本場所
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本場所(ほんばしょ)は、公益財団法人日本相撲協会によって定期的に行われる大相撲の興行。力士にとっては技量審査の性質があり、本場所での結果に基づき番付の昇降や力士褒賞金の加算が行われる。本場所における取組は公式戦とされ、通算の成績などは本場所のものを採用している。
目次

1 概要

1.1 本場所の名称


2 本場所の進行

3 かつて使われていた会場

4 場所ごとの逸話など

4.1 初場所

4.2 春場所

4.3 夏場所

4.4 名古屋場所

4.5 秋場所

4.6 九州場所


5 準場所

6 脚注

6.1 注釈


概要

1958年(昭和33年)以降は年6回の興行で固定されている(下表)。

開催月正式名称通称開催地会場初日
01月一月場所初場所東京都墨田区両国国技館1日?14日
03月三月場所春場所
大阪場所大阪市浪速区大阪府立体育会館[注 1]8日?15日
05月五月場所夏場所東京都墨田区両国国技館1日?14日
07月七月場所名古屋場所名古屋市中区愛知県体育館[注 2]
09月九月場所秋場所東京都墨田区両国国技館1日?15日
11月十一月場所九州場所福岡市博多区福岡国際センター[1]

大阪府立体育会館と愛知県体育館は、施設命名権が売却されているが、本場所開催にあたっては放送法第83条(大相撲中継を行うNHKにおける広告・宣伝放送禁止規定)に抵触する命名権行使を停止し、正式名称で使用される[注 3]。但し、主催者である日本相撲協会では、FIFA(国際サッカー連盟)主催・主管サッカー国際試合におけるクリーンスタジアム規定のような施設命名権行使禁止規定は設けていない為、番付表には、正式名称と命名権名称の両方が併記される[注 4]

両国国技館

大阪府立体育会館

愛知県体育館

福岡国際センター

江戸時代には本場所は各地で個別に行われており、力士は場所を主催する勧進元と自身の抱え大名の都合がついた本場所に個別に参加していた。その中でも三都(江戸・京都・大坂)の相撲がとくに盛んで、江戸で年2回、京都と大坂で年1回ずつ行われることが多かったが、天災や天候不順、不入りによる中止や打ち切りも頻発していた。明治時代になると各地の相撲集団は法人化して個別の力士を抱えるようになり、大正時代には相撲集団は東京と大阪に収斂し、それぞれ常設の国技館で年2回興行、さらに合同でも興行するようになる。昭和時代になると東西協会が合同して日本相撲協会となり、戦後には大阪・名古屋・福岡でそれぞれ興行を行うようになって現在に至る。

1場所は江戸時代は晴天10日間興行だったが徐々に延ばされ、現在は15日間連続で行われる。1日目は「初日(しょにち)」、8日目は「中日(なかび)」、最終日にあたる15日目は「千秋楽(せんしゅうらく)」と呼ばれる。初日は1場所15日制になって以降、昭和天皇崩御に伴い1日延期された1989年一月場所を除き、日曜日に設定されている。原則として初日は第2日曜日だが、3月・5月・9月・11月場所では日曜日が5週ある時は第3週から始まることもある。7月場所は夏巡業の期間確保のため6月から行われていたこともあり、現在も第1週から始まることがある。

番付は各場所初日の約半月前に日本相撲協会より発表される。1970年頃に、年末年始を挟む一月場所を除いては初日の13日前の月曜日と定められた。ほかのスポーツ行事の少ない曜日を選んだということである。例外として一月場所の番付発表については、直前が年末年始の期間に当たるため近年は前年12月24日頃に、また五月場所分は近年は初日の17日前の木曜日に行われている[2]。「本場所の一覧」を参照

本場所の土俵進行(土俵入りや力士呼び出しの順序)は奇数日目が東方から、偶数日目が西方からとなっている。
本場所の名称

1958年昭和33年)に制定された内規によると、大相撲の本場所の名称は、それぞれの場所が開催される月の名で表したものを正式としている。これに元号による開催年を冠して、例えば「昭和五十六年一月場所」「平成二十年七月場所」などのようにする(数字も正式には漢字表記)。実際に、協会が発行する番付や・取組表・星取表などはすべてこの「?月場所」という表記方で書かれている。

「春場所」「夏場所」など四季名や、「名古屋場所」「九州場所」など開催地名での通称が広く用いられ、新聞テレビなどの媒体でも、NHK大相撲中継で番組開始時に「大相撲夏場所三日目」「大相撲九州場所千秋楽」などとタイトルテロップが用いられている。
本場所の進行

本場所は毎日、寄せ太鼓で始まる。これは8:00頃である。この後序ノ口から順番に取組が始まるが、3日目から中盤にかけてはその前に前相撲が行われる(新弟子が多い3月場所は2日目から)。

序ノ口、序二段三段目幕下と取り進み、幕下の相撲が残り5番になった時点で、十両力士の土俵入りが行われる。かつては幕下取組終了後に行われていたが、昭和40年代末のオイルショックの際に光熱費節減のため、土俵入り後の休憩時間省略を目的に時間変更された。この時点で14:20頃になる。初日と千秋楽は、十両残り3番を残して協会理事長からの御挨拶が入る。十両取組終了後に幕内力士の土俵入り・横綱土俵入りが行われる(15:50頃)。千秋楽では十両以下各段の優勝決定戦および優勝力士の表彰が行われる。

土俵入り後は中入の休憩時間に入り、初日は賜杯優勝旗返還式が行われる。また、1・5・9月場所初日では優勝額除幕式、1月場所初日では年間最優秀力士の表彰式も行われる。2日目から13日目までは、時間に余裕がある時は翌日の幕内取組を紹介する「顔触れ言上」が行われる。幕内取組が半分消化したところで、時間調節のための小休止がある(17:00頃)。

幕内取組終了後に弓取式が行われ、ここまでで1日の興行はすべて終了となる。時刻はこの時点で大相撲中継終了の18:00になるように調節されている。千秋楽は弓取式後に幕内最高優勝の表彰式(場所によっては先立って優勝決定戦)が行われるため、全日程が30分ほど繰り上がる。
かつて使われていた会場

東京 -
蔵前国技館1950年?1984年 1954年落成するまでは仮設国技館だった)

大阪 - 大阪国技館、(旧)大阪市中央体育館1986年に大阪府立体育会館の全面改修工事のために1度だけ開催された)

名古屋 - 名古屋市金山体育館1958年?1964年 会場は飛行機の格納庫を改造して建設されたが空調がなかったため室内でも猛暑の中で開かれ、支度部屋には氷柱がおかれ中入りの時には場内に酸素の放出が行われたと記録にある)

福岡 - 福岡スポーツセンター1957年?1973年)、九州電力記念体育館1974年?1980年[1]

1909年6月場所以前は回向院での晴天時興行の形を取っており、雨天中止となった場合その後2日続けて晴天とならなければ開始できない規則となっていた。戦前は戦時戦後の一時期を除き旧両国国技館が使われ、1927年から1932年までの地方本場所は大阪市京都市名古屋市福岡市広島市で開催の実績がある。


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