荼毘
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火葬(かそう)とは、葬送の一手段として遺体焼却することである。また、遺体の焼却を伴う葬儀全体も指す。

火葬を行う施設や建築物を火葬場と呼ぶ。


目次

1 各国における火葬

1.1 日本における火葬

1.1.1 歴史

1.1.2 背景

1.1.3 手続

1.1.4 皇族の火葬(近世後期以降)

1.1.5 多死社会の到来


1.2 中国における火葬

1.3 韓国における火葬

1.4 欧米における火葬

1.5 ロシア連邦における火葬

1.6 ギリシャにおける火葬


2 諸宗教における火葬

2.1 キリスト教

2.2 ユダヤ教・イスラム教

2.3 ヒンドゥー教

2.4 儒教・仏教


3 火葬に伴う問題

3.1 火葬のにおい

3.2 遺灰に残留した貴金属


4 出典

5 参考文献

6 関連項目

7 外部リンク


各国における火葬
日本における火葬江戸時代の火葬、『日本の礼儀と習慣のスケッチ』より、1867年出版火葬後に骨を拾う様子。同書より

火葬は、日本では一般的な葬法である。
歴史

日本で始まった時期ははっきりしないが日本国内各地の縄文時代の遺跡からも火葬骨が出土する[1][2][3][4]

弥生時代以降の古墳の様式のひとつに「かまど塚」「横穴式木芯粘土室」などと呼ばれる様式のものがあり、その中には火葬が行なわれた痕跡があるものが認められる。それらは6世紀後半から出現しており、最古のものは九州で590年±75年の火葬が確認されている。平成26年(2014年)2月、長崎県大村市弥生時代後期(2世紀ごろ)の竹松遺跡において、長崎県教育委員会の発掘調査により火葬による埋葬と見られる人骨が発見されている。これが検証のうえ認められれば、火葬の歴史はもっと古くから存在することになる[5]

日本における火葬は仏教と共に伝わったという説が有力とされている[要出典]。これは釈迦が火葬されたことにちなむ。奈良元興寺の開祖、道昭が自らの意思でに模範を示したところに始まったと伝えられる。「700年文武天皇4年)遺教を奉じて粟原に火葬す。天下の火葬これよりして始まる。」と広辞苑岩波書店)にもある[6]。現代でも「火葬にする」の意味で用いられる言葉として「荼毘に付す」があるが、この荼毘(だび。荼?とも)は火葬を意味するインドの言葉(パーリ語: jh?peti「燃やす」)に由来し[7]、仏教用語である。

続日本紀』によると、前述のとおり日本で最初に火葬された人は、文武天皇4年(700年)に火葬された僧道昭である。また最初に火葬された天皇は、702年に死亡し(もがり)の儀礼の後、703年に火葬された持統天皇である。8世紀ごろには普及し、天皇に倣って上級の役人、公家、武士も火葬が広まった[8]

万葉集には隠口の 泊瀬の山の 山際に いさよふ雲は 妹にかもあらむ ??柿本人麻呂

短歌で詠まれ、最愛の人を送る、最後の別れの煙が「いさよふ雲」であり、それはとりもなおさず妹と認識できると歌われており、万葉人特有のゆかしさと優しさが感じられると日本での近代火葬炉開発の元祖、鳴海徳直は述べている[6]

日本では平安時代以降、皇族、貴族、僧侶、浄土宗門徒などに火葬が広まった後も、土葬が広く用いられていた。仏教徒も含めて、近世までの主流は火葬よりも死体を棺桶に収めて土中に埋める土葬であった。儒教の価値観では身体を傷つけるのは大きな罪であったほか、人体を骨と灰にまで焼き尽くす火葬では強い火力が必要なため燃料代がかかり、人口の急増で埋葬地の確保が難しくなる明治期に到るまでは、少なくとも一般庶民にとっては土葬の方が安上がりだったためとの説がある。比熱の高い(=温度が上がりにくい)水分や分子構造が巨大で複雑なタンパク質を多量に含んだ遺体という物質を焼骨に変えるまで燃やすには、生活必需品としても貴重だった薪を大量に用いる必要がある。また効率よく焼くための高度に専門的な技術が求められるため、火葬は費用がかかる葬儀様式であった[8]

