岩手郡
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岩手県岩手郡の範囲(1.雫石町 2.葛巻町 3.岩手町 薄緑・水色:他郡から編入した区域)

岩手郡(いわてぐん)は、岩手県陸奥国陸中国)の

人口35,319人、面積1,404.24km²、人口密度25.2人/km²。(2018年4月1日、推計人口

以下の3町を含む。

雫石町(しずくいしちょう)

葛巻町(くずまきまち)

岩手町(いわてまち)

盛岡都市圏の北部を占める。
目次

1 郡域

1.1 岩手郡(第1次)

1.2 岩手郡(第2次)


2 歴史

2.1 古代

2.2 岩手郡(第1次)

2.3 岩手郡(第2次)

2.4 変遷表


3 行政

4 脚注

5 参考資料

6 関連項目

7 外部リンク

郡域
岩手郡(第1次)

1878年明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、概ね下記の区域にあたる。

滝沢市の全域

盛岡市の一部(上飯岡、下飯岡、飯岡新田、津志田、津志田西、津志田町、三本柳、東見前以南を除く)

八幡平市の一部(西根寺田、荒木田、平舘、松尾以南)

雫石町の全域

岩手町の全域

岩手郡(第2次)

1897年明治30年)に行政区画として発足した当時の郡域は、第1次岩手郡と同じ区域にあたる。
歴史
古代

郡名は「岩出の森」に由来するという説がある。文献に表れるのは、平城天皇の御代に陸奥国磐手の郡から献上された鷹を愛で、帝がつけた名前「磐手(いはて)」(大和物語第152段)が最初という。大納言はこの鷹を取り逃がしてしまい、奏じるのを躊躇っていたがついに口にすると、これを嘆いた帝は何も言わなかった。なぜ何もおっしゃらないのかと問うと、「いはて思ふぞ言ふにまされる」(言わないことこそが言うことよりも思いは勝るのだ/言わぬ程に磐手を深く思っている)と鷹の名に掛けて詠じたという。この歌は、古今和歌集本歌取りで、源氏物語でも引用されている。同音である「岩手=言わで」「口無し=梔子」の連想から、「言いたくても言えない切なさ」を表す歌枕となり、平安文学の世界では、梔子染めの山吹色が「岩手の里」の情景を示す言葉となった。

心には 下行く水のわきかへり 言はで思ふぞ 言ふにまされる - 古今和歌集六帖

くちなしの 色とぞみゆる 陸奥の いはての里の 山吹の花 - 夫木和歌抄

岩手郡(第1次)所属町村の変遷は南岩手郡#郡発足までの沿革北岩手郡#郡発足までの沿革をそれぞれ参照

旧高旧領取調帳」の記載によると、幕末時点では陸奥国に所属し、盛岡藩領であった。(1町85村)

明治元年

12月7日1869年1月19日

陸奥国が分割され、本郡は陸中国の所属となる。

盛岡藩が戊辰戦争後の処分により、領地を没収される。信濃松代藩取締地となり、盛岡県(第1次)を称する[1]


12月24日(1869年2月5日) - 旧・盛岡藩が磐城白石藩転封される。


明治2年7月22日(1869年8月29日) - 白石藩が旧領に復帰して盛岡藩が復活し、再び盛岡藩の管轄となる。

明治4年

7月10日1871年8月15日)- 盛岡藩が廃藩。盛岡県(第2次)が発足し、旧・盛岡藩領を管轄。

11月2日(1871年12月13日) - 第1次府県統合により盛岡県(第3次)の管轄となる。


明治4年

中野村が東中野村に改称。

盛岡城の廃城により、城内が内丸に改称して仁王村に編入。盛岡城下各町が仁王村、志家村、仙北町村、東中野村、新庄村、加賀野村、山岸村、三割村、上田村に字地として編入。(85村)


明治5年1月8日1872年2月16日) - 盛岡県(第3次)が岩手県に改称。

明治11年(1878年)11月26日

郡区町村編制法の岩手県での施行により、行政区画としての岩手郡が発足。

紫波郡砂子沢村・根田茂村の所属郡が本郡に変更。(87村)


明治12年(1879年)1月4日 - 分割され、仁王村ほか48村の区域をもって南岩手郡が、大更村ほか37村の区域をもって北岩手郡がぞれぞれ発足。同日岩手郡(第1次)廃止。

岩手郡(第2次) 1.藪川村 2.玉山村 3.米内村 4.浅岸村 5.簗川村 6.中野村 7.本宮村 8.太田村 9.御所村 10.御明神村 11.西山村 12.雫石村 13.滝沢村 14.厨川村 21.沼宮内町 22.川口村 23.巻堀村 24.渋民村 25.大更村 26.田頭村 27.松尾村 28.平舘村 29.寺田村 30.一方井村 31.御堂村 41.葛巻村 42.江刈村 *は発足時の盛岡市(紫:盛岡市 赤:八幡平市 青:滝沢市 桃:雫石町 橙:岩手町 黄:葛巻町)

明治30年(1897年)4月1日 - 郡制の施行により、南岩手郡・北岩手郡の区域をもって岩手郡(第2次)が発足。郡役所が盛岡市内丸に設置。以下の町村が所属。(1町24村)

旧・南岩手郡(14村) - 藪川村玉山村米内村浅岸村簗川村中野村本宮村太田村(現・盛岡市)、御所村(現・盛岡市、雫石町)、御明神村西山村雫石村(現・雫石町)、滝沢村(現・滝沢市)、厨川村(現・盛岡市)

旧・北岩手郡(1町10村) - 沼宮内町川口村(現・岩手町)、巻堀村渋民村(現・盛岡市)、大更村田頭村松尾村平舘村寺田村(現・八幡平市)、一方井村御堂村(現・岩手町)


大正2年(1913年6月10日 - 厨川村の一部(盛岡駅周辺と陸羽街道沿い[2])が盛岡市に編入。

大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。

大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。

昭和3年(1928年)4月1日 - 米内村が盛岡市に編入。(1町23村)

昭和15年(1940年

1月1日 - 厨川村が盛岡市に編入。(1町22村)

12月23日 - 雫石村が町制施行して雫石町となる。(2町21村)


昭和16年(1941年)4月10日 - 浅岸村・中野村・本宮村が盛岡市に編入。(2町18村)

昭和17年(1942年)7月1日 - 「岩手紫波地方事務所」が盛岡市に設置され、紫波郡とともに管轄。

昭和23年(1948年)7月1日 - 九戸郡葛巻町江刈村の所属郡が本郡に変更。


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