紙芝居
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東京・浅草にて、紙芝居『黄金バット』を上演する男性。

紙芝居(かみしばい)は、絵を見せながら演じ手が語って進める芝居的パフォーマンスのことで、主に子供たちを対象にした簡易な芸能である。

明治時代以降存在した「立絵」の紙芝居と、世界恐慌時代に立絵が廃れた後で誕生した「平絵」の紙芝居とに大きく分けられるが、今日では単に「紙芝居」と言う場合平絵の紙芝居を指す。この項目では主として、世界恐慌時代に誕生した「平絵」の紙芝居について解説する。


目次

1 概要

2 紙芝居の系譜

2.1 源流

2.2 「立絵」の紙芝居

2.3 「平絵」の紙芝居

2.3.1 街頭紙芝居

2.3.2 教育紙芝居(印刷紙芝居)

2.3.3 国策・軍国紙芝居


2.4 戦後

2.4.1 GHQと"Kamisibai"

2.4.2 街頭紙芝居

2.4.3 印刷紙芝居

2.4.4 手づくり紙芝居

2.4.5 手作り平和紙芝居

2.4.6 新しいメディア



3 紙芝居の作り方

4 紙芝居に関わる人々・団体

5 脚注

6 参考文献

7 関連文献

8 関連項目

9 外部リンク


概要

紙芝居の始まりは、三遊亭圓朝の万年前座で新さん[1]という人がうちわを人形にして見せたミニ人形芝居だという。新さんは元々関西の人で、とある事情で東京に流れ圓朝門下となった。だが、新さんの人形芝居は寄席では前の方でしか見えず、全然受けなかったという。やむなく新さんは噺家をやめ、圓朝にアドバイスを受けた棒付き人形を作り売り、生計を立てる。

明治末に丸山善太郎という香具師が新さんの立絵をすべて買い取り、タカマチに畳二畳程の掛け小屋(ヒラキ_(芸能)様と思われる)に子供を入れ、見料1銭で立絵による人形芝居を見せて評判になる。はじめは歌舞伎を題に採ったネタを上演したが、次第に通俗化、「西遊記」や怪物ものが人気を呼ぶ。丸山の立絵芝居は小回りが利くので、タカマチだけでなく、次第に路上でも演じるようになった。 関東大震災のあと、喰うに困った人達が丸山の子分になり、立絵師になるものも何人かいた。タカマチは毎日あるわけでないため、仕事が限られる。彼らは丸山に盃を返し独立、 タカマチでなく路上で日常的に立絵芝居を行うこととし、駄菓子を仕入れ、入場料代わりに販売した。これが、紙芝居が駄菓子を売って見せるというシステムになる。香具師の子分でなくても営業ができるので、真似て路上の立絵芝居が乱立した。これが警察の取り締まりを受ける。菓子屋組合が失業者達が勝手に菓子を売り歩いて困っている、教育に良くないと訴えたためである。

そこで鈴木という青年(のちの加太こうじ)が「絵本の説明なら教育的云々の指摘は当たらない」として立絵でなく平絵による紙芝居を警察に届け出、営業する。加太の2作目が『黄金バット』である。これまでの紙芝居は西遊記など一部を除けば、概ね単調で歌舞伎物など、子供に特化したものではなかった。ところが『黄金バット』は映画的で、SF的な内容で子供心をつかんだ。

このように紙芝居は子供に大人気となり、1932年(昭和7)頃から子供の娯楽の頂点に達する。1937年(昭和12)には紙芝居の絵を製造・貸し出しする会社まで現れ、一組の紙芝居が北海道から九州まで全国を流通する事となる。入る者には左翼崩れとか、知識人が多く、斬新な物語も多く作られた。 しかし太平洋戦争で街から子供が消え、紙芝居は一気に廃れる。だが、戦争が終わり、街に子供が戻ってくると、再び紙芝居が街のあちこちで上演される。多くの復員兵が戻り、手軽な食い扶持として、政府が失業者対策に紙芝居を奨励したという。最盛期の昭和20年代、紙芝居業は全国で約5万人もいたという[2]

平絵の紙芝居は、世界恐慌時代(1930年代)の日本で誕生した。日本独自の存在で、バリ島ワヤン・クリなど影絵芝居や紙人形芝居を除けば他国に例を見ないものであった。絵話、絵芝居、平絵と呼ばれることもある。

台本に沿って描かれた数枚から十数枚の絵をその筋書きに沿ってそろえて重ね合わせ、演じ手は、1枚目から順に観客に見せながら、筋書きとセリフを語っていく。見せ終わった絵は、横に引き抜いて裏に回し、物語を展開させていく。

紙芝居では、演じ手(一人)と観客(複数)とが向き合い、実演を通して直接交流することにより盛り上がる。演じ手は観客の反応を見ながら、絵の引き抜き方、声色、台詞回しなど演じ方を自在に変える事もできる。この双方向性と一体感は、テレビなどの一方通行のメディアでは得られぬ紙芝居の特質である。

よって、紙芝居においては素材の「絵」だけでなく、実演する「演じ手」も重要な要素であり、演じ手の質が紙芝居の効果をはっきり左右することになる。
他のパフォーマンスとの相違

紙芝居は「絵」と演じ手の「語り」が主体である。これに対して

普通の芝居演劇)は複数の「人=役者」が主体。

人形芝居(人形劇)は「人形」と演じ手の「語り」が主体。

絵本の読み聞かせでは、「絵」が主体で「語り」は「従」。

現在の日本で隆盛を誇るマンガは、紙芝居の「語り」や動きを「絵」に書き込んだものと見ることもできる。アニメは絵とセリフが主体であり紙芝居にかなり近いが、観客は「受身」に終始する。
紙芝居の系譜

現在見る形式の紙芝居のうち、「街頭紙芝居」は、戦前と戦後に1回ずつのブームに沸いた後、内容が教育的でないなどの批判に遭って自主規制したため自由奔放な発想を失ったこともあり、お株をテレビに奪われて急速に衰退していった。

現在では、街頭紙芝居はほとんど廃れ、代わって一般市民が「手づくり紙芝居」を楽しんでいる。
源流

古来より、日本には「絵解き」と言って、絵を見せながら物語を語って聞かせる伝統があった。『源氏物語』にも、女房が姫君たちに絵巻を見せながら物語る場面が出てくる。寺では僧侶が曼荼羅や寺の縁起を「絵解き」で参拝者たちに語って聞かせた。

時代が下り、江戸時代から明治・大正にかけて、小さな穴から箱の中の絵を覗くのぞきからくり縁日の見世物小屋で楽しまれた。絵だけではすぐあきられるので、これに語り(のぞきからくり節)をつけたものが人気を博した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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