座間市
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ざまし
座間市
座間谷戸山公園


座間市旗座間市章

日本
地方関東地方
都道府県神奈川県
団体コード14216-6
法人番号3000020142166
面積17.57km2

総人口129,387人 [編集]
推計人口、2018年4月1日)
人口密度7,364人/km2
隣接自治体相模原市大和市厚木市海老名市
市の木モクセイ
市の花ヒマワリ
市の鳥シジュウカラ
座間市役所
市長[編集]遠藤三紀夫
所在地〒252-8566
神奈川県座間市緑ケ丘一丁目1番1号
北緯35度29分18.9秒東経139度24分27.4秒

外部リンク ⇒座間市

■ ― 政令指定都市 / ■ ― 市 / ■ ― 町 / ■ ― 村

地理院地図GoogleBingGeoHack
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特記事項市外局番 046,042(相模が丘の一部)、南端は綾瀬市境まで100m
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座間市(ざまし)は、神奈川県中部に位置するである。
目次

1 概要

2 地理

2.1 自然

2.2 軍事施設

2.3 隣接している自治体・行政区


3 歴史

3.1 年表

3.2 行政区画の変遷

3.3 市名の由来


4 人口

5 地域

5.1 町名

5.2 郵便

5.3 電話番号


6 行政

6.1 歴代首長

6.2 行政委員会

6.3 消防事務


7 市議会・議員

8 経済

8.1 産業


9 姉妹都市・提携都市・その他提携

9.1 海外

9.2 災害時における相互応援協定

9.3 地域(犯罪情報等の提供に関する協定)

9.4 企業


10 教育

11 交通

11.1 鉄道路線

11.2 道路

11.3 路線バス

11.4 タクシー


12 名所・旧跡・公園・観光スポット・祭事・催事

12.1 特産品

12.2 公園・観光スポット

12.3 祭り

12.3.1 座間の大凧祭り

12.3.2 その他の主な祭り


12.4 旧跡

12.5 文化


13 出身の有名人

14 脚注

15 参考文献

16 関連項目

17 外部リンク

概要

昔より八王子街道(平塚宿を起点に田村で中原街道と交差し、厚木海老名、座間、相模原を経て八王子に通じる)の宿場町として栄えることにより集落が形成され、現代に入り戦前は農村、戦中は陸軍士官学校及び高座海軍工廠の設置により軍都としての色合いを強めた。しかし戦後は米軍進駐を経て、昭和30年代半ば頃からは大企業の誘致が行われ自動車産業中心とした企業城下町が形成された。更に昭和40年代の急激な人口の増加により農村から工業及び住宅都市へと変貌を遂げ、現在では県下33市町村中4位の人口密度をもつ市町村となる。

しかし、バブル景気崩壊後、市の基幹産業である自動車産業も不景気の煽りで日産自動車工場などが撤退したことから、税収入の低下を招き、市の財政状況が悪化した。現在でも周辺近隣自治体と比較すると財政的には劣っており回復は厳しいものの、人口においては県下でも比較的高い水準で増加しており、隣接する相模原市大和市などと同様のベッドタウンとして現在に至っている。

県下では数少ない上水道地下水(市内の8つの水源井)を用いる自治体であり、井戸水の特徴である夏は冷たく冬は暖かい「座間の地下水」は知れ渡るようになってきた。しかしながら近年の人口増加及び地下水資源の減少等により県営水道を約15%含有する状況になっている。

2000年代に入り在日米軍の再編等に伴う米国陸軍第一軍団司令部のキャンプ座間移転問題が浮上し、これに反対する活動を行政でも行っていたが、2008年平成20年)8月に防衛省との間で「米陸軍第一軍団新司令部のキャンプ座間移転に伴う基地対策に関する確認書」に市長が署名し移転容認へと転じた。
地理

東京都心から約50km横浜から約20kmの場所に位置する。市域を南北に縦断するJR東日本相模線の東側に沿って伸びる崖を境に、西部・相模川沿いの沖積低地と、東部の相模野台地(相模原台地)に属する高台に分かれる。相模野台地は河岸段丘であるが、当市域内では上段の相模原面が大部分を占め、広大な平坦面が広がる。その中で目久尻川とその支流が南流し、細長い谷戸を形成している。キャンプ座間付近から市域中央部にかけて南北に連なる座間丘陵は相模原面よりも古い時代に形成された一段高い堆積面であり、氷河期以来の侵食による開析が進んでいる。相模川沿いの沖積低地では水田が広がっている。

八王子街道沿いに形成された古くからの集落のうち、座間および入谷(座間入谷)は低位段丘上に、新田宿および四ッ谷は沖積低地内に形成された自然堤防上に分布する。目久尻川沿いの谷戸にも水田が開かれ、谷戸の周辺に栗原地区の旧集落が分布する。広大な相模野台地上は近世以前は「相模野」と呼ばれる原野であり、当市域周辺は「座間野」と呼ばれる近隣農村の入会地であった。江戸時代後期に座間野は相模川沿いの座間、入谷、新田宿、四ッ谷各村の飛び地となり、明治以降は生糸産業の発展に合わせて畑が広がるようになった。1930年代に移転・新設された軍事施設のうち、高座海軍工廠の跡地に日産自動車座間工場が誘致されると、これを中心とした工業地区が市域東部に形成された。台地上の桑畑は戦後の生糸産業の衰退とともに野菜の生産に重心が移ったが、1960年代にはベッドタウン化の波が及び、小田急線沿いの区域で宅地化が進行した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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