張本 勲基本情報
国籍 韓国
出身地 日本 広島県広島市大洲町
(現:南区大州)
生年月日1940年6月19日(69歳)
身長
体重181cm
85kg
選手情報
投球・打席左投左打
ポジション外野手
プロ入り1959年
初出場1959年4月10日
最終出場1981年10月10日
経歴(括弧内は在籍年)
広島県松本商業高等学校
浪華商業高等学校
東映フライヤーズ
日拓ホームフライヤーズ
日本ハムファイターズ (1959 - 1975)
読売ジャイアンツ (1976 - 1979)
ロッテオリオンズ (1980 - 1981)
野球殿堂(日本) 殿堂表彰者
選出年1990年
選出方法競技者表彰
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張本 勲(日本通名:はりもと いさお、本名:張 勲(チャン・フン、??、 1940年6月19日 - )は、在日韓国人二世の元プロ野球選手(外野手)、現野球解説者・タレント。
3000安打、500本塁打を共に記録している唯一の選手で、今なお「史上最強の打者」という意見も多い。
愛称は「ハリさん」、あるいは「ハリ(ハリーとも)」。血液型はO型。TBS系『サンデーモーニング』で共演している大沢啓二からは「ハリやん」と呼ばれる事もある。 母親は身重のまま、三人の子を連れて朝鮮半島(当時日本)から海を越えて日本に渡り、広島で勲を生んだ。4歳の冬、川土手で急にバックしてきたトラックを避けようと焚き火に右手を突っ込み大火傷を負う[1]。1945年8月6日、5歳の夏、爆心地から約2kmの広島市段原新町(現在の南区段原)で被爆[2]。爆風に見舞われ家は倒壊したものの、比治山の影となっていた段原は直接の熱線は届かなかったため、水を汲むために家を出た直後だった張本は無事であった。しかし勤労奉仕でこの比治山にいた長姉は、大火傷を負い翌日に亡くなった[3]。 子供のときから体が大きく、ガキ大将としていつも大勢の子分を連れて歩いた。当時の広島カープの本拠地・広島総合球場の塀を乗り越え、よく試合のタダ見をしていたという。その折に覗き見た読売ジャイアンツの宿舎の食事風景が、その後の張本の人生を大きく変えることとなった。戦後の物資不足や飢餓をまだ引きずる時代に、選手たちは分厚い肉を食べ、生卵を3つも4つも茶碗に放り込んでいたのである。以来、張本のプロ野球選手への憧れは増大し、「母親に広い家をプレゼントする」、「美味しい食べ物を腹一杯食べる」と言う二つの夢を胸に来る日も来る日も吊るした古タイヤに向かってバットを振り続け野球へと打ち込んでいった[4]。 地元の段原中学校時代にエースで4番打者として広島県大会で優勝。段原中学出身の後輩には高津臣吾がいる。卒業後は地元の強豪・広島商業、広陵高校への入学を希望したが、素行不良との理由で叶わず。松本商業高校(現・瀬戸内高校)定時制に進学。しかし昼間は暇で街へ繰り出し喧嘩ばかりした。『仁義なき戦い』のモデルになったような人たちに憧れ、あのまま広島に居たらヤクザになっていたと思うと話している[5]。
目次
1 経歴
2 年度別打撃成績
3 タイトル・表彰・記録
3.1 タイトル
3.2 表彰
3.3 記録
4 人物
4.1 幼少期・少年時代
4.2 現役時代
4.3 在日韓国人として
4.4 現在
5 脚注
6 著書・参考文献
7 現在の出演番組
8 過去の出演番組
9 関連項目
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