浜松陸軍飛行学校
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浜松陸軍飛行学校

浜松陸軍飛行学校の設置により初代の校長は飛行第8連隊長、値賀忠治大佐が補職された。1935年8月より校長は中将または少将とされた[87]

値賀忠治 大佐:1933年8月1日[88] - 1935年8月1日

佐野光信 少将:1935年8月1日[89] - 1937年8月2日(1936年3月7日、中将に進級[90]

牧野正迪 中将:1937年8月2日 - 1938年6月1日

増野周万 少将:1938年7月15日 - 1939年8月1日 (1939年3月9日、中将に進級[91]

寺本熊市 少将:1939年8月1日 - 1940年8月1日

儀峨徹二 中将:1940年8月1日 - 1941年10月15日

須藤栄之助 少将:1941年10月15日 - 1943年1月29日

山本健児 少将:1943年1月29日 - 1944年6月10日[92]  

 欠  員 :1944年6月10日 - 1944年6月20日

浜松教導飛行師団

教導飛行師団編成により、それまでの校長職は教導飛行師団長となった。ただし通常の飛行師団長の階級が中将であり天皇より直接辞令を受ける親補職であるのに対し[93]、教導飛行師団長の階級は中将または少将とされ親補職ではなかった[94]

川上清志 少将:1944年6月20日 - 1944年11月27日

星駒太郎 少将:1944年11月27日 - 1945年7月10日

三方原教導飛行団

浜松教導飛行師団とともに三方原教導飛行団が編成された。初代の飛行団長には関東軍化学部長山脇正男少将が補職された[95]

山脇正男 少将:1944年6月20日 - 1945年4月15日[96]

岡田猛次郎 大佐:1945年4月15日 -

教導飛行師団

下志津教導飛行師団、明野教導飛行師団、浜松教導飛行師団、鉾田教導飛行師団、常陸教導飛行師団、宇都宮教導飛行師団は統合改編され単一の教導飛行師団(司令部:栃木県芳賀郡)となり、浜松には第4教導飛行隊が置かれた。

師団長

橋本秀信 中将:1945年7月16日[97] -

第4教導飛行隊隊長

新原季人 中佐:1945年7月18日[98][99] -

脚注
注釈^ Jacques-Paul Faure (1869-1924)。フランス陸軍砲兵大佐、最終階級は陸軍少将。『大日記甲輯 大正08年(防衛省防衛研究所)』 アジア歴史資料センター Ref.C02030896700 『日本陸軍航空秘話』13頁
^ 団体名は陸軍部内文書の「佛國航空團」にもとづく。『大日記乙輯大正8年(防衛省防衛研究所)』 アジア歴史資料センター Ref.C03011253900 
^ 分科(ぶんか)とは、用兵上の分担および使用する器材による区別のこと。
^ 班長は坂本真彦歩兵大尉。
^ 材料廠(ざいりょうしょう)とは、器材の組み立てや修理および管理などを行う部署のこと。
^ 当初は愛知県豊橋市に駐屯を予定していたが、同地では飛行場等の用地の取得が順調でなく、浜松周辺に変更された。
^ 学校令条文ママ。三省堂『大辞林』によれば「学術」の意味のひとつに「学問と技術」がある。以下同じ。
^ 隷属(れいぞく)とは固有の上級者の指揮監督下に入ること。単に指揮系統だけでなく、統御、経理、衛生などの全般におよぶ。『帝国陸軍編制総覧 第一巻』61頁
^ 「軍備改"編"」ではない。原文は旧字体の「軍備改變」。
^ この場合の召集とは在郷軍人を軍隊に召致することではなく、すでに軍務についている軍人を特別教育のため指名することである。以下同じ。
^ 演習場地名が「本地ヶ原」ではなく「本地原」は陸軍演習場規則による。『昭和13年「來翰綴(陸普) 第1部」(防衛省防衛研究所)』 アジア歴史資料センター Ref.C01005077900 『來翰綴(陸密)第1部昭和15年(防衛省防衛研究所)』 アジア歴史資料センター Ref.C01007790300 
^ 軽爆撃機運用の教育と研究等は同時に新設された鉾田陸軍飛行学校が担当した。
^ ここでいう軍隊とは、陸軍全体を「軍隊」「官衙(かんが)」「学校」「特務機関」に類別した場合のひとつ。司令部を含めた師団等や部隊の総称と考えてよい。『陸軍読本』52頁
^ 陸軍では教育を担当する将校を教官、教官を補佐する下士官を助教とした。
^ 同時に下志津教導飛行師団と鉾田教導飛行師団にも司令部偵察機による各1個中隊の編成が下令された。
^ 飛行隊長は新海希典少佐。
^ 戦隊長は草刈武男少佐。
^ 同時期に鉾田教導飛行師団に対し、双発軽爆撃機を使用した特別攻撃隊の編成が内示された。
^ 飛行隊長は大西豊吉中佐。
^ 富嶽(ふがく)、萬朶(ばんだ)の隊名は、参謀総長梅津美治郎大将が藤田東湖の漢詩「文天祥正氣ノ歌ニ和ス(正気の歌)」?「天地正大気 粹然鐘神州 秀爲不二嶽 巍巍聳千秋 注爲大瀛水 洋洋環八州 發爲萬朶櫻 衆芳難與儔(後略)」からとり命名した。『比島捷号陸軍航空作戦』347頁
^ 軍令の名称は「第二十戦闘飛行集団司令部 教導飛行師団等臨時編成(編制改正)第三百五十四次復帰要領」(原文は旧字体)。
^ 河島慶吾(かわしまけいご)陸軍中佐。1900年5月3日生まれ、陸軍士官学校第33期卒業(砲兵科)。野砲兵第7連隊附少尉時代に陸軍航空学校第17期操縦学生となる。航空兵科設立とともに転科。飛行第1連隊附を経て飛行第7連隊中隊長、浜松陸軍飛行学校教官を歴任。終戦時の階級は陸軍大佐。 ⇒陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 大正12年9月1日調彙報 学生入校『官報』第3438号、1924年2月12日陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 大正14年9月1日調陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 昭和7年9月1日調陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 昭和11年9月1日調『陸軍異動通報 昭和19年12月26日?20年11月22日(防衛省防衛研究所)』 アジア歴史資料センター Ref.C12120963500 

出典^ 『陸軍航空の軍備と運用(1)』26-27頁
^ 『陸軍航空の軍備と運用(1)』61-62頁
^ 『陸軍航空史』39頁
^ 『陸軍航空の軍備と運用(1)』89-90頁
^ 『陸軍航空兵器の開発・生産・補給』35-37頁
^ 『陸軍航空作戦基盤の建設運用』14頁
^ 『御署名原本・大正八年・勅令第百十一号・陸軍航空部令(国立公文書館)』 アジア歴史資料センター Ref.A03021185100 
^ 軍令 陸第8号 ⇒『官報』第2006号、1919年4月14日
^ 軍令 陸第8号 陸軍航空学校条例 ⇒『官報』第2006号、1919年4月14日


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