宇野 薫
基本情報
本名宇野 薫
通称PRINCE OF HERO'S
総合格闘技のパイオニア
Uno Shoten
国籍 日本
誕生日1975年5月8日(37歳)
出身地神奈川県横須賀市
所属和術慧舟會東京本部
→フリーランス
→UCS
身長172cm
体重70kg
階級ライト級
→フェザー級
スタイルレスリング、総合格闘技
テーマ曲Smells Like Teens Spirit
(Nirvana)
宇野 薫(うの かおる、男性、1975年5月8日 - )は、日本の総合格闘家。神奈川県横須賀市出身。UCS所属。元修斗ウェルター級王者。
長所は打投極、全局面において対応できる技術と豊富な経験。特に目立った短所はなく典型的なオールラウンダータイプの選手。ストライカー相手にはグラウンドで攻め、グラップラー相手にはスタンドで戦える。しかし逆にいうと、これといった武器がなく、世界のトップランカー相手には勝ちきれないことが多い。 2010年には長年戦ってきたライト級からフェザー級へ転向した。
総合格闘技イベント「CAGE FORCE」の命名者であり[1]、アドバイザーを務めている。 日本の軽量級ファイターとしては、非常に早い頃からUFCに参戦しており、豊富な経験から来るバランスの取れた試合運びができるトータルファイターである。特に寝技の技術には長け、相手にバックマウントポジションを奪われた状態から柔軟かつ的確な動きでスイープする(あるいは立ち上がる)技術は宇野逃げと呼ばれ高く評価されている。 中学1年でサッカー部、2年から3年までは野球部に所属[2]。横浜高等学校ではレスリング部に所属。同じレスリング部には渋谷修身も所属していた。1993年7月、高校3年時にパンクラスの第1回入門テストを受験するも、不合格となった[2]。一緒に受験した渋谷は合格した。 スポーツ専門学校に進学後、修斗に興味を持ちシューティングジム八景に入門。この時期に佐藤ルミナの指導を受け、ほどなく和術慧舟會に入門。 1996年、全日本アマチュア修斗選手権で準優勝。決勝戦の相手だった桜井速人を相手に10月4日プロデビュー。以後、修斗を中心に和術慧舟會主催の大会やコンバットレスリングなどに出場。 1998年から頭角を現し、外国人選手相手に実績を重ねる。1998年10月25日、抜擢を受けて出場したVALE TUDE JAPAN '98にてブラジリアン柔術黒帯のヒカルド・"リッキー"・ボテーリョ 1999年5月29日、空位の修斗ウェルター級王座決定戦で元師匠の佐藤ルミナと対戦し逆転勝ちを収め、第4代修斗ウェルター級王者となる。以後、アンドレ・ペデネイラスやデニス・ホールマンなどと対戦。 2000年12月17日、佐藤ルミナとのリターンマッチで勝利を収めた直後、王座返上と修斗からの撤退を表明。 2000年12月31日、INOKI BOM-BA-YEでプロレス初挑戦。小路晃とタッグを組み、ザ・グレート・サスケ&松井大二郎と対戦。最後はサスケのラ・マヒストラルでフォール負け。 2001年2月23日、UFC初参戦となったUFC 30でジェンス・パルヴァーと初代UFC世界バンタム級(現ライト級)王者決定戦で対戦し、判定負け。 2001年11月2日、UFC 34でBJペンと対戦し、開始11秒フェンス際でパンチ連打を浴びKO負け。 2002年2月15日、憧れだったリングスの最終興行となった『WORLD TITLE SERIES GRAND FINAL』で高阪剛と旧リングスルールのエキシビションマッチを行った。 2003年2月28日、UFC 41でパルヴァーの返上によって空位となったUFC世界ライト級タイトルを賭け、BJペンと再戦するも、1-1の判定ドローとなり、王座獲得ならず。 2003年9月26日、UFC 44でエルメス・フランカと対戦し、右ストレートでKO負け。この試合を最後にUFCを離脱。 2003年12月7日、全日本キックボクシング連盟「Fujiwara Festival」に登場。総合ルールのエキシビションマッチで小林聡とタッグを組み藤原敏男&國奥麒樹真と対戦した後、キックルールのエキシビションマッチで小林聡と対戦した。
目次
1 ファイトスタイル
2 来歴
2.1 UFC
2.2 HERO'S
2.3 DREAM・UFC
3 人物
4 戦績
4.1 総合格闘技
4.2 グラップリング
5 獲得タイトル
6 脚注
7 関連項目
8 外部リンク
ファイトスタイル
来歴
UFC
◇ピンチです!◇
★暇つぶし何某★
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