曹洞宗
是非お友達にも!
★暇つぶし何某★

[Wikipedia|▼Menu]

この記事は検証可能参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。
出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2015年9月)

曹洞宗(そうとうしゅう)は、中国禅宗五家(曹洞、臨済?仰雲門法眼)の1つで、日本仏教においては禅宗(曹洞宗・日本達磨宗臨済宗黄檗宗普化宗)の1つ。鎌倉仏教のひとつである。本山は永平寺福井県)・總持寺横浜市鶴見区)。専ら坐禅に徹する黙照禅であることを特徴とする。

中国禅宗の祖である達磨(5C後半 - 6C前半)から数えて6代目の南宗禅の祖・曹渓山宝林寺の慧能(638 - 713年)の弟子の1人である青原行思(? - 740年)から、石頭希遷(700 - 790年、石頭宗)、薬山惟儼(745 - 828年))、雲巌曇晟(782 - 841年 )と4代下った洞山良价(807 - 869年)によって創宗された。


目次

1 中国における曹洞宗

2 日本における曹洞宗

2.1 教義

2.1.1 主な経典


2.2 歴史

2.3 宗政

2.4 著名な寺院

2.4.1 大本山(根本道場)

2.4.2 僧堂

2.4.2.1 大本山僧堂

2.4.2.2 専門僧堂

2.4.2.3 専門尼僧堂

2.4.2.4 その他


2.4.3 その他著名寺院

2.4.4 日本国外の寺院


2.5 派生した教団

2.6 訴訟

2.7 宗議会選挙での買収

2.8 曹洞宗寺院出身の主な著名人


3 越南(ベトナム)における曹洞宗

4 脚注・出典

5 参考文献

6 関連項目

7 外部リンク


中国における曹洞宗

中国曹洞宗は、洞山良价と彼の弟子である曹山本寂(840 - 901年)を祖とし、はじめ「洞曹宗」を名乗ったが、語呂合わせの都合で「曹洞宗」となったというのが定説の1つとなっている[1][2]。また、道元(1200 - 1253年)をはじめ日本の禅宗では、洞曹宗の「曹」は曹山本寂ではなく、曹渓慧能(大鑑慧能、638-713年)から採られている、という解釈がなされている[1]。(道元がこのような解釈をした理由は、曹山本寂の系統分派は途絶えていて、道元が学んだのが雲居道膺(?-902年)につながる系統であったためである。)

道元らが提唱した系譜は、前述した南方禅の慧能にさかのぼり、その弟子青原行思?石頭希遷?薬山惟儼?雲巌曇晟?洞山良价?‥‥とつづく法脈である。曹山本寂の系譜は四代伝承した後に絶伝した一方で、洞山良价の一系譜のみが現在まで伝わっている。洞山良价の禅学思想に基づき、曹洞宗の禅風は「万物皆虚幻、万法本源為佛性」である。

洞山良价から5代下った大陽警玄(943 - 1027年)には弟子がいなかったため、師資の面授を経ずに付法相承する「代付」によって投子義青(1032-1083年)へと嗣法がなされることで、北宋末における再興が成された[3]

次代の芙蓉道楷(1043 - 1118年)の弟子の代になると、宋の南遷による南宋の成立に伴い、河北に留まる鹿門自覚(? - ?年)の系統と、江南に下る丹霞子淳(?-1119年)の系統に分かれた。

丹霞子淳の門下には、宏智正覚(1091 - 1157年)と真歇清了(1088-1151年)がおり、宏智正覚は「黙照禅」を提唱し、「看話禅」を提唱する臨済宗大慧宗杲(1089 - 1163年)と対立したことや、多くの弟子を持ち「宏智派」を形成したことで知られ、他方の真歇清了の門下では3代下った天童如浄(1163年 - 1228年)から道元が日本へと曹洞宗を伝えた。宏智正覚の高弟であった自得慧暉(1097 - 1183年)の系統が、「宏智派」ではその後唯一、初に至るまで、中国曹洞宗の法脈を保ち支えていくことになった。この「宏智派」の宗風は、東明慧日(1272 - 1340年)や東陵永?(1285‐1365年)によって日本にも伝えられ、鎌倉京都五山禅林にも大きな影響を与えた[3]


ご協力下さい!!
◇暇つぶし何某◇

[次ページ]
[記事の検索]
[おまかせリスト]
[ブックマーク登録]
[mixiチェック!]
[Twitterに投稿]
[オプション/リンク一覧]
[話題のニュース]
[列車運行情報]
[暇つぶしWikipedia]

Size:54 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:FIRTREE