意識
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意識(いしき、Consciousness)は、一般に、「起きている状態にあること(覚醒)」または「自分の今ある状態や、周囲の状況などを認識できている状態のこと」を指す[1]

ただし、歴史的、文化的に、この言葉は様々な形で用いられており、その意味は多様である。哲学心理学生物学医学宗教、日常会話などの中で、様々な意味で用いられる。

日本語では、「ある物事について要求される注意を払っている」とか「考え方や取り組み方について努力が行われている」といったことを表す場合に、意識が高い(または低い)といった言い方が許される。たとえば公害廃棄物などの問題についてよく勉強し、改善のために様々な行動や対策を行っている個人や集団を、環境問題についての意識が高い、などと表現する。このような用法は遵法意識、コスト意識、プロ意識、意識調査、意識改革、など様々な表現に見られる。

学術的には、文脈に応じて意識という語は様々な意味で使用される。以下では、哲学、心理学、臨床医学をはじめとするいくつかの分野に分けて、代表的な意味を解説する。
目次

1 語源

2 哲学

3 認知科学・人工知能における意識

3.1 心理学

3.1.1 精神分析学



4 機構

5 状態

5.1 意識レベル


6 意識研究

6.1 覚醒

6.2 気づき

6.3 注意

6.4 随意運動

6.5 自己意識

6.6 メタ認知

6.7 主観的経験、現象的な質

6.8 実体としての意識


7 プロトサイエンスにおける意識

7.1 意識の神経相関

7.2 運動準備電位


8 脚注・出典

9 参考文献

10 関連項目

11 外部リンク

語源

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哲学

中世では、conscious「意識がある」とconscience「良心」の語源が同じ(scire「知る」)ことからも推測されるように、意識はほとんど良心と同義であり[要出典]、現在我々が知る心的現象一般としての意識という概念はなかった[要出典]。

意識や心の構造が問われるようになるのは、17世紀以降である[要出典]。近世前期の哲学において、意識はもっぱら思惟を典型とする認識と表象の能力として扱われたといってよく、ただしこの認識能力は感情や感覚を含むものであった。デカルトは「我思う、ゆえに我あり」(Je pense,donc je suis.(ラテン語訳Cogito,ergo sum.)などの方法論的懐疑により、後世に主観的でありしかもなお明証性をもつコギト(: Cogito)と表現される認識論存在論を展開した。デカルトは世界を「思惟」と「延長」から把握し、思惟の能動性としての認識と受動性としての情念をそれぞれ主題化した。

ライプニッツにおいては、全表象能力は各々明晰さの度を持ち、最も完全な認識である悟性が神を直観的に認識するほか、理性は合理的推論を判明に、感性は感覚的把握を明晰に行うとされた。ライプニッツの影響を受けたクリスティアン・ヴォルフは、「意識」の語をドイツ語: Bewusstsein (字義通りには「知られている状態」)と造語し名づけた。カントは、Cogitoを「純粋統覚」(reine Apperzeption)とみなし、すべての悟性的認識の根源であるとしたが、意識そのものの主題化には向かわず、各認識能力の身分と能力についての考察をその批判において展開した。

意識がドイツ哲学において全面的に主題化されるのはドイツ観念論においてである。フィヒテは、デカルトやカントが cogito/Ich denke から遡行的に知られるとした "ich bin" 我あり、をデカルトにおいてそうであったような個我の自己認識から、カントが主題化した超越論的認識能力の原理へ拡大し、": das Ich"(日本語訳 自我)と呼び、その働きを定式化した。ここでdas Ichとは意識の能力にほかならない。つまり、そのようなdas Ichは、自己自身を真正の対象とする活動、すなわち(: Tathandlung(日本語訳 事行=自己を認識する活動である)と把握され、この自らを客観(対象)とする認識主観としての自我を自己意識と呼ぶ。フィヒテのほか、シェリングヘーゲルらが自己意識を哲学の問題として取り上げた。シェリングは、対象化された自己意識を「無意識」(Unbewusstsein(直訳:意識でないもの)、Bewusstlosigkeit(直訳:意識を欠いた状態))と名づけた。ユングはシェリングが無意識の発見者であると指摘している。ドイツ圏における意識についての研究は1780年代から1810年頃まで盛んに行われたが、その後は存在論的哲学に再び座を譲った。
認知科学・人工知能における意識

認知科学人工知能の分野では、人間が人工知能に質問などをして、その人工知能があたかも人のように反応し、人から見て人と何ら区別がつかなければ、それをもってしてその存在は知能あるいは意識を持っていると見なしていいのではないか、とアラン・チューリングが提案した(チューリング・テスト)。
心理学

19世紀中葉のヨーロッパでは、哲学から心理学が分科した。ヴィルヘルム・ヴントは意識という概念を中心に心理学を組み立てようとした。意識は自分の感ずる「感覚」「感情」「観念」に分けられる。この三つの意識を自分自身が感じたままに観ることを内観法(ないかんほう)という。

行動主義心理学では、意識という概念を用いずに、刺激と反応という図式で人間の行動を理解しようとする。
精神分析学詳細は「精神分析学」を参照

精神分析学では人間の心を、意識・前意識無意識の三つに分ける。

自分で現在認識している内容を意識という。つまり、我々が直接的に心の現象として経験していること、これは私の経験だと感じることのできることを総体的に意識という。意識は短期記憶作動記憶と関係がある[要出典]、ともされる。

自分で現在認識していないが、努力すれば思い出すことができる内容を前意識という。

自分で現在認識しておらず、努力しても思い出せない内容を無意識という。精神分析学では通常の方法では思い出せない無意識下にあるものを、自由連想法などを用いて意識に持ってゆくことで無意識を理解しようとした。
機構

覚醒状態とかかわる部位として、脳幹網様体を含む上行性網様体賦活系(じょうこうせいもうようたいふかつけい、Ascending Reticular Activating System; ARAS)という構造が重要であることが知られている。上行性網様体賦活系を刺激すると眠りから覚める。逆にこの部位を破壊されると昏睡状態に陥る。上行性網様体賦活系の概念は1949年にMoruzziとMagounによってまとめられた[2][3]

ヒトの覚醒と睡眠は約24時間周期で繰り返される。24時間周期での睡眠-覚醒リズムは、ヒトの場合、生後15-16週齢から始まる[4] 。この地球自転周期と同調したリズムはサーカディアン・リズムと呼ばれる。ヒトを含む哺乳類のサーカディアン・リズムは、左右の視神経が交差する視交叉の上にある視交叉上核という視床下部神経核で生み出されている。視交叉上核を破壊された生物は睡眠と覚醒の周期的なリズムが失われる[5]。睡眠・覚醒リズムは網膜から入射する外部の光信号などにより修飾を受け調整されている。時間に関する手がかり情報のない場所(たとえば明るさの変化しない地下室など)にヒトを長期間置くと、睡眠-覚醒リズムはおよそ25時間周期となる。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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