経典
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この項目では、仏教教典全般(仏典)について説明しています。

三蔵」の中の範疇については「経蔵」をご覧ください。

その他の「経典」の用法については「経典 (曖昧さ回避)」をご覧ください。

「スートラ」はこの項目へ転送されています。ドノヴァンのアルバムについては「スートラ?教典」をご覧ください。

経典(きょうてん、きょうでん、: s?tra, スートラ、: sutta, スッタ、経)とは、仏教において釈迦が説いた教えを記録した聖典のこと。


目次

1 語義

1.1 原義

1.2 仏教における「スートラ」

1.3 北伝仏教・漢字文化圏における「経」「経典」


2 概要

3 パーリ語経典

4 漢訳経典

4.1 大蔵経

4.2 中国

4.2.1 北宋版系

4.2.2 契丹版系

4.2.3 南宋版系


4.3 朝鮮半島

4.4 日本


5 チベット語訳経典

6 日本語訳

7 参考文献

8 注・出典

9 関連項目

10 外部リンク


語義
原義

スートラ」(: s?tra)の原義は「糸」のことで、元々はバラモン教において『ヴェーダ』のためにまとめられた散文綱要書を指して呼んでいたが、後にバラモン教・ヒンドゥー教の様々な文献や仏教の文献にも、この呼称が採用されていった[1]
仏教における「スートラ」

仏教においては、厳密には、元来「経」(: s?tra, スートラ、: sutta, スッタ)とは、「三蔵」(: Tipitaka, ティピタカ: Tripi?aka, トリピタカ)として構成される「仏典」の3分類の内の1つ、「経蔵」、「我は(釈迦から)こう聞いた」(如是我聞)で始まる「釈迦の口説」文献群の範疇を指す言葉だった。「三蔵」は以下の構成をもつ。「三蔵」も参照

律蔵: Vinaya pitaka(ヴィナヤ・ピタカ)) --- 僧伽(僧団)規則・道徳・生活様相などをまとめたもの

経蔵: Sutta pitaka(スッタ・ピタカ)、: S?tra pitaka(スートラ・ピタカ)) --- 釈迦の説いたとされる教えをまとめたもの

論蔵: Abhidhamma pitaka(アビダンマ・ピタカ)、: Abhidharm pitaka(アビダルマ・ピタカ)) --- 上記の注釈、解釈などを集めたもの

北伝仏教・漢字文化圏における「経」「経典」

後に大乗仏教経典群が数多く作製されて追加されていき、「三蔵」構造が崩れてしまったことや、漢字で「経」と訳され、「スートラ」「三蔵」との対応関係が意識されづらくなってしまったことから、北伝仏教・漢字文化圏においては、「仏典」全体を漠然と「経」「経典」と表現するようにもなっていった。

そのため北伝仏教・漢字文化圏では、「三蔵」に代わる「仏典」全般の総称として、「大蔵経」(だいぞうきょう)・「一切経」(いっさいきょう)という呼称・概念が、新たに形成・普及された。

このように、北伝仏教・漢字文化圏における「経」「経典」という語には、

狭義の「経」「経典」 - 「スートラ」。三蔵の一。釈迦の直接の教説。

広義の「経」「経典」 - 「仏典」全般。「大蔵経」「一切経」。

という2つの意味が混在しており、文脈によってどちらの意味で用いられているか注意する必要がある。
概要

大きく原始仏典と大乗仏典にわかれる。

原始仏典にはパーリ五部および漢訳の阿含経典群があり、その一部は釈尊の言葉を比較的忠実に伝えているといわれる。

大乗仏教の代表的な経典としては、『般若経』、『維摩経』、『涅槃経』、『華厳経』、『法華三部経』、『浄土三部経』、『金剛頂経』などが挙げられる。大乗仏典は西暦紀元前後以降、大乗仏教教団によってサンスクリット語で編纂された。歴史上の釈尊の説ではないとする大乗非仏説もあるが、そのため抽象化された非人間的存在としてのブッダの説すなわち仏説であるとしている。般若経典群、『法華経』、『華厳経』その他がこれに含まれる。

