植民地
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植民地(しょくみんち、殖民地とも)とは、国外に移住者が移り住み、当事国政府支配下にある領土のことで統治領(とうちりょう)とも呼ばれる。

古代史にはフェニキア古代ギリシアにも見られるが多くは植民元との関係は維持しつつ独立した体制となっており、侵略によって獲得した海外領土の類型は古代ローマに見られる。近年はヴェネチアなどが行った東地中海における植民地経営をそれ以降の植民地支配と連続した流れと考える向きもある。

以下では16世紀に始まるいわゆる「大航海時代」以降ヨーロッパ各国が侵略によって獲得した海外領土を主として扱う。近現代においては、本国政府の憲法や諸法令が原則として施行されず、本国と異なる法的地位にあり、本国に従属する領土を植民地という。

また、植民地に対して従属させて、それらを所有している本国のことは「宗主国」と呼ばれる。
目次

1 総論

1.1 語源

1.2 概要

1.3 統治形態

1.4 土地政策

1.5 差別・分離政策

1.6 植民地出身者の処遇

1.7 立法

1.8 行政

1.9 司法

1.10 植民地主義

1.11 現存する植民地

1.12 類推

1.13 事実上の植民地

1.14 植民地支配に対する評価


2 各論

2.1 ヨーロッパ諸国

2.1.1 スペインとポルトガル

2.1.2 イギリス

2.1.3 フランス

2.1.4 オランダ

2.1.5 ロシア(ソビエト社会主義共和国連邦)

2.1.6 その他のヨーロッパ諸国


2.2 アジア諸国

2.2.1 日本

2.2.1.1 大日本帝国時代の統治地域

2.2.1.2 「外地」と植民地

2.2.1.3 日本の内地以外の支配地域を植民地とすることへの異論、反発


2.2.2 中華人民共和国

2.2.2.1 チベット等

2.2.2.2 朝鮮半島


2.2.3 オマーン

2.2.4 イスラエル


2.3 アメリカ合衆国


3 新植民主義

4 脚注

5 文献情報

6 関連項目

総論
語源

英語の「colony」の語幹「col-」はラテン語「colere」に由来し「耕す」意。cult-も同意でculturで「耕作」「教養」。

日本での植民・移民の研究は明治中後期の頃であり1898年(明治31年)には木村亮吉により『於東洋英国植民政策』(ヂヨゼフ・ジヱレイベール fr:Joseph Chailley著)が翻訳出版されている。但し「西欧列強による有色人種奴隷化」については近代以前から認知されており、豊臣秀吉の時代にすでにポルトガル人による奴隷売買が知られており、バテレン追放令の原因のひとつに挙げられることがある。幕末においてもアヘン戦争敗北による中国人の奴隷化が知られていた。明治政府は開国以来、外国人の関係する「人権問題」に否応なく巻き込まれるようになった[1]
概要

古代にも植民地はある[2]が、「植民地」の規模をそれまでにないほど拡大したのは近代西欧諸国の産業資本主義の資源収奪要請によってである。

初期にはポルトガル海上帝国スペイン帝国オランダ海上帝国が、19世紀から20世紀にかけてはフランス植民地帝国イギリス帝国が、植民地交易によって多大な利益を上げた。沼沢地や無寥地を干拓・開拓し耕作地に変えるために住民を募集し開拓することは本来の意味での植民あるいは移民であり、現代の通例ではこのような観点から植民地が話題になることは少ない。焦点となるのは従来の土地占有者(原住民)への迫害や土地簒奪、先住民の奴隷化や略奪的経営、それにともなう暴力行為や財産権の侵害行為である。あるいは現代的な観点による民族自決における名誉の観点である。

一般に帝国主義先進国が植民地を原料工場・市場として経営するとともに、住民を政治・文化・言語的に抑圧支配する。植民地を獲得する過程では、ほとんどのケースで在来住民との軍事的な衝突が起こり、その全殺戮にいたることもある。スペインによるアメリカ大陸の植民地化イギリスによるアメリカ大陸の植民地化の過程ではしばしば現地住民が激減し、フランスもカリブ海西インド諸島のマルティニーク島の原住民を1658年に殲滅し、純粋な島民は絶滅した[3]。南太平洋の島嶼部では労働者として現地住民を雇用しても成功しないというのが定説であった。白人と接触以降に現地人人口が激減することも多く(ハワイやフィジー、サモアなど)、他の領土から労働者を移住させざるをえない状況がしばしば発生した[4]

現地住民との混血や本国国籍人の現地での浮浪化などは、しばしば民政や法的な問題を発生させた。アヘン覚醒剤ビジネスは植民地経済に根付くことが多かった。

平和的プロセスによって植民地が獲得される場合もあるが、いずれにせよなんらかの形で獲得したあとは、その植民地を統治・経営(植民地経営)することになる。その過程を植民地化という。

1804年、フランス革命に触発されたハイチが非白人国家としては近代史上はじめて独立して以来、旧植民地諸国は現在にいたるまで数多く独立していった。ただし先進国が独立を認めた背景には、世界経済システムの変容があるといわれる[5]。こうした一連の過程を脱植民地化という。
統治形態

植民地の統治形態には、以下のものがある。
領事裁判権租借地租界設定条約による治外法権の確立。

外交権や駐軍権のみを獲得し内政は先住民による統治に任せて原則として干渉しない保護領

現地の王侯や部族長を通じて支配する間接統治。

本国から総督や民政長官、軍政長官などを派遣して支配する直接統治。

本国が外交防衛のみを担当し内政は現地住民によって民選された政府・議会に委ねる自治植民地。ただし「自治」とはいっても、参政権は本国出身者に限定されたり、先住民の参加を認めても公用語(本国の言語)習得や一定額以上の納税などの条件を付けて、事実上の参政権が著しく制限されることが多い。

自国領への併合(この場合も従来の現地住民について、市民権や国籍上の地位に区別が設定されたり、併合領土での立法・行政権など統治形態が異なることがある)

一般的に植民地統治が継続する中で1.あるいは2.から4.までの変遷をたどるケースが多いが、植民地が本国に隣接している場合、最終的に本国領土の一部として編入され、その過程で先住民も同化が進み、固有の言語文化、民族意識を喪失していく傾向にある。

植民地における主権は領有国が有するが、領有国の主権がより限定された租借地租界のまま統治が継続されるケースもある。また、特殊な形態として保護国、複数国による共同統治領、国連の委任統治領信託統治領などがある。
土地政策

主権のある未文明国に関しては共有、行政占領、租借、割譲という概念で領土獲得を行い、そうでない場合はもっとも露骨な領土獲得の根拠として「無主物先占」の法理が利用された[6]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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