菅義偉
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日本政治家菅 義偉すが よしひで

生年月日 (1948-12-06) 1948年12月6日(70歳)
出生地 日本 秋田県雄勝郡雄勝町(現:湯沢市
出身校法政大学法学部政治学科卒業
前職段ボール工場作業員
建電設備株式会社社員
衆議院議員小此木彦三郎秘書
横浜市会議員
現職衆議院議員
内閣官房長官
沖縄基地負担軽減担当大臣
拉致問題担当大臣
所属政党自由民主党小渕派古賀派→無派閥)
称号法学士(法政大学・1973年)
配偶者一般女性
公式サイト ⇒すが義偉
第81・82・83代 内閣官房長官
内閣第2次安倍内閣
第2次安倍改造内閣
第3次安倍内閣
第3次安倍第1次改造内閣
第3次安倍第2次改造内閣
第3次安倍第3次改造内閣
第4次安倍内閣
第4次安倍改造内閣
在任期間2012年12月26日 - 現職
第7代 総務大臣
内閣府特命担当大臣(地方分権改革)
内閣第1次安倍内閣
在任期間2006年9月26日 - 2007年8月27日
衆議院議員
選挙区神奈川2区
当選回数8回
在任期間1996年10月21日 - 現職
横浜市会議員
選挙区西区選挙区
当選回数2回
在任期間1987年 - 1995年
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菅 義偉(すが よしひで、1948年12月6日 - )は、日本政治家である。自由民主党所属の衆議院議員(8期)であり、内閣官房長官第81代第82代第83代)、沖縄基地負担軽減担当大臣、拉致問題担当大臣である。

横浜市会議員(2期)、総務副大臣第3次小泉改革内閣)、総務大臣第7代)、内閣府特命担当大臣地方分権改革)、郵政民営化担当大臣第3代)、自民党幹事長代行(第2代)などを歴任した。
目次

1 生い立ち

2 市議会議員

3 衆議院議員

3.1 経歴

3.2 総務副大臣

3.3 総務大臣

3.4 官房長官


4 政策

5 人物

5.1 評価

5.2 エピソード

5.3 交友関係

5.4 性格


6 政治資金

6.1 所有ビルの事務所費

6.2 総務大臣在任時の政治資金パーティー

6.3 白紙領収書への後日金額記入


7 所属団体・議員連盟

8 著書

9 論文

10 脚注

10.1 注釈

10.2 出典


11 外部リンク

生い立ち

秋田県雄勝郡秋ノ宮村(後の雄勝町、現:湯沢市秋ノ宮)中央部旧国道沿いに家があった農家に長男として生まれる[1]。家族は父、母、姉2人、弟1人。父・菅和三郎は、満鉄職員として当時満州国の首都だった通化市日本の降伏を迎えた。引き揚げ後、郷里秋ノ宮で農耕に従事。「秋の宮いちご」のブランド化に成功して、秋の宮いちご生産出荷組合組合長や、雄勝町議会議員、湯沢市いちご生産集出荷組合組合長などを歴任し、2010年に93歳で死去した。母や叔父、叔母は元教員であり、2人の姉も高校教諭となった[2][3][4][5][6]

雄勝町立秋ノ宮小学校(現:湯沢市立雄勝小学校)卒業後、雄勝町立秋ノ宮中学校(現:湯沢市立雄勝中学校)に進学する。中学卒業後は、自宅から最も近い秋田県立湯沢高等学校に2時間かけて通学し、第3学年では進学組に所属した。後に、フライデーから「特に目立った成績ではなく、姉が進学した北海道教育大学を受験したが不合格となった」と報道されたが、森功の取材では菅本人は当時教員にだけはなりたくないと考えており、北海道教育大の受験はしていないと述べている。父から農業大学校への進学を勧められたが断り、高校卒業後、集団就職で上京する。「東京へ行けば何かが変わる」と夢を持ち上京したが、秋田時代と変わらぬ日々を板橋区段ボール工場で過ごし、現実の厳しさを痛感する。上京から2年後、当時私立大学の中で一番学費が安かったという理由で法政大学法学部政治学科へ進学する[7][8]1973年、法政大学法学部を卒業し、建電設備株式会社(現:株式会社ケーネス)に入社した。
市議会議員

1975年、政治家を志して相談した法政大学就職課の伝で、OB会事務局長から法政大学出身の第57代衆議院議長中村梅吉秘書を紹介され、同じ派閥だった衆議院議員小此木彦三郎の秘書となる。以後11年にわたり秘書を務めた[9][要出典]。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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