言語的には、パーリ語・サンスクリット語などのインドのものを初めとして、漢語チベット語モンゴル語満州語のものがあり、西夏語のものも一部現存する。漢語やパーリ語から日本語に訳したものもこれに準じる。

また、経・律・論および、その注釈書などは、大蔵経もしくは一切経と呼ばれる叢書にまとめられた。この作業は、中国では皇帝名で行われることが多く、編入される書物の基準が厳格で、入蔵録と呼ばれる収録対象とすべき経典のリスト(経録)とセットにされ、基準外のものは蔵外(ぞうがい)と称された。昭和9年(1934年)に、日本で編纂された大正新脩大蔵経は、より広範囲に中国・日本撰述の典籍も含めている。
パーリ語経典詳細は「パーリ語経典」を参照

経(スッタ、sutta)は釈迦や、弟子たちの言行録を集めたもの。釈迦の入滅後、教えを正しく伝えるために、弟子たちは経典編集の集会(結集)を開き、経典整理を開始した。ところが、仏滅後100-200年ころには教団は多くの部派に分裂し、それぞれの部派が各自の三蔵を伝持するようになった。それらはインドの各地の言語によっていたと思われる。完全な形で現存するのは、スリランカに伝えられた上座部系のパーリ語経典のみで、現在、スリランカ、タイ、ミャンマーなど東南アジアの仏教国で広く用いられている。その内容は次の通りである。
律蔵:経分別(戒律の本文解説)、?度(けんど、教団の制度規定)、付録。

経蔵:長部、中部、相応部、増支部、小部の5部。前4部は漢訳『阿含経』に相当する。

論蔵:法集論、分別論、界論、人施設論、論事、双論、発趣論の7部。

これらは紀元前2世紀-紀元前1世紀ころまでに徐々に形成されたもので、紀元前1世紀ころにスリランカに伝えられたといわれ、以後、多くの蔵外の注釈書、綱要書、史書等が作られた。1881年ロンドンにパーリ聖典協会 (P?li Text Society) が設立されて原典の校訂出版等がなされ、日本では若干の蔵外文献も含めて『南伝大蔵経』65巻(1935年-1941年)に完訳されている。

注意が必要なのは、パーリ語経典が必ずしも古い形を残しているとは限らない点である。漢訳の『阿含経』には上座部に伝わったより古い形態のものがあったり、あきらかにサンスクリット語からの漢訳と考えられるものがある。その意味で、パーリ語経典が原初の形態を伝えていると考えることは、間違いではないが正確な表現ではない。
漢訳経典

中国における経典の漢訳事業は2世紀後半から始まり、11世紀末までほぼ間断なく継続された。漢訳事業の進行に伴い、訳経の収集や分類、経典の真偽の判別が必要となり、4世紀末には釈道安によって最初の経録である『綜理衆経目録』(亡佚)が、6世紀初めには僧祐によって『出三蔵記集』が作成された。これらの衆経ないし三蔵を、北朝北魏で「一切経」と呼び、南朝で「大蔵経」と呼んだといい、初に及んで両者の名称が確立し、写経の書式も1行17字前後と定着した。

隋・唐時代にも道宣の『大唐内典録』等の多くの経録が編纂されたが、後代に影響を与えたのは730年(開元18)に完成した智昇撰『開元釈教録』20巻である。ここでは、南北朝以来の経典分類法を踏襲して大乗の三蔵と小乗の三蔵および聖賢集伝とに三大別し、そのうち大乗経典を『般若』、『宝積』、『大集』、『華厳』、『涅槃』の五大部としたうえで、当時実在しており、大蔵経に編入すべき仏典の総数を1076部5048巻と決定した。


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