摂関
[Wikipedia|▼Menu]

日本の摂政および関白(摂関)の一覧。

なお、摂政・関白の具体的な職掌などについてはそれぞれの項目を参照のこと。
目次

1 概説

1.1 上代

1.2 皇親摂政期(律令体制下)

1.3 人臣摂関期

1.3.1 平安時代

1.3.2 中近世


1.4 皇親摂政期(立憲体制下)


2 一覧

3 脚注

4 関連項目

概説
上代

日本書紀』によれば、神功皇后が夫・仲哀天皇の崩後、皇太后として幼少の誉田別皇子(後の応神天皇)の代わりに「摂政」したというが、皇太后の執政は摂政というよりも称制に基づくものと考えられるし、また皇后の実在性の問題も含めて一般には史実と考えられていない。従って、神功皇后は摂政の例に数えない。
皇親摂政期(律令体制下)

7世紀には有力な王位継承候補者が国政に与る慣行があり、これは厩戸皇子(聖徳太子)が推古天皇の摂政として国政を代行したのを始めとする。他に、中大兄皇子斉明天皇の摂政、草壁皇子天武天皇の摂政と解釈する説もある。この時代の摂政を平安時代以降の人臣摂政と区別して、皇親摂政と呼ぶことがある。
人臣摂関期
平安時代

藤原良房が人臣(皇族以外の者)として初めて摂政に任じられ(人臣摂政)、良房の甥で養子の藤原基経が最初の関白となって以来、摂政および関白の職は基経の子孫である藤原北家嫡流によって世襲された。この家系はやがて摂家と呼ばれるようになる。摂関の職は初め、職事官である大臣と兼務する官職であると考えられていたが、藤原兼家右大臣を辞任した後も摂政に留まって以来、摂関は正官のごとく見なされ、前大臣(大臣経験者)で摂関に補任される者も現れるようになった。
中近世

平安時代中期以降、摂政・関白は常設の官となり、安土桃山時代豊臣氏関白2名を除いて、藤原道長の子孫(御堂流)によって独占的に世襲された。御堂流は鎌倉時代初期に近衛家九条家の2家に分かれ、さらに中頃に近衛家から鷹司家、九条家から二条家一条家が分立するが、これらの5家系を五摂家と呼び、代々そのうち官位の最も高い者が摂政か関白に任じられるのを慣例とした。以後の摂関は、天皇親政が標榜された建武政権期(1333年 - 1336年)と南朝初期(1337年 - 1352年)、豊臣政権末期(1595年 - 1600年)などの若干の中断を除き、慶応3年12月9日1868年1月3日)の王政復古に伴って摂関職が廃止されるまで常置されることとなる。
皇親摂政期(立憲体制下)

近代立憲君主制下で天皇に代わって大権を行使する皇族摂政。旧皇室典範で定められた皇族摂政に就任したのは、大正天皇に対する皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)の1人のみである(1921年 - 1926年)。当時は「摂政宮」(せっしょうのみや)と呼ばれた。なお、昭和22年(1947年)から施行された現皇室典範においても摂政の制度が定められているが、現在までに就任した皇族はおらず、天皇が一時的に執務を行えない場合は、皇太子などが国事行為臨時代行としてこれを代行している。
一覧

人任官者期間期間中の官位備考在官時
の天皇
 摂政関白
飛鳥時代
1
厩戸皇子
うまやど の みこ未設置推古天皇元年4月10日
(593年5月15日)
- 推古天皇30年2月22日
(622年4月8日)推古天皇の皇太子。
在官のまま薨御。
聖徳太子。推古
-任官者なし
舒明
皇極
孝徳
2中大兄皇子[1]
なかのおおえ の みこ斉明天皇元年1月3日
(655年2月14日)
- 斉明天皇7年7月24日
(661年8月24日)斉明天皇の皇太子。
天智天皇として即位。
葛城皇子。斉明
-任官者なし天智
弘文
3草壁皇子[2]
くさかべ の みこ天武天皇10年2月25日
(681年3月19日)
- 朱鳥元年9月9日
(686年10月1日)天武天皇の皇太子。天武
-以降永く任官無し
平安時代
4藤原良房
ふじわら の よしふさ貞観8年8月19日]][3]
(866年10月1日)
- 貞観14年9月2日
(872年10月7日)従一位太政大臣
→准三宮清和天皇の外祖父。
人臣摂政の始め。
在官のまま薨御。清和
-任官者なし良房嫡男の基経が事実上の摂政。
5藤原基経[4]
ふじわら の もとつね貞観18年11月29日
(876年12月18日)
- 元慶8年2月4日
(884年3月4日)正三位右大臣
→従二位
→太政大臣
→従一位陽成天皇の外伯父。
良房の養嫡男。出自は良房の甥(良房の兄長良の三男)。
太政大臣任官と共に関白となったとの資料もあるが、確定的ではない。陽成
-任官者なし一説には、基経が関白に留任したとも。光孝
宇多
藤原基経
ふじわら の もとつね仁和3年11月21日[5]
(887年12月9日)
- 寛平2年12月14日
(891年1月27日)従一位太政大臣
→准三宮宇多天皇の岳父。
任官(或は再任)に際して、阿衡事件が発生。
-任官者なし基経の死後は、宇多天皇による親政(寛平の治)が行われ、関白は設置されず。
醍醐天皇による親政(延喜の治)。基経嫡男の時平が事実上の関白。醍醐
6藤原忠平
ふじわら の ただひら延長8年9月22日
(930年10月16日)
- 天慶4年11月8日
(941年11月29日)正二位左大臣
→従一位
→太政大臣
→准三宮朱雀天皇の外伯父。
基経の四男。朱雀
藤原忠平
ふじわら の ただひら天慶4年11月8日
(941年11月29日)
- 天暦3年8月14日
(949年9月9日)
村上天皇の外伯父。村上
-任官者なし村上天皇の親政(天暦の治)。忠平嫡男の実頼が事実上の関白。
7藤原実頼
ふじわら の さねより康保4年6月22日
(967年7月31日)
- 安和2年8月13日
(969年9月27日)従一位左大臣
→太政大臣冷泉天皇の大伯父。
忠平の嫡男。小野宮流祖。
安和の変により、摂関任官権を藤原北家が事実上独占。冷泉
藤原実頼
ふじわら の さねより安和2年8月13日
(969年9月27日)
- 天禄元年5月18日
(970年6月24日)円融天皇の大伯父。
在官中に薨御。円融
8藤原伊尹
ふじわら の これただ天禄元年5月20日
(970年6月26日)
- 天禄3年10月23日
(972年12月1日)正三位右大臣
→従二位
→正二位太政大臣円融天皇の外伯父。
忠平の孫(忠平の次男師輔の嫡男)。九条流。
9藤原兼通
ふじわら の かねみち天禄3年11月27日
(973年1月4日)
- 貞元2年10月11日
(977年11月24日)従三位内大臣
→正三位
→従二位
→太政大臣
→従一位円融天皇の外伯父。
師輔の次男。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:93 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:FIRTREE