海部郡_(徳島県)
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徳島県海部郡の位置(1.牟岐町 2.美波町 3.海陽町 薄黄:後に他郡に編入された区域)現在の徳島県海部郡
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海部郡(かいふぐん)は徳島県阿波国)の

人口19,733人、面積525.07km2、人口密度37.6人/km2。(2017年10月1日、推計人口

以下の3町を含む。

牟岐町(むぎちょう)

美波町(みなみちょう)

海陽町(かいようちょう)


目次

1 郡域

1.1 上灘・下灘


2 歴史

2.1 原始・古代

2.2 中世

2.3 近世以降の沿革

2.4 町村制以降の沿革

2.5 変遷表


3 脚注

4 参考文献

5 関連項目


郡域

1879年明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記3町のほか、那賀郡那賀町の一部(川俣、深森、古屋、大戸、平谷、白石、大殿、木頭各町より南西)にあたる。
上灘・下灘

江戸時代から見える海部郡の広域通称名。現在の美波町牟岐町にわたる群北東部一帯を上灘(かみなだ)と称し、現海陽町の一帯を下灘(しもなだ)という。
歴史

平安時代末期に那賀郡の南部が分立した。
原始・古代

海部郡は那賀郡から分離・独立して成立したが、阿波志
によると海部郡には「和名抄」に記されてある那賀郡海部郷・和射郷が含まれていたという説がある。

阿波国郡史によると、阿南市福井町椿地にある寿永四年(元暦二年、1185年)正月二八日の線刻弥勒菩薩坐像銘に「阿波国海部郡福井里大谷」とあり、海部郡は同年以前に成立していたものと思われる。

中世

宍咋庄、福井庄、海部郷、浅河郷、牟岐郷、日和佐保などがその頃には成立する。

近世以降の沿革

明治初年時点で、全域が阿波徳島藩領であった。「旧高旧領取調帳」に記載されている村は以下の通り。(53村11浦)
中村、牟岐浦、内妻村、浅川村、浅川浦、阿部浦、伊座利浦、東由岐浦、西由岐浦、志和岐浦、田井村、北河内村、西河内村、赤松村、奥河内村、山河内村、橘村、辺川村、河内村、川長村、灘村、四方原村、大里村、鞆浦、奥浦、高園村、野江村、芝村、熟田村、吉野村、多良村、富田村、吉田村、大井村、中山村、櫛川村、相川村、若松村、神野村、平井村、小川村、宍喰浦、久保村、日比原村、尾崎村、芥附村、広岡村、角坂村、塩深村、船津村、久尾村、小谷村、平谷村、古屋村、木岐浦、木岐村、海川村、南宇村、助村、折宇村、出原村、北川村、和無田村、西宇村

明治4年

7月14日1871年8月29日) - 廃藩置県により徳島県(第1次)の管轄となる。

11月15日(1871年12月26日) - 第1次府県統合により名東県の管轄となる。


明治9年(1876年8月21日 - 第2次府県統合により高知県の管轄となる。

明治12年(1879年1月4日[1] - 郡区町村編制法の高知県での施行により行政区画としての海部郡が発足。郡役所が奥河内村に設置。

明治13年(1880年3月2日 - 徳島県(第2次)の管轄となる。

町村制以降の沿革1.阿部村 2.三岐田村 3.日和佐村 4.赤河内村 5.牟岐村 6.浅川村 7.川東村 8.川西村 9.鞆奥村 10.川上村 11.宍喰村 12.下木頭村 13.中木頭村 14.上木頭村 15.奥木頭村(紫:美波町 桃:海陽町 赤:那賀郡那賀町 青:合併なし)

明治22年(1889年10月1日 - 町村制の施行により、以下の各村が発足。郡役所の所在地が日和佐町となる。(15村)

阿部村 ← 阿部浦、伊座利浦(現・美波町)

三岐田村 ← 西由岐浦、志和岐浦、西由岐村[2]、東由岐浦、木岐浦、木岐村、田井村(現・美波町)

日和佐村 ← 日和佐浦[3]、奥河内村、恵比須浜村[4](現・美波町)

赤河内村 ← 北河内村、西河内村、山河内村、赤松村(現・美波町)

牟岐村 ← 河内村、辺川村、橘村、牟岐浦、灘村、川長村、中村、内妻村(現・牟岐町)

浅川村 ← 浅川村、浅川浦(現・海陽町)


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