西部劇(せいぶげき)とは Western(ウェスタン)の訳語であり、主にアメリカの西部開拓時代(19世紀後半から20世紀にかけて)を舞台にした小説や映画であるが、特に断らない場合は映画(テレビ映画を含む)を指す。日本で言えば、時代劇に相当する。 サイレント映画の登場とともに、アクションを売り物に盛んに製作された。その後、トーキーが普及するとジョン・フォード監督の『駅馬車』など、傑作が次々と発表された。 実在した保安官(代表例として、ワイアット・アープがあげられる)やガンマンを題材にして、(白人の側から見た)アメリカの大自然と開拓魂を背景に詩情豊かに描かれる西部劇は多くの人々を魅了し、アメリカ人は西部開拓時代へのノスタルジーを掻き立てられた。 戦後はテレビ映画にも進出し、1960年代初頭まで隆盛を誇り、同時期に日本にも『ローハイド』『ララミー牧場』など多くの作品が輸入され、当時のテレビ番組の主力として高い人気を博していたが、1960年代に入ると、人権意識の高揚とともにインディアンや黒人の描き方が糾弾されるようになって制作が控えられるようになった。「ソルジャーブルー」はコロラド州で多数のシャイアン族が犠牲になった、サンドクリークの虐殺(1864年)を基に、インディアンの立場から描かれた数少ない作品の一つである。 現在においても西部劇は制作されているが、過去の傑作と肩を並べるような作品を世に送り出していない。黒人やインディアンの描写は、腫れ物にでも触るような扱いとなっている。その一方、時代考証や衣装設定、ガン・アクションは過去の作品とは比較できないほどの正確さで表現されており、娯楽性に富んだ作品(トゥームストーン等)に仕上がったものも多い。 西部劇は、インディアンのイメージを決定付けた。劇中に登場するインディアン達は、決まって馬にまたがって派手な羽飾りをつけ、手斧を振り回し、「アワワワワ」と鬨の声を挙げて襲ってくる。このうち、馬にまたがり、羽飾りをつけること以外は出鱈目なものである。彼らの衣装も、撮影所のデザイナーが考えたものであり、またそのほとんどが、非インディアンである白人たちが演じており、資料的価値は皆無である。平原の部族の風俗である羽飾りをつけ、片言の英語を喋るこのステレオタイプは、その後世界中の人々が「インディアン」と聞いて真っ先に頭に思い浮かぶイメージとなった。TVシリーズ『ローン・レンジャー』に出てくる、主人公の相棒であるインディアンの「トント」は、インディアンの間では「白人に諂うインディアン」の代名詞となっている。 こういったハリウッドにおけるステレオタイプな西部劇の息の根をほぼ止めた、とされるのは俳優のマーロン・ブランドである。彼は、インディアン権利団体「AIM(アメリカ・インディアン・ムーブメント)」に賛同し、同団体設立当初から助言と運動をともにしていたが、1973年に映画『ゴッド・ファーザー』でアカデミー賞を受賞した際、授賞式に「インディアン女性」を代理出席させ、ハリウッド西部劇において、いかにインディアンが理不尽な扱いを受けているかメッセージを代読させた。しかも、この「インディアン女性」は実は非インディアンのフィリピン系女性だった。つまり、これ自体が上記のようなデタラメな白人が演じるインディアンのパロディーであり、ハリウッドに対するブランド一流のからかいであった。ハリウッド映画界は蜂の巣をつついたような大騒ぎとなり、これに呼応して黒人団体も抗議の声を上げ、西部劇は本来あるべき政治的にデリケートなジャンルとなったのである。 ⇒ラッセル・ミーンズは、インディアン権利団体「アメリカ・インディアン運動( ⇒AIM)」の運動家、スポークスマンであり、映画俳優でもある。彼はハリウッド映画についてのインタビューに答え、こう述べている。 ハリウッドが映画の中でインディアンの人々に求める姿として、私たちは、2種類の姿でいさえすればよいのです。私たちは夏の間、革服で盛装します。あるいは、我々は『スキンズ
目次
1 アメリカ製西部劇
1.1 インディアンとハリウッド西部劇
2 マカロニ・ウェスタン(諸外国の西部劇)
3 ピースメーカー(SAA)
4 監督
5 俳優
6 テレビ西部劇(日本での放送)
7 脚注
8 関連事項
//
アメリカ製西部劇
インディアンとハリウッド西部劇
1940年代のある土曜日の午後に、私は弟のデイスと二人でカリフォルニアのバレーホにあるエスクァイア映画劇場へ映画を観に行ったことがあります。その映画にはカウボーイとインディアンが出てきて、満場の観客たちが大喝采する中、進軍ラッパが鳴り響き、騎兵隊が撃ちまくり、否も応もなしにインディアンがぶち殺されるんです。デイスは、とても見ていられない様子でした。 彼は、顔を手で覆っていました。あなたが8歳か9歳だった頃、私たちはそんなふうだったんです。あなたは多分、今度の映画(『ラスト・オブ・モヒカン』)はそれと違ってインディアンが勝つかもしれないなと思うでしょうね。まあそれからその後で、私たちは映画館を出るわけです。
それから、これはホントの話なんですが、私たち兄弟は、メキシコ人とかフィリピン人、中国人や黒人に対して、ちょうど白人と戦うのと同じようにして、背中合わせに戦わなければなりませんでした。こういう近所の子供たち全員が、私たちに言うわけです。「おいインディアン、思いっきりケツひっぱたいてやるぞ!」とね[2]。