東映
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東映株式会社
TOEI COMPANY, LTD.

本社が入る東映会館
種類株式会社
市場情報東証1部9605大証1部(廃止) 9605
本社所在地 日本
〒104-8108
東京都中央区銀座三丁目2番17号
設立1949年10月1日
業種情報・通信業
法人番号6010001034866
事業内容映画の製作、宣伝、配給、興行
代表者代表取締役会長 岡田剛(岡田裕介
代表取締役社長 多田憲之
資本金117億709万2928円
発行済株式総数1億4768万9096株
(2011年3月31日現在)
売上高連結:1088億円
単体:541億円
(2011年3月期)
純資産連結:1056億円
単体:362億円
(2011年3月31日現在)
総資産連結:2133億円
単体:1316億円
(2011年3月31日現在)
従業員数連結:1000名
単体:322名
(2011年3月31日現在)
決算期3月31日
主要株主テレビ朝日ホールディングス 11.30%
TBSテレビ 8.22%
日本トラスティ・サービス信託銀行(信託口) 5.69%
バンダイナムコホールディングス 4.82%
東京急行電鉄 4.06%
フジ・メディア・ホールディングス 3.87%
日本テレビ放送網 3.25%
(2016年3月31日現在)
主要子会社東映ラボ・テック
東映アニメーション
タバック
東映テレビプロダクション
東映ビデオ
東映チャンネル
東映エージエンシー
T-joy
テイ・アンド・テイ映画興行
TOEI TRY△NGLE
関係する人物大川博
岡田茂
渡邊亮徳
黒川渉三
五島慶太
五島昇
高岩淡
白倉伸一郎
外部リンク ⇒http://www.toei.co.jp/
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東映株式会社(とうえい)は、日本映画の製作、配給、興行会社。2013年現在、直営の映画館2館、2つの撮影所東映東京撮影所東映京都撮影所)を保有。テレビ朝日ホールディングスの大株主で、同時にテレビ朝日ホールディングスが東映の筆頭株主になっている[1]
目次

1 概要

2 沿革

3 社風

4 オープニング

5 テレビ

5.1 歴史

5.2 放送枠


6 興行成績

6.1 1999年以前

6.2 2000年以降


7 主要映画

8 主要テレビ作品

8.1 1950年代

8.2 1960年代

8.3 1970年代

8.4 1980年代

8.5 1990年代

8.6 2000年代

8.7 2010年代

8.8 海外作品


9 主な俳優(男性)

9.1 時代劇

9.2 現代劇

9.3 任侠

9.4 実録

9.5 特撮


10 主な俳優(女性)

11 主なプロデューサー

11.1 映画

11.2 テレビ


12 主な監督

13 主な脚本家

14 主な音楽家

15 主なカメラマン

16 その他の作品

17 その他

18 映画興行

19 系列会社

20 脚注

20.1 注釈

20.2 出典


21 外部リンク

概要

劇場用映画の制作、配給、興行を行うほか、洋画の買い付けと配給、テレビ番組の制作、広報映画の制作や教育映画の制作販売を行う総合映像企業。子会社を通じ劇場用アニメーション、テレビ用アニメーションほか各種アニメーションの制作、テレビコマーシャルなど各種コマーシャルフィルムの制作、オリジナルビデオやカラオケビデオの制作販売も行う。また、現像所も持っている。
同業他社に比べて映像部門が多岐にわたる一方で、子会社を通じた事業多角化は古くから行い、かつてはプロ野球やボウリング、交通事業等を手掛け、現在もホテルやゴルフ場、不動産開発事業を行っている。また京都撮影所の一部をテーマパーク化した「
東映太秦映画村」なる観光事業も行っている。
沿革

東京・大泉の旧新興キネマ東京撮影所を買収して貸スタジオ経営を始め、やがて映画製作に進出した太泉映畫1947年10月15日設立)と、1938年(昭和13年)東京横浜電鉄(のちの東京急行電鉄)の興行子会社として東急東横線の沿線開発を目的に設立され、東京渋谷横浜で映画館を経営していたが、戦後大映より京都第2撮影所(旧新興キネマ京都撮影所)を賃借して映画製作に進出した東横映画(1938年6月8日設立)、双方で製作された作品配給のために1949年昭和24年)10月1日設立された東京映画配給株式会社が、制作会社2社を吸収合併。1951年(昭和26年)4月1日、社名を東映株式会社と改めて再出発した。東横映画を吸収した事からもわかるように、設立の背景には東京急行電鉄が大きく関与している。阪急電鉄創業者の小林一三東宝を作ったように、五島慶太は東映を作った[2]。東横映画には、マキノ光雄根岸寛一を中心に、大陸から引き上げた満州映画協会OBが製作スタッフとして参加しており、そのまま東映に移行した彼らは松竹、東宝、大映に継ぐ後発映画会社である「第四系統」として誕生した会社を担うことになる。上記のように企業としては戦後派であるが、東西撮影所は撮影所は坂妻プロ→帝キネ(以上は京都のみ)→新興→大映第二という流れを引き継いでおり、徹底して大衆娯楽路線を重視する姿勢も帝キネや新興の気風を受け継いでいる。

1950年代に入ると、戦前から活躍する時代劇スターの片岡千恵蔵市川右太衛門月形龍之介大友柳太朗らを擁し、さらに東映娯楽版によって若者に人気を得た中村錦之助東千代之介がデビュー。その後大川橋蔵や市川の息子・北大路欣也子役で加わり、東映時代劇ブームを巻き起こして、1956年(昭和31年)には松竹を抜いて配給収入でトップとなり黄金時代を築いた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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