江戸っ子
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江戸っ子(えどっこ、江戸っ児)とは、徳川時代の江戸で生まれ育った住民を指した言葉で、特定の気風を持った者を指す事が多い。


目次

1 概要

1.1 成立


2 江戸っ子の概念

3 近代・現代文化における「江戸っ子」

4 現代の住人としての江戸っ子

5 関連項目

6 脚注

7 参考文献


概要

江戸時代初頭の日比谷入江の埋立などにより、江戸城武家屋敷を取り巻く広大な惣構(そうがまえ)が構築され、江戸は「大江戸八百八町」とも称される大都市へと発展を遂げ、近世日本を代表する都市のひとつとなった。武家による都市の生成とともに、その立地から各町に商工業が隆盛し、江戸文化にみえる気質を持った都市住民が各町で成立した。俗謡の「意気深川いなせ神田(佃節)」などに代表される、このような気質を持った江戸庶民を「江戸っ子」と称した。
成立

江戸住民を指す呼称としては、古くは「江戸もの」と呼び、明和以前には「江戸っ子」という表現は見受けられない。文献上の最古のものは明和8年(1771年)に作られたと思われる川柳「江戸ッ子のわらんじをはくらんがしさ」という句である[1][2]。また寛政9年(1797年)発行の洒落本『廓通遊子』にも江戸っ子という表記が見られる[3]文化文政年間頃には「江戸っ子」を自称するものが増加しているという指摘がなされている[3]。この頃には江戸っ子は「浅薄で、向こう見ずで、喧嘩っ早い」という形容が成されていた[4]

浜田義一郎、石母田俊、西山松之助らは江戸っ子の成立は明和期からであるとし、三田村鳶魚竹内誠、川崎房五郎は文化文政期に成立したと見ている。また西山は江戸っ子概念の源流は宝暦期の紀伊国屋文左衛門奈良屋茂左衛門といった、遊郭で男伊達を競った豪商たちにあるとしている[5]

江戸時代に近世日本を代表する都市のひとつとなった江戸は、武家の町として発展するとともに、特色ある文化や気質を持った江戸庶民(都市住民)が派生した。
江戸っ子の概念

多くの研究者は江戸っ子の性格として「見栄坊」「向こう見ずの強がり」「喧嘩っ早い」「生き方が浅薄で軽々しい」「独りよがり」などの点をあげている[2]。また「江戸っ子は三代続いて江戸生まれでなければならない」という概念もよく知られている[6]。また江戸っ子の性格をあらわす表現としては「江戸っ子は五月の鯉の吹き流し[7]」、「江戸っ子の生まれ損ない金を貯め」という川柳に見られるような「江戸っ子は宵越しの銭は持たぬ」という金離れの良さを著した言葉がある。現代に見られる類型的な江戸っ子像として「金離れが良く、細かい事にはこだわらず、意地っ張りで喧嘩早く、駄洒落ばかり言うが議論は苦手で、人情家で涙にもろく正義感に溢れる」・「いきでいなせ」などと表現される短気・気が早い、などとも言われ、江戸っ子気質(えどっこかたぎ)などとも呼ばれている。

江戸っ子の研究の先駆者である三田村鳶魚はこうした「江戸っ子」はいわゆる町の表通りに住む「町人」とは異なり、裏店の長屋に住む火消し武家奉公人、日雇いの左官・大工などが江戸っ子の頭分にあたるとしている[8]。三田村は東海道中膝栗毛浮世床等で江戸っ子をからかったものが多いのは、こうした「江戸っ子」達が本を読むことがない無学な者であったからとしている[9]。三田村は幕末に至る景気後退の中で、こうした江戸っ子達は徐々に姿を消していったとしている[10]

1980年(昭和55年)に『江戸っ子』を著した西山松之助は、江戸時代に著された江戸っ子に関する書籍を調査し、江戸っ子を「自称江戸っ子」と「本格の江戸っ子」に分類した。それによると「徳川将軍家のお膝元である江戸に生まれ」、「宵越しの金を使わない」、「乳母日傘で過ごした高級町人」、「市川團十郎を贔屓とし、『いき』や『はり』に男を磨く生きのいい人間」が本格の江戸っ子像であるとし、「喧嘩っ早い」などの性格はこの変形や半面に過ぎないとした[11]

天明期の戯作者山東京伝は、こうした江戸っ子をデフォルメし「江戸っ子」を自称する人物を作品に登場させた[5]。京伝は1787年(天明7年)発刊の『通言総籬』において、気負いだった空回りする江戸っ子を描き、多くの支持や亜流を産んだ。『通言総籬』には以下のような江戸っ子の口上が記載されている。

金の魚虎(しゃちほこ)をにらんで、水道の水を産湯に浴びて、お膝元に生まれ出でては、拝搗の米[12]を喰って、乳母日傘で長(ひととなり)、金銀の細螺はじきに、陸奥山も卑きとし、吉原本田の髣筆の間に、安房上総も近しとす、隅水(隅田川)の?も中落は喰ず、本町の角屋敷をなげて大門をは、人の心の花にぞありける、江戸っ子の根性骨、萬事に渡る日本ばしの真中から・・・(後略)?山東京伝『通言総籬』、[13]


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