焚書
◇ピンチです!◇
◇暇つぶし何某◇

[Wikipedia|▼Menu]

 
検閲

国別

旧東ドイツ
アルジェリア
韓国
中国
日本
メディア

禁書
紙芝居
インターネット
音楽
コンピュータゲーム
手段

発禁
焚書
記事差止命令
改描
自主規制音
フィルタリング
ブロッキング
モザイク処理
自己検閲
表示
ピノチェト率いる軍事政権下のチリにおける焚書(1973年

焚書(ふんしょ、: book burning)は、書物を焼却する行為。通常は、支配者や政府などによる組織的で大規模なものを指す。言論統制検閲禁書などの一種でもあり、特定の思想学問宗教等を排斥する場合、逆に特定の思想等以外を全て排斥する場合がある。現代では書物の他、レコード写真磁気テープディスクメディアなどの情報格納メディアも対象に含まれる場合がある。

有名な例には焚書坑儒ナチス・ドイツの焚書などがある。


目次

1 主な焚書

1.1 始皇帝の焚書

1.2 ナチス・ドイツの焚書

1.3 大日本帝国の焚書


2 脚注

3 関連項目

4 外部リンク


主な焚書
始皇帝の焚書詳細は「焚書坑儒」を参照

秦の始皇帝紀元前213年李斯の提案にしたがって、焚書を行った。その内容は、次の通りであった。
秦以外の諸国の歴史書の焼却。

民間人は、医学占い農業以外の書物を守尉に渡し、守尉はそれを焼却する。

30日以内に、守尉に渡さなかったならば、入墨の刑に処する。

法律は、官吏がこれを教える(民間の独自解釈による教育を禁じると言うこと)。

始皇帝の焚書により、様々な書物の原典が失われた。しかし、壁の中に書物を隠す[注 1]などして書物を守った人もおり、それが、秦の滅亡後再発見され学問の研究に役立った。また、儒教の書物が狙われたと考えられがちであるが、他の諸子百家の書物も燃やされた。
ナチス・ドイツの焚書詳細は「ナチス・ドイツの焚書」を参照ナチス・ドイツの焚書(1933年

ナチス・ドイツの行った焚書では、カール・マルクスなどの社会主義的な書物や、ハインリヒ・ハイネエーリッヒ・ケストナーハインリヒ・マンベルトルト・ブレヒトエーリヒ・マリア・レマルククルト・トゥホルスキーカール・フォン・オシエツキーなどの、「非ドイツ」的とみなされた多くの著作が燃やされた。

また売れない画家としての前歴を持つアドルフ・ヒトラーは、それまでの芸術の規範を飛び越えた近代的な芸術を退廃芸術として弾圧し、それに代わって肉体美や農村などを美化した「古き良き」芸術を大ドイツ芸術展を開いて称揚した。
大日本帝国の焚書

1945年(昭和20年)に日本が降伏するにあたって、ポツダム宣言に「戦犯の処罰」の規定があったことから、内務官僚の奥野誠亮が戦犯の証拠となりうる公文書を全部焼却(証拠隠滅)するよう指示した[1]
脚注^ “ ⇒戦後70年 あの夏 占領前文書焼却を指示…元法相 奥野誠亮さん”. 読売新聞 (2015年8月10日). 2017年10月17日閲覧。


是非お友達にも!
◇暇つぶし何某◇

[次ページ]
[記事の検索]
[おまかせリスト]
[ブックマーク登録]
[mixiチェック!]
[Twitterに投稿]
[オプション/リンク一覧]
[話題のニュース]
[列車運行情報]
[暇つぶしWikipedia]

Size:12 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:FIRTREE