第26回衆議院議員総選挙
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第26回衆議院議員総選挙

1952年 ←
1953年4月19日
→ 1955年


内閣第4次吉田内閣
解散日1953年3月14日
改選数466議席
選挙制度中選挙区制

選挙後の党派別勢力図


 第1党第2党第3党
 
党首吉田茂重光葵鈴木茂三郎
政党自由党改進党社会党左派

 第4党第5党第6党
 
党首河上丈太郎黒田寿男徳田球一
政党社会党右派労働者農民党日本共産党

選挙前内閣総理大臣

吉田茂
自由党選挙後内閣総理大臣

吉田茂
自由党

選挙結果を報じる新聞、世界通信

第26回衆議院議員総選挙(だい26かいしゅうぎいんぎいんそうせんきょ)は、1953年昭和28年)4月19日に投票された衆議院議員総選挙である。この解散は、吉田茂首相が予算委員会において、「ばかやろう」とつぶやいたことを発端として、内閣不信任案可決に繋がったことによるものであることから、「バカヤロー解散」という俗称で知られている。
目次

1 概説

2 選挙データ

2.1 内閣

2.2 解散日

2.2.1 解散名


2.3 投票日

2.4 改選数

2.5 選挙制度


3 選挙結果

3.1 投票率

3.2 党派別獲得議席


4 各党役員

5 議員

5.1 この選挙で当選

5.1.1 この選挙で初当選

5.1.1.1 自由党

5.1.1.2 改進党

5.1.1.3 日本社会党(右派)

5.1.1.4 日本社会党(左派)

5.1.1.5 自由党(鳩山)

5.1.1.6 労働者農民党

5.1.1.7 無所属


5.1.2 この選挙で返り咲き

5.1.2.1 自由党

5.1.2.2 改進党

5.1.2.3 日本社会党(右派)

5.1.2.4 日本社会党(左派)

5.1.2.5 自由党(鳩山)

5.1.2.6 労働者農民党

5.1.2.7 日本共産党

5.1.2.8 無所属


5.1.3 この選挙で引退・不出馬

5.1.3.1 自由党

5.1.3.2 改進党

5.1.3.3 日本社会党(右派)


5.1.4 この選挙で落選

5.1.4.1 自由党

5.1.4.2 改進党

5.1.4.3 日本社会党(右派)

5.1.4.4 日本社会党(左派)

5.1.4.5 自由党(鳩山)

5.1.4.6 労働者農民党

5.1.4.7 無所属




6 参考文献

7 関連項目

8 外部リンク

概説

1953年1月に再開された第15国会では、吉田内閣は、野党攻勢と自由党内部の鳩山一郎派(自由党党内民主化同盟、通称、鳩山民同)の反抗にさらされた。おりしも2月28日衆議院予算委員会で吉田茂首相は、右派社会党西村栄一衆議院議員の質問に対して答弁中、「バカヤロー」と暴言を吐いた。この失言は、野党及び鳩山民同にとって絶好の好餌となり、右派社会党は吉田首相に対する前代未聞の懲罰動議を提出した。3月2日懲罰動議は上程され、自由党から鳩山民同27名、広川弘禅農林大臣派30名が欠席し、賛成191票、反対162票で懲罰動議は可決された。

しかし吉田は、政権最大の危機に対して、日本国憲法第68条に基づき、広川農相を罷免した。これにより吉田は最大限の首相権限を振るい政権維持を目論んだが、広川派の鳩山派合流により、吉田陣営と野党など反吉田陣営の対立の先鋭化、そして、多数派がいずれかが不明瞭になり、各委員会の審議はストップし、昭和28年度予算案を筆頭に130件余りの法案が審議停止状態に陥った。

3月13日野党は吉田内閣不信任案を提出し、翌3月14日不信任案は衆議院本会議に上程された。同日、鳩山、三木武吉河野一郎石橋湛山ら鳩山派22名は自由党を脱党(鳩山自由党、または分派自由党)し、不信任に賛成投票をした。投票結果は賛成229票、反対218票で11票差で内閣不信任案は可決された。


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