太田駅_(群馬県)
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太田駅
北口(2017年4月)
おおた
Ōta
(株式会社SUBARU前)
所在地群馬県太田市東本町15[1]北緯36度17分38.64秒 東経139度22分43.44秒 / 北緯36.2940667度 東経139.3787333度 / 36.2940667; 139.3787333
駅番号□TI 18
所属事業者東武鉄道
電報略号オタ
駅構造高架駅
ホーム3面6線[2]
乗降人員
-統計年度-11,505[1]人/日
-2016年-
開業年月日1909年(明治42年)2月17日[3][4]
乗入路線 3 路線
所属路線■伊勢崎線
キロ程94.7km(浅草起点)
◄TI 17 韮川 (2.9km) (3.1km) TI 19 細谷
所属路線■桐生線
キロ程0.0km(太田起点)
(3.4km) TI 51 三枚橋
所属路線■小泉線(支線)
キロ程0.0km(太田起点)
(4.7km) TI 47 竜舞
備考業務委託駅
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南口(2012年1月)改札口(2012年6月)ホーム(2007年4月)

太田駅(おおたえき)は、群馬県太田市東本町にある東武鉄道である[1]。駅番号はTI 18[1]
目次

1 歴史・概要

2 沿革

3 駅構造

3.1 のりば

3.2 運行形態


4 利用状況

5 駅周辺

5.1 駅構内

5.2 北口(金山口)

5.3 南口(九合口)


6 路線バス・高速バス

6.1 北口

6.2 南口(東側・千年の宴前)

6.3 南口(西側・レオパレス21前)


7 隣の駅

8 脚注

8.1 注釈

8.2 出典


9 参考文献

10 関連項目

11 外部リンク

歴史・概要

1909年(明治42年)2月17日に東武伊勢崎線が足利町駅(現・足利市駅)から当駅まで延伸したのに伴い、開業したのが始まりである[3][4]。開業当日は駅前広場で三横綱を招請して大相撲が行われるなど記念行事が行われ、盛況となった[3]

1910年(明治43年)3月27日には東武伊勢崎線が当駅から新伊勢崎駅まで開通し、中間駅となった[3]

人車軌道を運営していた藪塚石材軌道が太田軽便鉄道に改称して建設を進めていた路線を1913年(大正2年)3月5日に東武鉄道が買収し、同年3月19日に桐生線として当駅から相老駅間が開通した[3][注釈 1]

1927年(昭和2年)10月1日に東武伊勢崎線の館林駅 - 伊勢崎駅間、1928年(昭和3年)3月1日には桐生線の当駅 - 相老駅間と当駅周辺の路線が相次いで電化された[3]

近隣の大光院の一角にあった東武鉄道所有の博物館で中島知久平が設立した飛行機研究所が中島飛行機として急速に拡大して太田が工業都市として発展したため[3]、1941年(昭和16年)4月に[5]総工費16万円を掛けた2階建て延べ建坪585坪の新駅舎が竣工し[3]、当時東武線随一とも言われた[5]新駅舎の2階には貴賓室、大衆食堂が配置された[3]。同年6月1日には小泉線が中島飛行機小泉製作所への輸送を目的として当駅から小泉町まで開通するなど整備が進められた[3]

この小泉線の開通により、伊勢崎線桐生線小泉線の3路線が乗り入れることになった。

中島飛行機がアメリカ軍による空爆の主要な対象の一つとなっており、1945年(昭和20年)4月4日に空襲を受けた[3]。この空襲では、駅舎などの建物約1,067坪が全焼し、線路約350mに加えて電車線が約250m、送配電線約2,600m、通信線約23,000mが破壊された[4]

その後、バラックの駅舎で仮復旧し、1954年(昭和29年)2月に新駅舎を開設して本格的に復旧した[3]

当駅の南側は水田地帯であったが、「九合地区土地区画整理事業」として整備が進められ、1966年(昭和41年)12月に南口を開設した[3]

高架化される前は、当駅の北側と南側は立体交差する車道と地下歩道のみで接続しており、町が分断される形となっていた[6]
沿革

1909年明治42年)2月17日 - 東武伊勢崎線の足利町駅(現・足利市駅) - 当駅間が開通し、開業[3]

1910年(明治43年)3月27日 - 東武伊勢崎線の当駅 - 新伊勢崎駅間開業[3]

1913年大正2年)3月19日 - 桐生線の当駅 - 相老駅間が開通[3]


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