浄瑠璃
是非お友達にも!
◇暇つぶし何某◇

[Wikipedia|▼Menu]

「浄瑠璃」のその他の用法については「浄瑠璃 (曖昧さ回避)」をご覧ください。

浄瑠璃(じょうるり)は、三味線伴奏楽器として太夫が詞章(ししょう)を語る音曲・劇場音楽である。

詞章が単なるではなく、劇中人物のセリフやその仕草、演技の描写をも含み、語り口が叙事的な力強さを持つ。このため浄瑠璃を口演することは「歌う」ではなく「語る」と言い、浄瑠璃系統の音曲をまとめて語り物(かたりもの)と呼ぶ。

江戸時代初期以降、個々の太夫の口演が「――節」と呼ばれるようになり、その後流派として成立して、現在は義太夫節[注 1]河東節一中節常磐津節富本節清元節新内節宮薗節(薗八節)の8流派が存在する。

単独で素浄瑠璃として演じられるほか、流派によっては人形劇である人形浄瑠璃として(文楽など)、歌舞伎音楽として、日本舞踊の伴奏として演じられる(流派ごとの上演形態については後述)。


目次

1 歴史

1.1 起源

1.2 古浄瑠璃

1.3 新浄瑠璃(当流)


2 芸脈

3 脚注

3.1 注釈

3.2 出典

3.3 参考文献


4 関連項目


歴史
起源傀儡子

戦国時代ごろの御伽草子の一種『浄瑠璃十二段草子』。作者は「百家系譜」によれば小野阿通という織田信長に仕える侍女で、大病のため静養していた信長のために三味線を用いて語ったという説が江戸時代までは有力であったが、現在までに様々な学者により議論が進められ、享禄4年(1531年)の「宗長日記」には、少なくともそれ以前から浄瑠璃(十二段草紙)が存在していた、との記述があり、それを当道座に所属していた琵琶法師によって、平曲(平家物語を琵琶により伴奏して語ったもの)に次ぐ新たなものとして扱われ、滝野検校によって節づけがなされ、はじめ琵琶で演奏されていたものが、虎沢検校に師事した沢住検校によって三味線を用いて語るようになり、それを小野阿通が信長に聞かせたという説が一般的である。
浄瑠璃物語(浄瑠璃姫十二段草紙)
浄瑠璃御前(浄瑠璃姫、もしくは三河国矢矧宿の遊女)と牛若丸の情話に薬師如来など霊験譚をまじえたものを語っての功徳を説いた芸能者にあるとするのが通説であり、「浄瑠璃」の名もここから生まれたものである。その内容はだいたいにおいて享禄年間(1528?32年)には完成していたと考えられる。最初期は平曲謡曲説経節などの節付けに学んで扇拍子を伴奏にしたようだが、永禄年間(1558?1570年)に琉球から三線が渡来し、これが三味線へと発達するにしたがって飛躍的な成熟を遂げることになる。三味線をいち早く音曲に取入れたのは上方盲人であったが(上方地歌)、沢住検校が浄瑠璃と合体させ、さらに文禄年間(1593?1596年)にいたってこれが傀儡子(くぐつし)の伴奏として用いられるようになり、現在にまでいたる浄瑠璃音曲が完成してゆく。浄瑠璃姫十二段草紙の構成は下記のとおり。

一段 「申し子の段」 - 姫父母の素性。申し子すなわち神仏に子を願うこと。浄瑠璃の由来。

二段 「花そろえの段」 - 姫の庭に咲く美しい花の描写。

三段 「美人そろえの段」 - 姫の侍女たちの美を形容。

四段 「そとの管弦の段」 - 姫と侍女たちの管弦に、牛若丸が門外で笛を合わせる。

五段 「笛の段」 - 牛若の服装と容姿の美に侍女たちが騒ぐ。

六段 「使ひの段」 - 姫が使いを出し歌によって牛若の心を引き、謎かけをする。

七段 「忍びの段」 - 牛若が忍び入ろうと、故事を引き、姫の心をうかがう。

八段 「枕問答」 - 仏法になぞらえて姫に問い詰め、姫が負けて無言になる。

九段 「やまとことばの段」 - さらにやまとことばで問い続け、姫に口を開かせる。

十段 「御ざうつりの段」 - 一夜の契りの後、朝の別れ。

十一段 「吹上の段」 - 吹上の浦で牛若が奇病にかかり、姫が八幡山の知らせで駆けつける。

十二段 「御曹司東くだりの段」 - 両人は記念の品を交わし、牛若は奥州に下る。
浄瑠璃『本朝廿四孝』の八重垣姫。上杉謙信の娘、武田勝頼許婚として登場する。画/橋本周延(1838年 - 1912年
古浄瑠璃

浄瑠璃が本格的な芸術性を備えるようになるのは江戸時代に入ってからである。浄瑠璃に節づけをした滝野検校の門人である杉山丹後掾と、浄瑠璃に三味線をはじめて用いた沢住検校の門人の薩摩浄雲によって京から江戸へともたらされた浄瑠璃という三味線音楽は、彼らの門下によって多くの流派にわかれ、世人に大いに受入れられるようになっていった。

杉山丹後掾の門下からは、江戸肥前掾(肥前節)、近江大掾語斎(語斎節)、江戸半太夫(半太夫節)。薩摩浄雲の門下からは、桜井丹波少掾(金平節・金平浄瑠璃)、薩摩外記(外記節)、内匠土佐少掾(土佐節)、井上播磨掾(播磨節)、虎屋永閑(永閑節)、宇治加賀掾(嘉太夫節)、別系統で伊藤出羽掾(出羽節)、二代目岡本文弥(文弥節)など多くの古浄瑠璃太夫が現れ、号を受領した太夫も多かった。日本邦楽史では、近松門左衛門竹本義太夫のために書いた『出世景清』(貞享3年/1686)が従前にはない物語性を持った革命的な浄瑠璃作品であることから、それ以前に出た浄瑠璃を「古浄瑠璃」、以後を「新浄瑠璃」あるいは「当流」といって区別している。


ご協力下さい!!
■暇つぶし何某■

[次ページ]
[記事の検索]
[おまかせリスト]
[ブックマーク登録]
[mixiチェック!]
[Twitterに投稿]
[オプション/リンク一覧]
[話題のニュース]
[列車運行情報]
[暇つぶしWikipedia]

Size:29 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:FIRTREE