聖火ランナー
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2004年アテネ大会の聖火。

オリンピック聖火(オリンピックせいか、: Olympischer Fackellauf、: Olympic Flame、: Flamme olympique)は、国際オリンピック委員会の権限の元、ギリシャオリンピアでともされるのことであり、オリンピック象徴でもある。

オリンピック大会開催期間中、主競技場でともされ続ける。その起源は古代ギリシア時代に遡り、ギリシア神話に登場するプロメーテウスゼウスの元から火を盗んで人類に伝えたことを記念して、古代オリンピックの開催期間中にともされていた。聖火は、1928年アムステルダムオリンピックで再び導入されて以来、近代オリンピックの一部であり続けている。

なお、現在の聖火リレーは、1936年ドイツベルリンで開催されたベルリンオリンピックで導入された。


目次

1 採火と聖火リレー

2 歴史

2.1 夏季オリンピック

2.2 冬季オリンピック


3 歴代最終聖火ランナー

3.1 夏季オリンピック

3.2 冬季オリンピック


4 聖火台への点火

5 聖火台

5.1 1964年の東京オリンピックの聖火台


6 炬火

6.1 炬火台


7 トーチ

8 関連項目

9 脚註

10 外部リンク


採火と聖火リレーベルリンオリンピックの聖火リレー。

聖火はギリシャのオリンピア遺跡で太陽を利用して採火され、聖火ランナーによってオリンピック開催地まで届けられる。

伝統的に、オリンピックの開会式が行われる数ヶ月前に、古代オリンピックが行われていたペロポネソス半島のオリンピアにおけるヘーラーの神殿跡で採火されている。聖火トーチへは、太陽光線を一点に集中させる凹面鏡に、の女神ヘスティアーを祀る11人の(女優が演じる)巫女(処女であることが前提)がトーチをかざすことで火をつけている。また、この儀式の本番は非公開とされており、テレビ等で見られる採火の場面はマスコミ向けの“公開リハーサルである。なお男子禁制の儀式である。

その後、聖火は聖火リレーによってオリンピック開催都市まで運ばれる。聖火ランナーには、スポーツ選手や有名人だけでなく一般人も参加している。

開会式当日、聖火リレーは大会のメイン会場となる競技場に設置された聖火台に点火される。

かつては最終ランナーが階段などで聖火台へ向かって走りより、トーチから聖火台に火を移すことが一般的であったがアーチェリーの矢、スキージャンパー、競技場に設置された花火など近年は様々な趣向が凝らされるようになってきている。多くの場合、最終ランナーや点火の「仕掛け」は最後の瞬間まで秘密にされ、一般的に開催国の有名スポーツ選手が務める。聖火台に火をともすことは、大変栄誉なことと考えられている。この聖火の点灯を通して大会の開会とされ、そのオリンピックの開催期間中灯され続け、閉会式の最後に消灯される。

2014年大会までの過去の近代五輪の聖火リレーの燃料はすべて、プロパンガスともいわれる[1]
歴史

古代ギリシア人にとって、火はプロメーテウスが神々の元から盗んできたものだと考えられており、神聖なものだった。このため、火はオリンピアの多くの神殿に見られるのである。火はオリンピアにあるヘスティアーの祭壇で燃え続けた。オリンピック開催期間中は、ゼウスとゼウスの妻ヘーラーの神殿に火がともされ、ゼウスを称えた。近代オリンピックにおける聖火は、かつてヘーラーの神殿が建てられていた場所で採火されている。

近代オリンピックでは、1928年まで聖火は見られなかった。オランダの建築家のヤン・ヴィルスが1928年のアムステルダムオリンピックにあたって、オリンピックスタジアムの設計に塔を取り入れ火が燃え続けるというアイディアを盛り込んだ。これが評価され、ヴィルスは建築部門で金メダルを受賞している。1928年7月28日、アムステルダム電気局の職員が地元ではKLMの灰皿として知られているいわゆる"マラソンタワー"と呼ばれる塔に最初の聖火をともした。ベルリンオリンピックの聖火。
ジョセフ・ジンドリック・サクトーリ撮影。

この聖火というアイディアは熱い注目を浴び、オリンピックの象徴として取り入れられた。
夏季オリンピック

1936年のベルリンオリンピックでは、ドイツのスポーツ当局者でスポーツ科学者のカール・ディームが聖火リレーを発案した。ギリシャで採火した聖火をベルリンまで運ぶという発想は、ゲルマン民族こそがヨーロッパ文明の源流たるギリシャの後継者であるというヒトラーの思想に適った物でもあった。ギリシャのコンスタンティン・コンディリス(Konstantin Kondylis)を第一走者とし、3,000人以上のランナーが聖火をオリンピアからベルリンまで運んだ。ドイツの陸上選手だったフリッツ・シルゲン(Fritz Schilgen)が最終ランナーで、競技場で聖火をともした。聖火リレーもまた、オリンピックの一部となった。

1948年ロンドンオリンピックではイギリス海峡を渡るために初めて船が使われ、1952年ヘルシンキオリンピックでは初めて飛行機が使われた。1956年メルボルンオリンピックの際には、開催国であるオーストラリアの厳しい検疫の関係で馬術競技が隔離して開催され、馬術競技が開催されたストックホルムへは、馬に乗って聖火が運ばれた。

また回を経るごとに凝った演出が用いられ、1968年のメキシコシティオリンピックでは聖火が大西洋を渡る事になったが、その移動に船を利用し、その航路はコロンブスのアメリカ大陸行きルートをそのまま辿った。 注目すべき輸送手段として、1976年モントリオールオリンピックの時には、聖火を電子パルスに変換する試みがあった。このパルスをアテネから衛星を経由してカナダまで送り届け、レーザー光線で再点火が行われた。

他の輸送手段としては、ネイティブアメリカンカヌーラクダコンコルドも挙げられる。

2000年シドニーオリンピックではグレートバリアリーフの海中をダイバーによって移動され、史上初めての海中聖火リレーとなった。

2004年アテネオリンピックの時には、78日間にわたる初の世界規模の聖火リレーが行われた。聖火は、およそ11,300人の手によって78,000kmの距離を移動し、この中で初めてアフリカ中南米に渡り過去のオリンピック開催都市を巡り、2004年のオリンピック開催地であるアテネまで戻ってきた。

2008年北京オリンピックでは世界135都市を経由し、標高8848mで世界最高峰のエベレスト山頂を通過した。


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