江別古墳群
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江別古墳群
江別古墳群
別名後藤遺跡
所在地〒067-0032北海道江別市元江別858番4
位置北緯43度7分1.5秒
東経141度30分58.9秒座標: 北緯43度7分1.5秒 東経141度30分58.9秒
形状末期古墳
築造時期飛鳥、奈良、平安時代前期
史跡国の史跡
特記事項日本最北の古墳群
地図江別古墳群
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江別古墳群(えべつこふんぐん)は、北海道江別市にある群集墳である。国の史跡に指定されている。日本にあるものの中では最も北に位置する古墳として知られる。
目次

1 概要

2 脚注

3 関連項目

4 参考文献

5 外部リンク

概要

古墳時代に古墳が盛んに造られたのは畿内を中心として北部九州から南部東北にかけての一帯であるが、北海道内にもわずかながら古墳は現存している。ただし、それは古墳時代(3世紀-6世紀)のものではなく、蝦夷征討の盛んに行われた飛鳥時代奈良時代平安時代前半すなわち律令時代に築造され、当時この地域で栄えていたといわれる擦文文化前半の時期に相当する。北海道の古墳で、現在発見されているのは恵庭市および江別市においてであり、なかでも江別古墳群は最北端に位置している。

江別古墳群は、江別市元江別の旧豊平川の段丘上にある。1931年に小学校の教師だった後藤寿一によって発見された。当時の資料によれば円墳20数基が確認され、うち16基について調査が行われた。以降、遺跡は後藤遺跡と呼ばれてきた[1]。1980年に高速道路関連の工事に伴って再調査が実施され21基の古墳が確認されたが、その後の工事によって3基が破壊された。

1998年に「江別古墳群」の名称で国の史跡に指定された[2]

江別古墳群は7世紀から9世紀頃に築かれたと考えられている。個々の古墳は、直径3メートルから10メートル、高さ0.3メートルから1メートルの円形あるいは長円形の墳丘と、環状あるいは馬蹄形の周溝から構成されている。周溝の大きさは、直径8メートルから10メートルの大型のもの、5メートルから7メートルの中型のもの、5メートル以下の小型のものに区分される。元々はもう少し高さがあったようであるが、現在は風雨によって浸食されている。

江別古墳群は東北地方北部に分布する末期古墳と似た構造を持ち、また古墳から出土した遺物には本州からもたらされたと思われる須恵器鉄鏃、刀子、鋤先などがあった。この墓の被葬者については、東北北部と交流をもった北海道の有力者であるという説と東北地方からの移住者という説の2つがある[3]。いずれにしても、これらは当時の北海道と本州との交流を知る上で貴重な遺物でもある。
脚注^ 同名の縄文時代の遺跡が栃木市藤岡町都賀にある(後藤遺跡)。
^江別古墳群 - 国指定文化財等データベース(文化庁
^ 『北の古代史をさぐる 擦文文化』(1997)

関連項目

群集墳

北海道・東北の史跡一覧

日本の古墳一覧

擦文時代

参考文献

北海道開拓記念館編集『北の古代史をさぐる 擦文文化』北海道開拓記念館・開拓の村文化振興会、平成9年10月。

外部リンク

「北海道デジタル図鑑」;北の地に開いた2つの花、擦文とオホーツク文化

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更新日時:2017年8月22日(火)15:05
取得日時:2018/11/19 15:49


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