皇居
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皇居の正門石橋
(この奥に正門鉄橋(通称二重橋が架かる)皇居外苑(皇居前広場)と新宮殿

皇居(こうきょ)は、天皇の平常時における宮殿・住居である。現在は東京都千代田区にある。「皇居」の呼称が広く用いられるようになったのは現在の皇居からである。


目次

1 概要

2 現在の皇居

2.1 皇居内の施設

2.1.1 新宮殿


2.2 その他

2.3 皇居の自然環境

2.4 現皇居の歴史


3 皇居・宮の歴史

3.1 飛鳥の宮

3.2 平安時代から江戸時代

3.3 明治時代以後


4 歴代の皇居

5 脚注

6 参考文献

7 関連項目

8 外部リンク


概要

現在は、第二次世界大戦後に宮城(きゅうじょう)の名称が廃止された東京江戸城跡一帯を指して皇居と呼んでいる。公式の英語表記は「The Imperial Palace」。天皇の住居である「御所」、各種公的行事や政務の場である「宮殿」、宮内庁庁舎などがある。詳細は「#明治以降の皇居」を参照

江戸時代には京都にあり、御所、禁裏、内裏などと呼ばれていた里内裏(後述の「皇居・宮の歴史」参照)であった。明治維新後の東京行幸の後に留守となり、明治天皇の指示で保存されて現在に至り、京都御所と称されている(英名は「Kyoto Imperial Palace」)。行幸後に首都機能が東京に移った際、明確な遷都の法令が発せられなかったので、京都御所を現在も皇居とみなす向きもある。しかし明治以降、京都御所に近代的居住機能が付加されることはなく、平安時代の様式を伝える最高格式の紫宸殿(正殿)や日常生活の場である常御殿などが保存されている文化財となっている。長岡京など京都以前の御所は、遺構・遺跡や伝承地が残るのみである。

皇居の呼び名は、史料や古典文学に登場するものの現在では使われない表現を含めると、内裏(だいり)、御所、大内(おおうち)、大内山、九重(ここのえ)、宮中(きゅうちゅう)、禁中(きんちゅう)、禁裏(きんり)、百敷(ももしき)、紫の庭(むらさきのにわ)、皇宮(こうぐう)、皇城(こうじょう)、宮城、大宮、雲の上、雲居など非常に多い。
現在の皇居

東京の皇居近辺航空写真
1979年(昭和54年)撮影)
国土交通省国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成

明治以降の皇居は、江戸時代末期まで徳川将軍家が居城としていた江戸城跡にある。江戸城の内郭(内堀内)には、本丸二の丸三の丸西の丸のほか、西寄りの部分には「吹上」と呼ばれる庭園があった。「吹上」はかつては屋敷地であったが、明暦の大火1657年(明暦3年))以降、火除け地として、建物が建てられないようになっていた。

皇室関連施設のうち、宮殿宮内庁庁舎などは旧西の丸に位置するが、天皇の住まいである御所は江戸城の「吹上」、現在の「吹上御苑」に建てられている。旧西の丸と吹上御苑は道灌堀という堀で隔てられている[1]。城郭としての江戸城は本丸、二の丸、三の丸および西の丸部分のみを言い、道灌堀の西側にある庭園部分は厳密には江戸城には含まれないので、御所は城郭としての江戸城跡に建っているわけではない[2]

現在、皇居一帯は東京の中央部にありながら緑豊かな地区で、濠()に沿って皇居を取り巻く歩道ジョギング散歩コースとしても親しまれている。皇居の住居表示東京都千代田区千代田1番1号(郵便番号100-0001)で、居住していなくても登録できる本籍として人気が高い住所になっている。また、国有財産としての皇居の価値は2146億4487万円である(財務省資料に基づく、2009年5月現在)[3]

衛星パノラマ画像プログラムのGoogle Earthにおいては世界のランドマークの一つとして登録されている。
皇居内の施設
新宮殿

新宮殿

情報
用途皇室・外国元首の諸行事
延床面積22,949 m2
階数地上2階、地下1階
戸数7
着工1964年(昭和39年)6月
竣工1968年(昭和43年)11月14日
所在地〒100-0001
東京都千代田区千代田1
座標北緯35度40分57秒 東経139度45分10秒? / ?北緯35.68250度 東経139.75278度? / 35.68250; 139.75278
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正殿竹の間


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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