肥後国
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肥後国

■-肥後国
■-西海道
別称肥州(ひしゅう)[1]
所属西海道
相当領域熊本県
諸元
国力大国
距離遠国
数14郡99郷
国内主要施設
肥後国府1.(推定)熊本県熊本市南区
2.熊本県熊本市中央区
3.(推定)熊本県熊本市西区
肥後国分寺熊本県熊本市
肥後国分尼寺熊本県熊本市
一宮阿蘇神社(熊本県阿蘇市
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肥後国(ひごのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属する。
目次

1 沿革

1.1 近世以降の沿革


2 国内の施設

2.1 国府

2.2 国分寺・国分尼寺

2.3 神社

2.4 安国寺利生塔


3 地域

3.1 郡

3.2 江戸時代の藩


4 人物

4.1 国司

4.1.1 肥後守

4.1.2 肥後介


4.2 守護

4.2.1 鎌倉幕府

4.2.2 室町幕府


4.3 戦国時代

4.3.1 戦国大名

4.3.2 豊臣政権の大名


4.4 武家官位としての肥後守

4.4.1 江戸時代以前

4.4.2 江戸時代



5 肥後国の合戦

6 脚注

7 参考文献

8 関連項目

沿革

元来は肥前国と合わせて火国(肥国、ひのくに)であった。「肥後国」として初めて文献に現れるのは持統天皇10年(696年)頃であり、7世紀中に肥国を分割して肥前国と肥後国が成立したと推定される。
近世以降の沿革

旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での国内の支配は以下の通り(1,908村・851,099石7斗5升)。太字は当該郡内に藩庁が所在。幕府領長崎奉行が管轄。下記のほか天草郡に寺社領が所在。

飽田郡(177村・72,420石余) - 熊本藩

託麻郡(59村・32,141石余) - 熊本藩

上益城郡(201村・98,284石余) - 熊本藩

下益城郡(191村・95,568石余) - 熊本藩

宇土郡(64村・35,794石余) - 熊本藩

八代郡(96村・62,985石余) - 幕府領、熊本藩

葦北郡(204村・21,023石余) - 熊本藩

玉名郡(257村・125,441石余) - 熊本藩

山本郡(62村・26,654石余) - 熊本藩

菊池郡(81村・29,572石余) - 熊本藩

合志郡(104村・51,839石余) - 熊本藩

山鹿郡(67村・36,150石余) - 熊本藩

阿蘇郡(214村・72,800石余) - 熊本藩

球磨郡(40村・64,760石余) - 人吉藩

天草郡(91村・25,661石余) - 幕府領


慶応4年

4月25日1868年6月15日) - 幕府領が富岡県の管轄となる。

6月10日(1868年7月29日) - 富岡県の管轄区域が天草県の管轄となる。

8月29日(1868年10月14日) - 天草県の管轄区域が長崎府の管轄となる。


明治2年6月20日(1869年7月28日) - 長崎府の管轄区域が長崎県の管轄となる。

明治3年(1870年) - 長崎県の管轄区域のうち八代郡が熊本藩領となる。

明治4年

7月14日1871年8月29日) - 廃藩置県により、熊本県(第1次)、人吉県の管轄となる。

11月14日(1871年12月25日) - 第1次府県統合により、下益城郡・宇土郡・球磨郡・葦北郡・八代郡・天草郡が八代県の管轄となる。


明治6年(1873年1月15日 - 全域が白川県の管轄となる。

明治8年(1875年12月10日 - 熊本県(第2次)の管轄となる。

国内の施設全ての座標を示した地図 - OSM
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国府

国府所在地を記した文献は次の通り。

和名抄』(平安時代中期成立)では「益城郡[2]

拾芥抄』(鎌倉時代中期から南北朝時代成立)では「益城郡」「飽田郡」(両方に府と記載)[3]

節用集』(室町時代中期成立)では「飽田郡[4]

国府は託麻郡、益城郡、飽田郡と変遷したとされる[5]。それぞれ託麻国府は熊本市国府(位置)、益城国府は未詳(諸説)、熊本市二本木の二本木遺跡と推定されている[5]
国分寺・国分尼寺 国分寺七重塔心礎

肥後国分寺跡 (熊本市出水一丁目・神水本町、位置)

寺域は2町四方で、託麻国府に近接。法起寺伽藍配置と推定される。法燈を伝承する医王山国分寺の本堂が講堂西南隅に当たる。講堂の北側には僧坊と小房子、南側には塔・回廊と南大門が検出されており、塔心礎は原位置から東方30m程の熊野神社境内に現存する。塔の東側にあったと推定される金堂は未調査。出土したは北東約8kmの楳谷寺瓦窯跡(同市小山町)で焼かれたもので、その様式から平安時代末期まで存続していたことが分かる。文字瓦や墨書土器も出土した。



肥後国分尼寺跡(熊本市水前寺公園、位置)

水前寺公園南東にある陣山廃寺が国分尼寺跡と推定されている。


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