羽生善治
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 羽生善治 竜王
2011年の第5回国際将棋フォーラムにて
名前羽生善治
生年月日 (1970-09-27) 1970年9月27日(47歳)
プロ入り年月日1985年12月18日(15歳)
棋士番号175
出身地埼玉県所沢市[web 1]
師匠二上達也
永世称号十九世名人(襲位は原則引退後)
永世竜王(就位は原則引退後)
永世王位(就位は原則引退後)
名誉王座(就位は引退後または還暦後)
永世棋王(就位は原則引退後)
永世王将(同上)
永世棋聖(同上)
名誉NHK杯選手権者
在位中タイトル竜王
段位九段
戦績
タイトル獲得合計99期(歴代1位)
一般棋戦優勝回数44回(歴代1位タイ)
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■Template

羽生 善治(はぶ よしはる、1970年9月27日 - )は、日本将棋棋士十九世名人永世竜王永世王位名誉王座永世棋王永世王将永世棋聖の称号資格保持者、及び名誉NHK杯選手権者の称号保持者[注 1]二上達也九段門下。棋士番号は175。埼玉県所沢市出身。
目次

1 概要

2 プロデビューまで

3 戦績

3.1 デビュー

3.2 七冠独占

3.3 七冠から一冠へ陥落、再び四冠

3.4 永世名人獲得成功と永世竜王獲得失敗

3.5 大山の記録を超えて

3.6 3度目の名人復位と4年ぶりの四冠復帰

3.7 13年ぶりの一冠後退と竜王挑戦、そして永世七冠


4 棋風・評価

5 パーソナルデータ

6 対局関連の逸話

6.1 重要な対局

6.2 所作・習性

6.3 諸対局内容


7 趣味

7.1 チェス


8 エピソード

9 昇段履歴

10 主な成績

10.1 タイトル・永世称号

10.2 一般棋戦優勝

10.2.1 非公式戦優勝


10.3 在籍クラス

10.4 将棋大賞

10.5 記録(歴代1位)


11 その他表彰

12 著書

13 関連書

14 ゲーム

15 出演

15.1 テレビ番組

15.2 CM


16 年表

17 脚注

17.1 注釈

17.2 出典

17.2.1 書籍

17.2.2 オンライン

17.2.3 その他



18 参考文献

19 関連項目

20 外部リンク

概要

1985年に中学生でプロ棋士となり、1989年、初タイトルとして竜王位を獲得。1996年2月14日将棋界で初の全7タイトル(竜王、名人、王位、王座、棋王、王将、棋聖)(当時のタイトル数は7[注 2])の独占を達成。

2017年12月5日第30期竜王戦で14年ぶりに竜王位を獲得し、通算7期の条件を満たして永世竜王の資格保持者となり、初の永世七冠(永世竜王、十九世名人、永世王位、名誉王座、永世棋王、永世王将、永世棋聖)を達成。さらに名誉NHK杯選手権者の称号を保持しており、合計8つの永世称号の保持も史上初[注 3]。タイトル戦ではないNHK杯は、一度奪取しても防衛戦はなく、また最初からトーナメントを勝ち進まなければならないこともあり、68回目の開催を数える2018年でも唯一の達成者である。

通算優勝回数151回、公式戦優勝回数143回、タイトル獲得99期、タイトル戦登場134回、同一タイトル戦25回連続登場(王座)、同一タイトル獲得通算24期(王座)は歴代単独1位、一般棋戦優勝回数44回は大山康晴と並んで歴代1位タイの記録である。また、非タイトル戦優勝回数52回、非公式戦優勝回数8回、最優秀棋士賞22回、獲得賞金・対局料ランキング首位22回も歴代1位である。詳細は主な成績を参照。

羽生とほぼ同じ年齢は森内俊之(十八世名人資格保持者)や佐藤康光(永世棋聖資格保持者)らトップクラスの実力者が集中しており、彼らは「羽生世代」と呼ばれる。
プロデビューまで

埼玉県所沢市で生まれ、幼稚園に入る頃から東京都八王子市に移り住んだ[book 1]

小学校1年生のとき、近所に住む同級生から将棋のの動かし方を教わった[book 1][注 4]。2年生(1978年)の夏、将棋に熱中している我が子の姿を見ていた母が将棋道場「八王子将棋クラブ」の「第1回夏休み小中学生将棋大会」に出場を申し込み、大会デビュー(1勝の後2連敗で失格)[book 1]。それがきっかけで、同年10月28日から毎週末に同道場に通うようになった[book 1]。家が新興住宅地にあったため周囲にまだあまり店がなく、週末に両親が車で八王子市街に出かけて買いだめをするたび、道場の席主に母があいさつして羽生を預けた[book 1]

道場のいちばん下は7級であったが、昇級の楽しみを与えるため席主が与えた段級は14級であった[book 1]。その後、棋力は急速に向上していき、翌年の小学3年生の時に初段、4年生の10月に四段、5年生の10月に五段となり[book 1]、いわゆるアマ強豪のレベルとなった。なお、家でも将棋を指し、それは両親と妹の計3名による「連合軍」と羽生1名が対戦して、連合軍が不利な展開になったときは将棋盤を180度回転して指し継ぐという家族内ルールであったが、羽生の上達が速かったため長続きしなかった[book 1]

1979年、3年生で4級のとき、日本橋東急デパートの「よい子日本一決定戦・小学生低学年の部」で準優勝(優勝は先崎学)をし、その翌年も関東各地のデパートの大会で準優勝や3位入賞をする[book 1]。将棋大会出場時は、母が我が子を見つけやすくするため、いつも広島東洋カープの赤い野球帽である赤ヘルを被らせていた(羽生自身は読売ジャイアンツファンであった)[book 2][book 1]


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