白鵬翔
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この項目では、大相撲力士、第69代横綱の白鵬について説明しています。その他の用法については「白鵬 (曖昧さ回避)」をご覧ください。

白鵬 翔


基礎情報
四股名白鵬 翔
本名ムンフバト・ダヴァジャルガル
М?нхбатын ДаваажаргапB(Monkhbatyn Davaajargal, Monhbatyn Davaa?argal [Monchbatin Daw??argal])
愛称ダワー、平成の大横綱、絶対王者
生年月日 (1985-03-11) 1985年3月11日(33歳)
出身 モンゴルウランバートル市
身長192cm
体重155kg
BMI42.05
所属部屋宮城野部屋
得意技右四つ、寄り、上手投げ
成績
現在の番付東横綱
最高位第69代横綱
生涯戦歴1095勝228敗124休(107場所)
幕内戦歴1001勝180敗124休(88場所)
優勝幕内最高優勝41回
十両優勝1回
殊勲賞3回
敢闘賞1回
技能賞2回
データ
初土俵2001年3月場所
入幕2004年5月場所
趣味読書、チェス、テレビゲーム、ゴルフ
備考
金星1個(朝青龍1個)
2018年11月24日現在■テンプレート  ■プロジェクト 相撲

白鵬 翔(はくほう しょう、1985年3月11日 - )は、モンゴル国ウランバートル市出身で宮城野部屋所属の現役大相撲力士、第69代横綱(2007年7月場所 - )。本名はムンフバティン・ダワージャルガル[1]モンゴル語キリル文字表記:М?нхбатын Даваажаргал、ラテン文字転写:Monkhbatyn Davaajargal;日本相撲協会による公式表記は「ムンフバト・ダヴァジャルガル」)、モンゴル語での愛称は「ダワー」。得意手は右四つ、寄り、上手投げ。身長192cm、体重155kg、血液型はA型。好物は焼肉納豆プレーリードッグ[2]。嫌いなものはあんこ[3]、趣味は読書、チェステレビゲームゴルフアジア初のユネスコ・スポーツ・チャンピオン[4]
目次

1 来歴

1.1 十両

1.2 新入幕

1.3 幕内

1.4 大関取り

1.5 大関

1.6 綱取り

1.7 横綱

1.7.1 2007年

1.7.2 2008年

1.7.3 2009年

1.7.4 2010年 -63連勝-

1.7.5 2011年

1.7.6 2012年

1.7.7 2013年

1.7.8 2014年

1.7.9 2015年

1.7.10 2016年 -通算1000勝-

1.7.11 2017年 -通算最多勝利更新・優勝40回-

1.7.12 2018年



2 取り口

3 人物・エピソード

3.1 土俵上の記録・合い口

3.2 相撲中継において

3.3 巡業・トークショー・相撲関連のイベント

3.4 引退後の親方・帰化

3.5 その他相撲関連

3.6 土俵外の出来事・交友関係

3.7 身体・生活習慣

3.8 報道対応

3.8.1 一夜明け会見拒否

3.8.2 審判批判問題



4 年表

5 主な成績

5.1 連勝記録

5.2 通算成績

5.3 各段在位場所数

5.4 各段優勝

5.5 三賞・金星

5.6 場所別成績

5.7 主な力士との幕内対戦成績


6 出演

6.1 TV出演

6.2 CM出演


7 著書

7.1 写真集


8 ディスコグラフィー

8.1 参加作品


9 その他

10 脚注

11 関連項目

12 外部リンク

来歴

父親のジグジドゥ・ムンフバトブフ(モンゴル相撲)で、5年連続6度の優勝をした元アヴァルガ(大相撲の横綱に相当)で、モンゴル人民共和国代表としてメキシコ五輪レスリング重量級銀メダリスト(モンゴル初の五輪メダリスト)となったモンゴルの国民的英雄である。母ウルジーウタス・タミルは元外科医でありチンギス・ハーンの流れを汲む家柄の出だという[5]。モンゴル時代で思い出に残るのは小学生の夏休みであり、毎年1ヶ月を伯父の牧場で過ごした。ゲルと呼ぶ移動式の住居で目を覚まし、井戸で水をくむ。馬に乗って羊の世話をし、夕暮れ時にはオオカミの襲来に目を光らせた。腹が減ればプレーリードッグを狩り、熱した石で、こんがり焼いて食べた。リスに似た小動物も草原では大切なタンパク源であり、白鵬は「鶏の手羽先に似た味がしてね。大好物だった」と後に振り返っている。祝いの日には羊の丸焼きを頬張り、馬の乳を発酵させた馬乳酒を飲んだ。草原の食で腹を満たし、馬で駆け巡った日々は、しなやかな足腰の原型を作った。「あの経験がなかったら横綱にはなれなかった」と白鵬は後のインタビューで遠い目をして振り返る。[6] [7]来日前にブフは10 - 12歳の時に遊びでやっていた程度で経験らしい経験はなく、バスケットボールに熱心に取り組んでいた[8]。15歳になったころ、兄のバットホヤグが柔道の教師になったがダワージャルガルは「柔道はイヤだ。どうしても相撲をやりたい」と固辞した。ムンフバトは以前からそのダワージャルガルの意向を知っていたようだが母タミルは普通に勉学を重ねて学者にでもなってほしいと願っていたためダワージャルガルの決意を聞いた際にはショックで言葉も出ず、しばらくは入門するかどうかを巡って滅多にしない夫婦喧嘩もしたという。それでもタミルは内心「きっと激しい稽古が待っている。経済的にも大きな苦労を知らず、のびのび育ったダワーが、日本での厳しい修業に耐えられるはずがない。きっと、つらくて戻ってくるに違いない」と考え、早々と帰郷すると予想して入門を許したという。モンゴルの中等教育学校を卒業。ダワージャルガルは初来日からその後2年半に渡り一度も帰郷せず日本で相撲に打ち込んだ[9]

大相撲で活躍していた同じモンゴル出身の旭鷲山をつてに、2000年10月25日に6人のモンゴル人と共に来日[8]大阪府内の摂津倉庫で相撲を習っていた(同社の相撲部には以前、後に幕内に上がる大飛翔も在籍)。


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