河川総合開発事業
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河川総合開発事業(かせんそうごうかいはつじぎょう)とは、河川管理者が事業主体となって行う総合的な河川開発のこと。
目次

1 概要

2 河川開発の歴史

3 日本の河川総合開発

3.1 河水統制事業

3.2 特定地域総合開発計画

3.3 法整備?特定多目的ダム法と新河川法?

3.4 水資源開発促進法


4 問題点

4.1 住民の反発

4.2 環境への影響


5 今後の課題

6 参考資料

7 脚注

7.1 注釈

7.2 出典


8 関連項目

概要

河川総合開発事業は、一級水系二級水系を問わずその水系を一貫して開発し、それによって建設された河川施設によって治水と利水を効率的に行うために事業が行われる。このため、事業の適用範囲は単に一河川に留まらず、複数の支流を含めた開発、更には複数の水系を跨いだ大規模な事業として遂行されるケースも多い。

通常はダム建設を事業の中心として、治水に関しては堤防の建設や修繕、河床掘削、遊水池放水路の建設を流域の降水量・地域特性に応じて組み合わせ、利水に関しては用水路導水路調整池を建設して下流受益地に効率的に水供給を図るほか、水力発電所を建設することによって電力供給も行う。このため、根幹施設となるダムは多目的ダムであることが通常は必要条件となる(一部例外あり)。それ故、河川管理者が計画する『河川総合開発事業』とは、単にダム計画を指すことが多い。

ダム



遊水池

放水路

河川開発の歴史

古代中国の『治河興利』という言葉にあるように、古代から時の為政者によって行われて来た。古代エジプトではアンメネメス3世がモリス湖に総貯水容量50億トンの小堰堤(堤高2.5m)を設け洪水調節灌漑用水の供給を図ったという記録が残されている。その後、水不足に悩むヨーロッパ諸国において、主に利水目的を中心とした治水目的を兼備する多目的貯水池の計画・建設が19世紀以降各河川で行われだした。

フランスではロアール川1858年洪水調節池が既に建設されている。ドイツにおいては1833年よりダム建設が進められていたが、19世紀後半になると多目的ダムに関する理論や技術研究が発展し、法整備にまで進展するようになった。

アメリカ合衆国においてはコロラド川におけるフーバー・ダムの建設を契機として河川開発の機運が高まった。大統領フランクリン・ルーズベルトニューディール政策を発表。1933年以降、ミシシッピー川支流のテネシー川に20以上の多目的ダムを建設するとともに、河川開発のために半官半民のテネシー川流域開発公社(TVA)が設立され、洪水調節、水力発電、水資源開発、森林開発、衛生管理(水位操作による蚊の発生の抑制)、湖水のレクリエーションへの利用など流域の土地管理を含めた総合的な開発を推し進めた[1]

戦後はソビエト連邦が五ヵ年計画に基づきドニエプル川ボルガ川エニセイ川等で大規模ダムを建設し洪水調節と水力発電を図り、中国においても孫文が提唱した長江総合開発を始め黄河淮河等の主要河川において大規模ダム(三峡ダム・三門峡ダム等)が建設された。インドでは1947年よりダモダル川総合開発事業が行われている。エジプトにおいてはナイル川総合開発事業としてアスワン・ハイ・ダムが建設され、ナイル川下流の洪水調節と農地拡大を実現したが、反面ナイル・デルタの縮小や気候変動などの副作用が生じている。反面ヨーロッパ諸国においてはダム等による河川総合開発は治水達成度が各河川でほぼ100%になる等完成に向かい、ドナウ川では1万年に1度の洪水に対処できる治水計画が完成した。こうした治水計画の完成と環境への負荷が大きいとの理由からダム事業は行われなくなり、現在は自然に近い形での遊水池建設などを行っている。
日本の河川総合開発
河水統制事業 鬼怒川河水統制事業
五十里ダム(男鹿川・国土交通省 相模川河水統制事業
相模ダム相模川神奈川県 北上川上流改修事業
田瀬ダム猿ヶ石川・国土交通省)

日本において河川総合開発の理論を提唱したのは、当時内務省土木試験所所長の職にあった物部長穂である。物部は1926年(大正15年)に発表した自身の論文において多目的貯水池による水系一貫の総合的河川開発の必要性を述べた。これは『河水統制計画』案と呼ばれ、『害水を変じて資源と為す』という思想の下で国土整備と経済発展のために治水と灌漑、水力発電を統一して事業を行うことの重要性を示した。萩原俊一はこれに加え、河川管理者の一元化も指摘した。このような河川計画はアメリカのTVAの影響を大きく受けており、当時の日本における社会的・経済的背景に沿うものとして注目された。

既に利根川水系において1926年(昭和元年)に日本初の多目的貯水池として五十里ダム(男鹿川)が計画され、1933年(昭和8年)には庄内川水系において日本初の河川総合開発事業である『山口川河水統制事業』が完成した。これは支流の山口川山口ダムを設け、洪水調節・灌漑・上水道を目的とするものであった。物部が提唱した『河水統制計画』案は当時内務省の官僚であった青山士(あおやま・あきら)によって採用され、1937年(昭和12年)には予算化され正式な国策として全国64河川において調査が開始された。こうして河水統制事業はスタートし、内務省の他逓信省農務省も参加し企画院において事業調整が図られることとなった。

調査の結果、奥入瀬川・浅瀬石川・鬼怒川江戸川相模川錦川小丸川の7河川と諏訪湖が第一次の河水統制事業対象河川となった。これに伴って多目的ダムの建設が日本においても本格的に行われ出し、沖浦ダム(浅瀬石川)・向道ダム(錦川)・相模ダム(相模川)等のダムが計画・建設されるようになり1940年(昭和15年)には向道ダムが国内で初めて完成・運用された。これらの事業は何れも都道府県が事業主体で、国庫補助を受けながら行われており後の補助多目的ダム事業へと繋がっていく。湖沼に関しても日本最大の琵琶湖を始め猪苗代湖青木湖等で治水と水力発電、灌漑を目的に電力会社等との共同事業として事業が進められた。

一方内務省直轄事業として着手されたのが北上川である。『北上川上流改修事業』として北上川と主要な支流に多目的貯水池を建設して洪水調節と灌漑、上水道供給を図ろうとした。


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