生長の家
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教義・行事
教義

生長の家の教義は雅春の著作特に生命の実相甘露の法雨を基礎とする。なお、生長の家は、神道仏教キリスト教天理教大本等諸宗教はその根本においては一致するという「万教帰一」という思想を主張・布教している。ただし、現総裁の雅宣が生長の家の経典を含む各宗教の聖典の原理主義的解釈を否定していることでもわかるように、例えばイスラム原理主義創価学会の教義をそのまま認めている、というわけではない。

生長の家では、世界を実相現象に分けて区別し、第一義的実在であるのは「善一元なる唯一絶対神」だけであって、それ以外のものは実相には存在しない、と考える。現象世界のものは、物質から霊的なものまで、すべて「第一義的実在に非ず」[11]と説く。「物質は心の影」であると説く一方で、その「心」すらもなく、死者の霊も先祖供養等の対象とはするが、物質が存在しないというのと同じ意味で霊魂も存在しないといている。逆にいうと、例えば先祖供養の形式については、信徒は仏教やキリスト教、神道のいずれの方式で行っても、生長の家の教義に違反しない、ということであり、生長の家が信徒に対して改宗を求めない理由の一つとなっている。
唯神実相

生長の家の基本教義。「縦の真理」と呼ばれる。教団公式HPには「実相の世界は神の御徳が充満していて、人間は神の子であり、神と自然と人間とは大調和している世界です。つまり本当に存在するものは唯、神と神の作られた完全円満な世界だけであるという意味で「唯神実相」と呼んでいます。」[12]と記されている。

これに対して一般に「現実」と呼ばれる世界は「現象」と呼び「現象の世界は、全体の膨大な情報量のうち、人間の肉体の目、耳、鼻、口、皮膚で濾(こ)し取ったごく一部の不完全な情報を、脳が組み立て直して仮に作り上げている世界です。ですから、世の中には戦争やテロがあったり、病気などの不完全な出来事があるように見えますが、それらはすべて「現象」であって、本当にある世界の「実相」ではないと説いています。」[12]と述べている。

なお、生長の家の教義に「実相の日本は未だ敗戦をしていない」というものがあるが、これは住吉大神から谷口雅春に下った神示とされる「軍国日本の如きは本来無き国であるから滅びたのである」[13]が出典であって、当初は「現象」における過去の日本と「実相」における本当の日本とを区別すべきという意味であり大東亜戦争肯定論を意味するものではなかった。今でも教団が公式に大東亜戦争肯定論を主張したことはないが、生長の家本流運動系の団体では大東亜戦争肯定論が主張されることがある。
唯心所現

教団の公式HPには「唯心所現の「心」とは「コトバ」であり、コトバには行動で表現する「身(しん)」、発声音で表現する「口(く)」、心の中で思う「意(い)」の3つがあり、これら身・口・意の三業を駆使することで、唯心所現の法則によって現象世界をいかようにでも作り上げることが出来るのです。」[12]とある。
万教帰一

教団の公式HPには「宗教に違いがあるのは国や地域、民族によって服装が違うように、宗教も文化的な違いが現れているからだと言えます。目玉焼きに喩えると、中心部分の黄身を普遍的な根本真理と見立て、それぞれの宗教が共有していると考えます。一方、周縁部分である白身は、文化、民族、時代などの違いによって変化している部分だと考えると分かりやすいでしょう。世界の各宗教が、この中心部分(黄身)の共通性と周縁(白身)の多様性をお互いに認め合うことによって、宗教間の対立は消えることになります。それを端的に表わした言葉が「万教帰一」の教えなのです。」[12]とある。

生長の家の教義と他の宗教の教義が直接に一致するという意味ではない。神については「第一義の神」「第二義の神」「第三義の神」が存在するとしており、第一の神が実相における唯一絶対神、第二義の神が現象における宇宙の法則やその具体化した姿、第三義の神が人格神であるとしている。例えば旧約聖書におけるエロヒムヤハウェについては創世記でこの世界について「甚だ良し」と言ったエロヒムこそが第一義の神(=唯一絶対の神)であって、人類をエデンの園から追放したヤハウェは第二義の神であると説いている。仏教神道についても、例えば谷口雅春に度々啓示を下す住吉大神は「第二義の神」であるとしている。
行法

行法は、「神想観[14]」「大祓の人型[15]」(年間二回)「浄心行[16]」「写経[17]」とよばれる「行法」のうちどれか一つでも一日に一回するのが望ましいとされている。