明治時代に入ると、東京の市街地に近接する火葬場の臭気や煤煙が近隣住民の健康を害している事が問題になり警保寮(警視庁の前身)が司法省へ火葬場移転伺いを出した。この問題に際し明治政府は神道派が主張する「火葬場移転を検討するのは浮屠(仏教僧)が推進する火葬を認めたことになる。火葬は仏教葬法であり廃止すべき」との主張を採り、東京、京都、大阪各府に土葬用墓地は十分に確保可能か調査するよう命じ、土葬用墓地枯渇の虞は低いとの報告を受けた直後の明治6年(1873年)7月18日に火葬禁止令(太政官布告第253号)を布告したが、都市部では間もなく土葬用墓地が枯渇し始めて埋葬料が高騰したり埋葬受け入れが不可能となる墓地も出てきて混乱をきたした。仏教徒や大学者からは火葬再開を求める建白書が相次ぎ、政府内部からも火葬禁止令に反対する意見が出て明治8年(1875年)5月23日には禁止令を廃止している[9]。その後明治政府は火葬場問題から宗教的視点を排して公衆衛生的観点から火葬を扱うようになり、伝染病死体の火葬義務化、土葬用墓地の新設や拡張に厳しい規制を掛け、人口密集度の高い地域には土葬禁止区域を設定するなどの政策を取った。また、大正時代頃より地方自治体が火葬場設営に積極的になり、土葬より火葬の方が費用や人手が少なくて済むようになったこともあり、現代の日本では火葬が飛躍的に普及し、ほぼ100%の火葬率である。
背景高い煙突を持たない近代的な火葬場(1993年 宮本工業所製)

土葬習慣が根強い一部地区の住民、火葬を禁忌する宗教宗派の外国人、大規模な災害の後火葬場が使えないときを除いてほとんど全ての遺体は火葬される。その理由としては以下の点が挙げられる。

公衆衛生の観点から土葬よりも衛生的であり、伝染病等で死んだ場合はもちろんだが、通常の死亡原因による埋葬であっても、土中の微生物による腐敗では、埋葬地周辺域に長期に亘って腐敗菌が残存するため、衛生上広域な墓域を必要とする。

無宗教である人が多く、埋葬の方法にこだわりがない。現代の日本では、火葬がごく普遍的なものとなっており、世間体にも無難なものとして受け入れられる。

仏教では、仏陀の故事にちなんで火葬が尊ばれており、特に浄土真宗などでは火葬を強く推進してきたという経緯があった。

都市に人口が集中しており、その都市部では埋葬(土葬)が条例により禁止されているか、土葬を許可されている墓地を確保することが極めて困難であること。

墓はイエを単位として考える人が多い。そのため、先祖と同じ墓に入れるようにするため火葬する。

しかし日本においても火葬を忌む場合はある

神道家の一部には火葬を仏教徒の残虐な葬儀法として禁忌する思想がある。

琉球における洗骨葬のような地域的な文化への圧迫と受け止められる場合がある。ただし現在の沖縄ではほぼ火葬である。

世界的にみて、イスラームなど、火葬を禁忌とする戒律を有する文化が少なくない(先述#諸宗教における火葬)。近年では日本国内の日本人・外国人の中でムスリムの人口が増加しており、火葬が主流の日本国内で暮らす彼らは、山梨県甲州市北海道余市の2箇所しかない土葬が可能な施設にあたらなければならない[10]。なおムスリムは死後24時間以内に埋葬を終えなければならないとされている[11]が、日本国内では下記するように墓埋法の規定で、一部の例外に該当しないかぎり、埋葬ができない。ましてや土葬可能な施設が遠隔地にあることが殆どなので、埋葬までに死後数日、墓地を確保できていない場合は、それ以上をどうしても要してしまう状況にある。


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