株式会社日本ブラッドバンク・血液銀行 (かぶしきがいしゃにほんぶらっとばんく・けつえきぎんこう)は、昭和25年11月に大阪府大阪市城東区蒲生町3に設立された日本の医薬品メーカーである。 その後、1964年に社名をミドリ十字(薬害エイズ事件を引き起こす)に変更ののち → 吉富製薬 → ウェルファイド → 三菱ウェルファーマ →田辺三菱製薬と企業名・企業母体が変わっている。
概要
代表取締役内藤良一は国際法違反の人体実験を行ったとされる旧日本陸軍731部隊の石井四郎中将の片腕であり、顧問北野政次は部隊長を一時期務めた。取締役二木秀夫は731部隊二木班班長、右翼系政界誌「政界ジープ」の発行者である。その他、731部隊出身者が多く社員となった。
創業当時は「乾燥人血漿」「血液型判定用血清」「クエン酸塩加人全血液(保存血液)」の3品目でスタートする。
血液業務の拠点であり、窓口ともなる、採血プラントとして「大阪プラント」(本社内)「神戸プラント」(兵庫県神戸市生田区中山手通4-22)設置。両プラントで血液業務が開始される。採血者を1日平均500人として、1ヶ月で1万5,000人、採血量3,000?の実現を目指した。
創業当時の営業活動は、大阪、神戸を中心に京都、岡山などの地域で行われた。
昭和26年4月10日「塩野義製薬」を国内総販売元とする「乾燥人血漿」の販売契約が締結され、続いて4月16日には「血液型判定用血清」についても販売契約締結する。
塩野義製薬の販売ルートと個別ルートにより大口需要者の警察予備隊(現・自衛隊)への売り込みに成功し、需要は拡大の一途をたどる。
昭和27年1月23日に「アジアチック商亊」(USA)との間にも「乾燥人血漿」「クエン酸塩加人全血液」と販売契約締結する。
日々増え続ける需要により生産ラインは間に合わなくなる。そして生産設備の故障等がかさなりさらに事態は悪化していく。
昭和27年経営再建計画がまとめられ業態の建て直しが計られる。生産ラインの修繕、整備。凍結真空乾燥装置の改良がなされ、これまで以上に良好な凍結乾燥が実現できることになる。電力需要も改善されA級線の引き込みによって電力危機の解消をはかった。
昭和27年頃から、公立、あるいは民間の血液銀行設立により競争は激しくなっていく。
昭和27年12月第四期の決算でわずかに140万ではあるが黒字を計上する。
昭和28年5月「カッター社」(USA)より代理店アジアチック商亊を経由し「凍結血漿」500?の試験発注を受ける。
「カッター社」から製品を高く評価され、昭和29年9月までの1年4ヶ月間、大量の発注を受けることとなる。これはUSAでは小児麻痺の予防対策に「凍結血漿」に含まれる「グロブリン」が予防に有効であることからの大量消費につながっていた。しかし、小児麻痺ワクチンが開発され使用頻度は激減した。昭和28年のある時期から、保存血液のことを「銀行血-B Bank」と総称するようになった。その後、徐々に販売地域が、四国、九州地区にも拡大する。
昭和28年麻疹の予防と治療に有効な「グロブリン-B Bank」の開発に着手。「カッター社」のW.E・ウォード博士の進めもあり、純度65%の「γ-グロブリン」が完成する(昭和29年2月26日製造認可)。
昭和28年「東京出張所」開設
昭和29年代用血と呼ばれる血漿増量剤「デキストラン」を名古屋市の「名糖産業」と共同開発に着手し3月19日に「デキストラン・名糖・B Bank」(100ml・250ml・500ml)販売開始
昭和29年6月末の半期決算では、3,245万円の純利益を計上する好業績をあげる
昭和29年2月28日「名古屋プラント・名古屋支店」開設 3月31日「福岡出張所」開設 8月「東京出張所」を「東京支店」に昇格
昭和30年「清瀬出張所」「東北出張所」「岡山出張所」「長岡出張所」「高松営業所」「東京プラント」開設
昭和31年「北海道出張所」「筑豊営業所」「京都プラント」開設
昭和32年「京都支店」開設
昭和32年6月「東京プラント」は都内の医療機関へ「銀行血10分以内救急供給」の実現を目指し郵政省より無線局免許を受けて同プラント屋上に無線塔を設置、無線付血液供給パトロールカーを配備
昭和32年7月17日「大阪証券取引所」に上場
昭和33年2月「小倉プラント」開設
昭和33年3月1日「神戸証券取引所」に上場
昭和33年1月「東北出張所」「長岡出張所」「北海道出張所」などの豪雪地帯に血液配送車を配備
昭和33年11月 塩野義製薬との販売契約解消
昭和33年5月30日「カッター社」(USA)と合弁で「株式会社カッター・ラボラトリーズ・パシフィック」設立
昭和34年2月21日「福岡証券取引所」に上場
昭和34年4月 仙台市「東北出張所」を「東北支店」に昇格
昭和34年5月「大阪プラント」開設
昭和34年6月18日「名古屋証券取引所」に上場
昭和34年7月「金沢出張所」「道修町営業所」開設
昭和34年8月「コンドロイチン」発売
昭和34年11月「一般用医薬品」販売開始(アポレス錠・強力ヘマタミン・ヘマタミン-B・ローヤルホニー等)
昭和35年5月1日「新潟証券取引所」に上場
昭和35年8月「カシロドール」発売
昭和35年8月 東京都にて「第8回国際輸血学会」が開催され、この学会にて「保存血の多量使用は肝炎の多発要因になる」との指摘があり、無理な売血による提供者の貧血問題、日本の保存血の大半が売血によって行われていることを、スイス・オランダの学者から取り上げられ、血液銀行の在り方が強く批判される。この批判がマスコミの注目を浴び「黄色い血」への関心が一般大衆の間にも高まる
昭和35年11月1日「東京証券取引所」に上場
昭和35年12月「パパイン」発売
昭和36年5月「ネフラージン」発売
昭和37年3月 「アボット・ラボラトリーズ」(USA)と技術提携
昭和37年8月27日「京都証券取引所」に上場
昭和38年10月「プラスマネート」発売
昭和38年11月「マクロデックス」「レオマクロデックス」発売
昭和39年8月 閣議決定により、厚生省は「保存血」は「日赤」と「地方自治体」のみが取り扱う旨を全医療機関へ通知