皇后美智子
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この項目では、第125代・今上天皇の皇后について説明しています。賀陽宮恒憲王第一王女の旧皇族については「美智子女王」をご覧ください。

皇后 美智子
1990年(平成2年)即位礼
第125代今上天皇后
皇后在位期間
1989年1月7日 - 在位中
昭和64年1月7日午前6時34分 - 在位中
立后1989年(昭和64年)1月7日

誕生 (1934-10-20) 1934年10月20日(84歳)
日本東京府東京市本郷区
(現:東京都文京区本郷

結婚1959年昭和34年)4月10日
皇后1989年(昭和64年)1月7日
身位皇太子妃皇后
敬称陛下
諱美智子(みちこ)
氏族正田家
旧名正田美智子
お印白樺
父親正田英三郎
母親正田富美子
配偶者今上天皇
子女皇太子徳仁親王(浩宮徳仁親王)
秋篠宮文仁親王(礼宮文仁親王)
黒田清子(紀宮清子内親王)
栄典宝冠大綬章
役職日本赤十字社名誉総裁
国際児童図書評議会名誉総裁
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称号: 皇后


敬称陛下
Her Imperial Majesty (H.I.M.)

皇室


天皇 明仁
皇后 美智子

皇太子 徳仁親王
皇太子 徳仁親王妃 雅子

敬宮 愛子内親王



秋篠宮 文仁親王
秋篠宮 文仁親王妃 紀子

眞子内親王

佳子内親王

悠仁親王



常陸宮 正仁親王
常陸宮 正仁親王妃 華子


三笠宮 崇仁親王妃 百合子

寛仁親王妃 信子

彬子女王

瑶子女王



高円宮 憲仁親王妃 久子

承子女王


・話・編・歴

皇后美智子(こうごう みちこ、1934年昭和9年〉10月20日 - )は、第125代天皇今上天皇皇后皇族

旧姓名は、正田美智子(しょうだ みちこ)。

皇室典範に定める敬称陛下お印白樺栄典勲一等宝冠大綬章明治時代以降初めての民間出身[注釈 1]の皇族。
目次

1 略歴

1.1 少女時代

1.2 入内への反発

1.3 皇太子妃時代

1.4 皇后時代

1.5 今上天皇退位後


2 年譜

3 外国訪問

3.1 単独訪問

3.2 今上天皇との訪問


4 皇子孫

4.1 皇子女

4.2 皇孫


5 生家・正田家

5.1 系譜

5.2 正田邸


6 栄典

6.1 日本

6.2 外国

6.3 名誉役職


7 著作

7.1 和歌・発言集

7.2 児童関連楽曲・書籍

7.3 作詞


8 逸話

8.1 少女時代

8.2 天皇に関するもの

8.3 成婚に関するもの

8.4 家庭・育児に関するもの

8.5 祭祀・公務などに関するもの

8.6 他の妃・皇孫に対するもの

8.7 その他


9 発言

10 出典・注釈

10.1 注釈

10.2 出典


11 参考文献

12 関連項目

13 外部リンク

略歴「ミッチー・ブーム」も参照
少女時代 1940年(昭和15年)頃の正田美智子

1934年(昭和9年)10月20日日清製粉勤務の正田英三郎・冨美(1981年(昭和56年)に富美子と改名した)夫妻の長女として東京府東京市本郷区(現:東京都文京区の東部)の東京帝国大学医学部附属病院で誕生[1]

大和郷幼稚園、雙葉学園雙葉小学校附属幼稚園を経て、1941年(昭和16年)に雙葉学園雙葉小学校入学するが、1944年(昭和19年)、疎開のため、神奈川県藤沢市の乃木高等女学校附属小学校(現:湘南白百合学園小学校)、群馬県の館林南国民学校(現:館林市立第二小学校)、1945年(昭和20年)5月には、長野県の軽井沢第一国民学校(初等科5年に転入、同年9月まで在籍[2]転校を繰り返し、軽井沢にて終戦を迎えた。


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