斉藤和義
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斉藤 和義
出生名斉藤 和義
別名せっちゃん
生誕 (1966-06-22)
1966年6月22日(52歳)
出身地 日本 栃木県下都賀郡壬生町
ジャンルロック
ポップ・ロック
オルタナティヴ・ロック
フォーク・ロック
職業シンガーソングライター
担当楽器ボーカル
ギター
活動期間1993年 -
レーベルファンハウス
(1993年 - 1999年)
ビクターエンタテインメント
2000年 - )
事務所ロード&スカイ
共同作業者一倉宏
松尾直樹
kenken
公式サイト ⇒KAZUYOSHI SAITO OFFICIAL WEB SITE

斉藤 和義(さいとう かずよし、1966年6月22日 - )は、日本シンガーソングライターギタリスト栃木県下都賀郡壬生町出身。血液型O型。身長181cm。
目次

1 略歴

1.1 デビュー15年目以降


2 人物

2.1 音楽的影響

2.2 伊坂幸太郎との関係


3 ディスコグラフィ

3.1 シングル

3.1.1 企画

3.1.2 配信限定


3.2 アルバム

3.2.1 オリジナルアルバム

3.2.2 ミニアルバム

3.2.3 ベストアルバム

3.2.4 コンセプトアルバム

3.2.5 ライブアルバム

3.2.6 その他のアルバム


3.3 ビデオ&DVD


4 参加作品

5 提供曲・プロデュース

6 映画

7 主なライブ

8 出演

8.1 テレビ

8.2 CM


9 書籍

10 脚注

10.1 注釈

10.2 出典


11 外部リンク

略歴

年譜形式の経歴は推奨されていません。人物の伝記は流れのあるまとまった文章で記述し、年譜は補助的な使用にとどめてください。(2015年7月)

小学生の時にギターと出会う[1]。中学、高校時代にはハードロックヘヴィメタルにハマり、LOUDNESSのコピーバンドもしている[1]。また、高校時代はヘヴィメタルグッズを原宿で買って、そのままLOUDNESSなどのコンサートに通っていたという[2]

作新学院高校を卒業[3]宇都宮にある高校周辺の「オリオン通り」でカレーを食べる青春を送る。この時の事が浜崎貴司との共作につながる。山梨学院大学を2年で中退。地元に戻っていた21歳の時、友人から「東京で一緒に音楽をやろう!」と誘われたのがキッカケで単身上京。

1992年TBSのオーディション番組『星期六我家的電視・三宅裕司の天下御免ね!』へ出演(5週勝ち抜き)した後、1993年に「僕の見たビートルズはTVの中」でデビュー[1]

デビュー当時のキャッチフレーズは、フォークシンガーを思わせる『四畳半じゃ狭すぎる』というものであった[4]

1994年、3rdシングル『君の顔が好きだ』が、大阪を拠点とするFM802の3月の邦楽ヘビーローテーションに採用され、これをキッカケに関西圏での知名度が上昇する。

1994年、「歩いて帰ろう」がフジテレビ系子供番組『ポンキッキーズ』で使われた。

1995年に同年代の一般女性と結婚[5][6]
デビュー15年目以降

デビューから15年目の2007年から2008年にかけては一気に知名度が高まった[7][8][9]。2007年は、リクルート社『ゼクシィ』に作ったテレビCM曲「ウエディング・ソング」が話題になり、UHA味覚糖e-maのど飴」のテレビCM曲に「愛に来て」が起用された時は本人もCMに出演した[9]。2008年5月からは、武田薬品工業の「アリナミン」CM曲を担当、ブランドCM曲「おつかれさまの国」と「どんなに頑張ってみても」のフレーズの商品CM曲「やぁ 無情[7]の2曲を提供。「やぁ 無情」は第50回日本レコード大賞優秀作品賞を受賞。6月には所属事務所を「ロード&スカイ」に移籍。8月にリリースのシングルズ・ベスト『歌うたい15』はオリコンチャートで最高4位。

他のミュージシャンとの交流にも精力的で、2009年5月に急逝した忌野清志郎とは特に親交が深く、清志郎を愛する多数のアーティストが結集した映画『忌野清志郎 ナニワ・サリバン・ショー ?感度サイコー!!!?』にはただ一人、3度全てに出演している[10]

2010年4月OAの資生堂IN & ON」CMでは「ずっと好きだった」を提供。

2010年6月3日、結婚して15年になる夫人との間に第一子の男児が誕生した[5][11]

2011年4月1日から、東日本大震災へのチャリティーライブ「斉藤和義 on USTREAM 『空に星が綺麗』」(SPEEDSTAR RECORDS公式Ustreamチャンネル)を5週続けて敢行。

2011年6月頃、元BLANKEY JET CITY中村達也とユニットを組んでMANNISH BOYSを結成[12]7月24日JOIN ALIVEを皮切りに、7月31日フジロックフェスティバルでは「GYPSY AVALON」ステージの「アトミック・カフェ」にユニットで出演[13]、同フェスの斉藤単独の「WHITE STAGE」では斉藤のバンドメンバーとして中村が参加した[14]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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