横浜港
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横浜港
横浜港大桟橋
所在地
日本
所在地神奈川県横浜市
座標北緯35度27分2秒 東経139度39分56秒? / ?北緯35.45056度 東経139.66556度? / 35.45056; 139.66556座標: 北緯35度27分2秒 東経139度39分56秒? / ?北緯35.45056度 東経139.66556度? / 35.45056; 139.66556
詳細
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地理院地図Googleマップ 横浜港

横浜港(よこはまこう)は、神奈川県横浜市東京湾岸にある港湾である。港湾管理者は横浜市。港湾法上の正式名称は横浜港だが、港内の船舶交通を図る港則法では京浜港横浜区と称される[注 1]。その範囲は鶴見区沖合いより金沢区八景島の辺りまで7,315.9haに及ぶ[1]

東アジアの大規模港に対抗するため新たに設けられた国際戦略港湾・京浜港(ハブ港)の一翼を担い、国土交通省より「国際コンテナ戦略港湾」の指定も受けている。1859年7月1日安政6年6月2日開港。いわゆる「安政の開国」による開港五港である。金港の美称を持つ。他に関税法施行令上の開港で国際貿易港(五大港)、日本三大貿易港などに含まれる。


目次

1 概説

2 歴史

2.1 神奈川湊

2.2 黒船来航と横浜開港

2.3 開港後[1](太平洋戦争終結まで/国営港湾時代)

2.4 開港後[2](戦後-現在/市営港湾時代)

2.5 現在の横浜港

2.6 横浜港の客船寄航数

2.7 記念事業

2.7.1 開港50周年

2.7.2 開港100周年

2.7.3 開港130周年

2.7.4 開港150周年


2.8 年表


3 港湾概要

3.1 面積

3.2 埠頭

3.3 岸壁

3.4 港勢

3.5 港湾緑地


4 航路

5 フィクション・作品の舞台

6 脚注

6.1 注釈

6.2 出典


7 参考情報

7.1 関連文献


8 関連項目

9 外部リンク


概説

横浜港は1858年7月29日(安政5年6月19日)に締結された日米修好通商条約(安政五ヶ国条約)に基づき1859年7月1日(安政6年6月2日)に武蔵国久良岐郡横浜村(横浜市中区の関内付近)に開港され、生糸貿易の中心港としてまた京浜工業地帯の工業港、東京の外港として大きく発展した。

当初は現在の神奈川県庁本庁舎付近(中区日本大通)にあった運上所(税関)の沿岸に東西2つの波止場が設けられて貿易が始まったが、大正期間にかけ新港埠頭などの港湾施設が整備されたことにより神戸港とともに東西の国際貿易港として日本の近代化を牽引した。

第二次世界大戦の際の空襲とその後の連合国軍駐留により大きな打撃を受けたものの、1950年昭和25年)制定の港湾法に基き、翌1951年(昭和26年)には横浜市が港湾管理者となり戦前の国営港湾から終戦直後の連合国軍接収時代を経て市営港湾化された。1950年(昭和25年)に制定された横浜国際港都建設法の下、国際港都・横浜の中心的施設として整備。現在では横浜市の東京湾沿岸ほぼ全域に広がり、10ヶ所の埠頭と249のバース(岸壁)を有する。外貿コンテナ取扱個数は東京港に次ぐ国内第2位であり、東日本を代表するコンテナポート。またクルーズ客船の発着港としても寄港数で2003年平成15年)に初めて国内港湾第1位となって以来、その地位を保っている。

入港船舶数は全国1位(43,400隻、2005年(平成17年))、海上出入貨物量は全国2位(1億3328万トン、同)、外国貿易額は全国3位(104億円、同)。
歴史
神奈川湊日本海軍水路寮作成海図「武藏國横濱灣」の一部(明治7年(1874年)刊行)。神奈川湊沖は遠浅で、横浜港沖は水深が急速に深くなっている。

横浜港域における歴史は鎌倉幕府の国際玄関港として繁栄していた六浦湊(現在の横浜市金沢区)の存在にまで遡ることが出来るが、原型は神奈川湊(かながわみなと)の方にあると考えられている。神奈川湊は、武蔵国橘樹郡神奈川(現在の神奈川県横浜市神奈川区神奈川本町、青木町付近)にあった。

神奈川湊は中世から東京湾内海交通の拠点の1つとされ、鎌倉幕府が置かれた13世紀以降、湾内の物流が活発になると共に神奈川湊も発展して行く。記録によれば室町時代1392年明徳3年/元中9年)の段階で東京湾の主要積出港の1つとして機能していたことが明らかになっている。神奈川湊とその湊町は鎌倉時代には鶴岡八幡宮が支配し、室町時代には関東管領上杉氏の領地となった。その後、戦国時代には後北条氏の家臣である多米氏が支配し1590年天正18年)に徳川家康江戸に入府するとその支配下に入った。1601年慶長6年)、神奈川湊の湊町は神奈川宿として東海道宿場となり以後江戸幕府の直轄地とされた。

江戸の発展に伴い全国各地からの物資輸送と江戸湾(東京湾)内海交通が活発となり、神奈川湊など湾内の各湊でも廻船業(廻船問屋)を営む者が現れた。
黒船来航と横浜開港

1853年嘉永6年)、アメリカ合衆国ペリー提督率いる黒船浦賀沖に来航(黒船来航)。翌1854年(嘉永7年)には再度来航し幕府の態度が表明されるまでの間、六浦湊外周の小柴舳沖(武蔵金沢藩(六浦藩)=横浜市金沢区)に2ヶ月間投錨。厳重な態度の幕府や乙舳海岸に陣を張り物々しい六浦藩とは裏腹に、民間レベルでは漁師の獲った魚や艦隊側のビスケットを差し入れし合うなどいち早くフランクな異文化交流が行われていたと記録されている。その後、幕府は神奈川湊の対岸にある武蔵国久良岐郡横浜村に応接所を設置してペリー一行を上陸させ協議に臨んだ結果、日米和親条約(神奈川条約)を締結した。その後、1858年(安政5年)には神奈川沖小柴に浮かぶポーハタン号上で結ばれた日米修好通商条約安政五カ国条約)により神奈川の開港が定められた。


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