永代供養は、永代祭祀ともいい、供養される者の氏名を専用の「甘露の法雨」経典に書き供養する。生存者の場合は総本山龍宮住吉本宮の誠魂奉安筐に奉安され故人に為ると別格本山宝蔵神社の紫雲殿に遷され永代供養される。
人間観

生長の家では唯神実相の観点から生老病死・輪廻転生を遂げる人間・霊魂は実在しない「仮相人間」であり、生老病死・因果や法則を超越した存在こそ金剛不壊の真に存在する「実相人間」であると説く。その上でこの世、現象世界での生きるべき姿・処世術を説いている。

人間が実相を悟れば事態・環境・法則は自ずから無害有益なものに為り、真に無限供給の神の恵みを受ける事が出来るとする。
練成会

練成会は宿泊しながら教義の学習と行法の実践を行う行事である。生長の家の各地の拠点で行われている。
歴史
創始から終戦まで 生長の家本部外観詳細は「谷口雅春」を参照

創始者(生長の家では開祖や教祖の名称は使われない)の谷口雅春は、紡績会社勤務のときから1918年大正7年)に大本の専従活動家になり、出口王仁三郎の『霊界物語』の口述筆記に携わった他、機関紙の編集主幹などを歴任した。同時期に大本の本部で活動していた江守輝子と出会い、1920年(大正9年)11月22日に結婚。

1922年(大正11年)の第一次大本事件を機に、大本から離脱した浅野和三郎と行動を共にし、翌1923年(大正12年)には浅野が旗揚げした『心霊科学研究会』に加わった。同年関東大震災で被災し、妻・輝子の実家である富山に疎開中の10月10日、長女の恵美子が誕生。

雅春は、外資系石油商ヴァキューム・オイル・カンパニー勤務の傍ら『心霊科学研究会』で宗教・哲学的彷徨を重ね、一燈園西田天香らとも接触した。特に当時流行していたニューソート自己啓発)の強い影響を受け、これに『光明思想』の訳語を宛てて機関紙で紹介した。

1929年昭和4年)12月13日深夜、瞑想中に「今起て!」と神から啓示を受けたことを機に、1930年(昭和5年)3月1日に修身書として雑誌『生長の家』1000部を自費出版した(生長の家ではこの日を以て「立教記念日」としている)。

「人間・神の子」「実相一元・善一元の世界」「万教帰一」のニューソート流主張により、支持者・講読者を拡大。 『生長の家』誌で発表した雅春の論文は1932年(昭和7年)に『生命の實相』としてまとめられ、1935年(昭和10年)には購読者を組織して「教化団体生長の家」を創設する。各地に支部を設立し、また学校などでも生長の家の講演会が開かれるなど教勢を拡大した。

敗色濃厚な1944年(昭和19年)には紙の配給が止まり『生長の家』誌の発行も一時停止したが、軍国的な「皇軍必勝」のスローガンの下に、金属の供出運動や勤労奉仕、戦闘機を軍に献納するなど教団を挙げて戦争に協力し、天皇信仰・感謝の教えを説いた。一方で、海ゆかばの歌を歌うことに反対するなどの活動も行ったため、憲兵特別高等警察と教団の講師がトラブルになることもあった[18]

生長の家および生長の家系列の宗教の書籍等では旧日本軍に生長の家信者が少なくなかったことが記される。宮城事件は信者の田中静壱が鎮圧した[19]根本博は生長の家の教義にしたがい終戦後も内モンゴルソビエト連邦と戦った。
戦後の法人化と政治への参加

戦後は西洋思想家の著作の邦訳も行っていたが、その翻訳作業の助手の募集を見た者の中に、後に雅春の養嗣子となり、第2代総裁となった荒地清超(後の谷口清超)がいた。清超は1946年(昭和21年)に雅春の一人娘の恵美子と結婚する。

1949年(昭和24年)に「生長の家教団」として宗教法人格を得て、組織の再構築を行った。その後は妊娠中絶反対運動などでも積極的に政治活動を行うようになり、伊勢神宮の神器の法的地位の確立(一宗教法人の私物ではなく皇位継承と特別な関係のあるものと主張)や、靖国神社国家護持運動など右派活動を行った[20]。さらに、建国記念の日の制定や、元号法制化に教団を挙げて協力した他、「優生保護法廃止(堕胎禁止・反優生学)」「帝国憲法の復原・改正」を掲げて生長の家政治連合(生政連)を結成し玉置和郎村上正邦田中忠雄寺内弘子自由民主党公認候補として参院選に送り込んだ(この付近の経緯は、公明党を生んだ創価学会とよく似ている。


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