自然(しぜん)には次のような意味がある。 古代ギリシアではピュシス
人為が加わっていない、あるがままの状態、現象、およびそれによる生成物
1の意味より、山、川、海など
1の意味より、人間を除く自然物および生物全般
1の意味より、ヒトも含めた[1]天地・宇宙の万物
意識(意図)しない行動
不思議だったり、不可解だと思われることがない事。
目次
1 語法
1.1 古代ギリシア:ピュシスとノモス
1.2 中世ヨーロッパ
1.3 近代ヨーロッパ
1.4 東アジア
1.5 自然(じねん)
2 意味
3 自然と管理
4 自然主義
5 脚注
6 関連項目
7 外部リンク
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語法
古代ギリシア:ピュシスとノモス
対立概念にノモス(法や社会制度)があり、ノモスはピュシスのような絶対的な存在ではなく、相対的な存在であり、人為的なものであるがゆえ、変更可能であると考えられた。F・ハイニマンは古代ギリシア人の思考方法の特徴のひとつにこのような対立的な思考(アンチテーゼ)があるし、このピュシス/ノモスの対立を根本的なものとした[2]。またこの対立はパルメニデスのドクサ(臆見)とアレーテイア(真理)の対立の変形としてエレア派が行ったともいわれる[3]。
古代ギリシア語におけるピュシスの意味は「生じる」「成長する」といった意味をもっていた[4]。またソフォクレスやエウリピデスの語法では「誕生」「素性」あるいは「天性」という意味がある[5]。エウリピデスの語法には「たとい奴隷の子であれ、ピュシスに関して勇敢で正しいものの方が、むなしい評判(ドクサスマ)だけのものより高貴な生まれのものだ」『縛られたメラニッペ』断片495,41[6]などがある。
このような古代ギリシアにおける自然/文化・社会との分割が、のちのローマやヨーロッパの思想史のなかでの議論の基盤のひとつとなった。
紀元前4世紀、アリストテレスは、自著『形而上学』において、神学と形而上学を「第一哲学」と位置づけ、自然哲学を「第二哲学」と呼んだ。というのは、自然哲学が、対象としている形相の説明も行っているからであるという[7]。ここにおけるphilosophia physiceフィロソフィア・ピュシスという表現が、古代ギリシャ語文献の中に「自然哲学」という表現が現れた最初のものであるという[8]。
「自然哲学」も参照 スコラ哲学の時代においては一般に、「神は二つの書物をお書きになった」、「神は、聖書という書物と、自然という書物をお書きになった」と考えられていた[9]。 聖書を読むことで神の意図を知ることができるとされていた。また、ちょうど時計というものをじっくり観察すればその時計を作った時計職人の意図を推し量ることも可能なことがあるように、「神がお書きになったもうひとつの書物である自然」を読むことも神の意図や目論見を知る上で大切だ、と考えられた[10]。 神はそれぞれの書物を異なった言語でお書きになったと、考えられており、神は人間が話す言葉で聖書を書き、数的な言葉で自然を書いた、と考えられた[11]。ガリレオ・ガリレイも次のように述べた。「神は数学の言葉で自然という書物を書いた」(『自然計量者』)[12] 英語で法則のことを「law」と言うが、これはlay(置く、整える)の過去分詞だ[13]、という[14]。神によって置かれたもの、整えられたこと、ということである。ドイツ語だとさらに分かりやすくて、「Gesetz」と言い、setzen(英語で言うところのset セット)されたもの、と表現する。つまり、神によってセットされたものが法則、と見なされているのである[15]。 リベラルアーツの7科は、3科と4科に区分されているが、3科は具体的には文法・修辞学・弁証法であり、上記の「二つの書物」のうち人間の言葉で書かれたほうの書物(聖書)をよりよく理解するためのものと位置づけられ、4科の算術・幾何・天文・音楽については、現代人が理解するには少しばかり解説が必要だが、当時は天文も音楽も数学的なものであったのであり、つまり、4科は数の言葉で書かれたほうの書物(自然)をよりよく理解するためのもの、という位置づけであった[16]。 ヨーロッパ諸語では、自然は本性(ほんせい)と同じ単語を用い「その存在に固有の性質」をあらわす(例えば、英語・フランス語の「nature」がそれである)。外国語文献の翻訳を読む際には「本性」の含みがないか常に留意すべきである。例えば「自然と人為
中世ヨーロッパ
近代ヨーロッパジャン=ジャック・ルソー
「自然に還れ」は、ジャン=ジャック・ルソーの思想の一部を端的に表した表現である。人間社会の人為的・作為的な因習から脱出し、より自然な状態へと還ることを称揚している。
東アジア竜化の滝(記事冒頭の用法2の意味での自然)