道登山道)が開通。標高ゼロメートルから北アルプスの縦走に挑める登山道の玄関口となった[7]

1988年(昭和63年)7月20日には北陸自動車道が開通した。北陸自動車道は用地の問題から親不知IC付近を海上高架橋により通過しており、難所におけるルート選定の苦労を偲ぶことができる[8]。一方で、道路から断崖絶壁と砂浜、岩礁、洞窟が織りなす海岸美を堪能することもでき、景勝地となっている[5]

なお、2015年(平成27年)に開通した北陸新幹線はこの区間の山側を青海トンネル・新親不知トンネルをはじめとするトンネルで通過している。
名称の由来

「親不知」の名称の由来は幾つの説がある。一説では、断崖と波が険しいため、親は子を、子は親を省みることができない程に険しい道であることから、この名が付いたとされている[2][9]。また、以下のような伝承もある。壇ノ浦の戦い後に助命された平頼盛越後国蒲原郡五百刈村(現在の新潟県長岡市)で落人として暮らしていた。都に住んでいた妻はこのことを聞きつけて、夫を慕って2歳になる子を連れて京都から越後国を目指した。しかし、途中でこの難所を越える際に、連れていた子供を波にさらわれてしまった。悲しみのあまり、妻はその時のことを歌に詠んだ。「親不知 子はこの浦の波枕 越路の磯の 泡と消え行く」以後、その子供がさらわれた浦を「親不知」と呼ぶようになったとする伝説もある[9][5][10]
ギャラリー

北陸本線旧線の親不知トンネル

北陸本線旧線の風波トンネル


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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