相模国
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相模国

■-相模国
■-東海道
別称相州(そうしゅう)
所属東海道
相当領域神奈川県の大部分(北東部を除く)
諸元
国力上国
距離遠国
数8郡57郷
国内主要施設
相模国府1.(推定)神奈川県海老名市または小田原市
2.(推定)神奈川県平塚市
3.(推定)神奈川県中郡大磯町
相模国分寺神奈川県海老名市(相模国分寺跡
相模国分尼寺神奈川県海老名市(相模国分尼寺跡
一宮寒川神社(神奈川県高座郡寒川町
鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市
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相模国(さがみのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。


目次

1 「相模」の国名

2 沿革

2.1 明治以後の沿革


3 現在の行政区分での領域

3.1 武相国境


4 国内の施設

4.1 国府

4.2 国分寺・国分尼寺

4.3 神社

4.4 安国寺利生塔


5 地域

5.1 郡


6 人物

6.1 国司

6.1.1 相模守

6.1.2 相模介

6.1.3 相模掾


6.2 守護

6.2.1 鎌倉幕府

6.2.2 室町幕府


6.3 国人

6.4 戦国大名

6.5 織豊大名

6.6 武家官位としての相模守


7 脚注

7.1 注釈

7.2 出典


8 関連項目

9 外部リンク


「相模」の国名

「相模」の模という文字について、現存する律令時代の公文書に捺されている国印では「莫」の下に「手」を配した文字「?」が使用されており、手へんの「摸」による相摸とするのが本来の表記である。
沿革

7世紀に成立。相武(さがむ)国造[注 1][1]の領域(相模川流域、県中央部)と師長(しなが)国造の領域(酒匂川流域と中村川流域、県西部)を合したとされる。さらに、ヤマトタケルの子孫鎌倉別(かまくらわけ)の支配する鎌倉・三浦も加わる。

なお、もとは武蔵国と一つだったという説がある。賀茂真淵や『倭訓栞』には、身狭(ムサ)国があり、のち身狭上・身狭下に分かれ、語の欠落などでそれぞれ相模・武蔵となったとする。本居宣長は『古事記伝』で、佐斯(サシ)国を仮定し、佐斯上、身佐斯と分かれ、そののち相模・武蔵となったという。近藤芳樹『陸路廼記』などによれば総(フサ)国の一部が総上・総下となり、のち相模・武蔵となったとされる。しかしこれらの説は、武蔵国がかつては毛野国群馬県栃木県)地域と一体であったとする考古学の成果と合わない。

国名の語源は不明。前身とされる身狭上(ムサガミ)・佐斯上(サシガミ)が由来とする真淵や宣長の説もあれば、古代この地域の産物であったカラムシ(苧・麻布などの種)が訛った「ムシ」に由来するという説や、「坂見」の転訛(箱根の坂の上から見える地域)という説なども存在し、定説が確定できなくなっている(『神奈川県史』通史編1)。
明治以後の沿革

「旧高旧領取調帳」に記載されている
明治初年時点での国内の支配は以下の通り。太字は当該郡内に藩庁が所在。国名のあるものは飛地領。

足柄上郡 - 旗本領小田原藩荻野山中藩


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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