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公用語マレー語、英語
首都シンガポール
国王
1820年 - 1930年ジョージ4世
1936年 - 1952年ジョージ6世
総督
1826年 - 1830年Robert Fullerton
1934年 - 1946年Shenton Thomas
変遷
成立1826年
消滅1946年
通貨Straits dollar ( - 1939), Malayan dollar (1939 - )
海峡植民地(かいきょうしょくみんち、Straits Settlements, 1826年?1946年)は19世紀から20世紀前半にかけてのマレー半島におけるイギリス植民地の名称。1826年に、ペナン、マラッカ、シンガポールよりなる植民地として形成された。1886年からココス島とクリスマス島が、1906年にラブアン島が編入された。
なお、マレー語に忠実に記すとすれば、「ピナン」「ムラカ」などと地名を表記すべきであろうが、以下はイギリス支配下の行政区としての海峡植民地についての記述であるので、当時の行政官が発音していたであろう、英語の発音に準じて地名を記す。
目次
1 沿革
1.1 前史
1.2 ペナン植民地
1.3 マラッカ植民地
1.4 シンガポール植民地
1.5 海峡植民地の成立
1.6 英領マラヤの成立
1.7 解体
2 参考文献
3 関連項目
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イギリスは、1623年にモルッカ諸島のアンボン島で起きたアンボイナ虐殺事件を契機として、東インド諸島から全面的に撤退を余儀なくされ、インド経営に専念するが、18世紀後半以降、中国との広東貿易が隆盛し、また19世紀初めのナポレオン戦争の結果、東インドを支配していたオランダの勢力が後退したので、再び東南アジアに進出するようになった。その橋頭堡となったのがマレー半島である。
1786年カントリー・トレーダーのフランシス・ライトは、マレー半島西海岸のクダ王国のスルタンと条約を結び、イギリス東インド会社領としてペナン島を獲得した。インド亜大陸と中国を結ぶ中継港、マラッカ海峡地域の産品の集積基地、ベンガル湾以東の海域における海軍基地が必要とされたために、イギリス東インド会社は同島を確保することになった。クダ王国はタイのアユタヤ王朝やブギス族などのマレー人勢力から国を守るために、強力な後ろ盾を必要としていた。ペナン島は、プリンス・オブ・ウェールズ島と命名され、ジョージタウンが建設された。また、1800年には、クダ王国よりペナン島対岸の土地が獲得され、ウェルズリー州(Province Wellesley)と命名された。
ただし、1799年前後までは、イギリス東インド会社の中継港としてはアンダマンもまた候補にあがっており、ペナン植民地の地位が確固としたものとなったのは、1805年に英領インドの第4番目の管区(Presidency)とされてからである。以降、ペナン島にはイギリス人の知事が派遣され、ベンガル総督の管轄下に置かれた。管区の地位は、1826年に成立した海峡植民地に引き継がれることになる。
ペナンは、フランシス・ライトが自由貿易港と宣言したため、周辺海域より商人を多くあつめ、急速な発展を遂げた。1801年、自由貿易港の指定を解除したために一時衰退したが、海峡植民地成立によって再び自由貿易港となった。