浜松陸軍飛行学校
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歴代監督官
飛行第7連隊練習部

浜松陸軍飛行学校の前身となった飛行第7連隊練習部の部長は次のとおり。

春田隆四郎 少佐:1925年5月1日
[73] - 1926年8月6日(1925年8月7日、中佐に進級)[74]

井下忠助 少佐:1926年8月6日[75] - 1928年3月24日(1927年3月1日、中佐に進級)[76][77]

値賀忠治 中佐:1928年3月24日[78] - 1929年8月1日[79]

佐藤覚一 少佐:1929年8月1日[80] - 1930年8月1日[81]

佐々誠 中佐:1930年8月1日[82] - 1931年8月1日[83]

下重長四郎 中佐:1931年8月1日[84] - 1932年8月8日[85]

本名文誠 少佐:1932年8月8日[86] - 1933年8月1日

浜松陸軍飛行学校

浜松陸軍飛行学校の設置により初代の校長は飛行第8連隊長、値賀忠治大佐が補職された。1935年8月より校長は中将または少将とされた[87]

値賀忠治 大佐:1933年8月1日[88] - 1935年8月1日

佐野光信 少将:1935年8月1日[89] - 1937年8月2日(1936年3月7日、中将に進級[90]

牧野正迪 中将:1937年8月2日 - 1938年6月1日

増野周万 少将:1938年7月15日 - 1939年8月1日 (1939年3月9日、中将に進級[91]

寺本熊市 少将:1939年8月1日 - 1940年8月1日

儀峨徹二 中将:1940年8月1日 - 1941年10月15日

須藤栄之助 少将:1941年10月15日 - 1943年1月29日

山本健児 少将:1943年1月29日 - 1944年6月10日[92]  

 欠  員 :1944年6月10日 - 1944年6月20日

浜松教導飛行師団

教導飛行師団編成により、それまでの校長職は教導飛行師団長となった。ただし通常の飛行師団長の階級が中将であり天皇より直接辞令を受ける親補職であるのに対し[93]、教導飛行師団長の階級は中将または少将とされ親補職ではなかった[94]

川上清志 少将:1944年6月20日 - 1944年11月27日

星駒太郎 少将:1944年11月27日 - 1945年7月10日

三方原教導飛行団

浜松教導飛行師団とともに三方原教導飛行団が編成された。初代の飛行団長には関東軍化学部長山脇正男少将が補職された[95]

山脇正男 少将:1944年6月20日 - 1945年4月15日[96]

岡田猛次郎 大佐:1945年4月15日 -

教導飛行師団

下志津教導飛行師団、明野教導飛行師団、浜松教導飛行師団、鉾田教導飛行師団、常陸教導飛行師団、宇都宮教導飛行師団は統合改編され単一の教導飛行師団(司令部:栃木県芳賀郡)となり、浜松には第4教導飛行隊が置かれた。

師団長

橋本秀信 中将:1945年7月16日[97] -

第4教導飛行隊隊長

新原季人 中佐:1945年7月18日[98][99] -

脚注
注釈^ Jacques-Paul Faure (1869-1924)。フランス陸軍砲兵大佐、最終階級は陸軍少将。『大日記甲輯 大正08年(防衛省防衛研究所)』 アジア歴史資料センター Ref.C02030896700 『日本陸軍航空秘話』13頁
^ 団体名は陸軍部内文書の「佛國航空團」にもとづく。『大日記乙輯大正8年(防衛省防衛研究所)』 アジア歴史資料センター Ref.C03011253900 
^ 分科(ぶんか)とは、用兵上の分担および使用する器材による区別のこと。
^ 班長は坂本真彦歩兵大尉。
^ 材料廠(ざいりょうしょう)とは、器材の組み立てや修理および管理などを行う部署のこと。
^ 当初は愛知県豊橋市に駐屯を予定していたが、同地では飛行場等の用地の取得が順調でなく、浜松周辺に変更された。
^ 学校令条文ママ。


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