大連立
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大連立(だいれんりつ)とは、議院内閣制の国家における連立政権(2つ以上の政党が連立して内閣を構成する政権)の特殊な一形態。政権を安定させることを主な目的に、議会の第1党と第2党による連立政権を指す。
目次

1 大連立が成立する要因

2 各国での大連立

2.1 イギリス

2.2 ドイツ/西ドイツ

2.3 イスラエル

2.4 スイス

2.5 オーストリア

2.6 ブルガリア

2.7 ポルトガル

2.8 ギリシャ

2.9 イタリア


3 日本での大連立

3.1 満州事変の早期収拾策としての大連立構想

3.2 第二次世界大戦中の大連立構想

3.3 第二次世界大戦終結直後の大連立構想

3.4 自社さ連立政権

3.5 保保連合構想

3.6 2005年における小泉純一郎首相からの大連立提案

3.7 2007年の自民・民主大連立構想

3.8 第22回参議院議員通常選挙以後の衆参ねじれ状態における大連立構想


4 脚注

5 関連項目

大連立が成立する要因

二大政党と複数の小政党が議席を持っている場合、大政党は毎回の選挙において、単独で安定多数の議席を確保しようとする。二大政党の議席数が拮抗するなどして安定多数の獲得に失敗した場合、大政党はイデオロギーの似通った小政党と連立を組んで過半数を確保し与党になろうとする。通常、二大政党はイデオロギーや政策や支持基盤などが異なり、互いをライバル(あるいは政敵)であるとみなしており、両政党間が政権や政策の方向性で合意することは非常に困難である。これが大連立がめったに成立しない理由である。

しかし、普段は対立する大政党が互いと連立して共に内閣を作るほうが望ましいと考えるような政情になることもある。

一つは戦争大不況のような国家的危機であり、人々がイデオロギーの違いを超えて国家の統一や安定を望む場合に大連立(国民政府挙国一致内閣)が成立しうる。特に危機に対する最善の政策について、各政党間で幅広い合意ができている場合は大連立は成立しやすい。また、こうした危機においては一党優位政党制の場合でも、主要政党と複数の小政党の間で大連立が成立する場合もある。国家の危機における挙国一致内閣の例としては第一次世界大戦時、および大恐慌から第二次世界大戦にかけてのイギリスがある。

大連立が成立する可能性のもう一つは勃興する小政党の脅威に対し、二大政党が互いのイデオロギーの共通性が多いことを認めるような場合である。たとえばオーストリアでは極左政党や極右政党を政権に入れないために左右の大政党が大連立を組むこともしばしばであった(過激政党の進出を防ぐこうした例は「Cordon Sanitaire」、防疫線と呼ばれる)。また、イスラエルではいくつかの内閣で小政党が自らの主張を通すためにより、広い幅の連立を組んで政権に入る例があった。

以上二つのほかに、早期の解散総選挙を防ぐためという政治目的から大連立が組まれることもある。例えばドイツの場合、2005年総選挙でキリスト教民主同盟(CDU)・キリスト教社会同盟(CSU)連立と、ドイツ社会民主党(SPD)の獲得議席が、どちらも通常の連立では過半数を取れない事態となり、大連立を組んだ。ドイツでは任期満了か首相信任の不成立でしか早期選挙を行えない(ヴァイマル共和政時代の政治的混乱の経験から、基本的に議会解散をしにくい制度になっている)ため、必然的にこのような選択になった。対して、首相権限で議会を解散できる制度の国(たとえば2011年に任期固定議会法が制定される前のイギリス)であれば、少数与党でしばらく政権を維持し、早期の総選挙に臨むケースが多い(例えば1974年2月と10月のイギリス総選挙)。

こうした大連立が恒常化してしまうと、選挙民や小政党の間に選択の自由がないという不満が溜まり、連立与党以外の小政党や極右・極左に対する投票(抗議票、Protest vote)が多くなりがちである。国家的危機で大連立を組むような場合、危機が終わった後にも大連立が続く事はまれである。
各国での大連立
イギリス

1914年 - 1918年自由党保守党労働党挙国一致内閣

1931年 - 1939年保守党自由党の大部分、労働党の一部(国民政府)

1939年 - 1945年保守党労働党自由党(挙国一致内閣)

ドイツ/西ドイツ

1966年 - 1969年キリスト教民主同盟キリスト教社会同盟の右派陣営(CDU/CSU)とドイツ社会民主党(SPD)の間の大連立 (Grose Koalition)、キージンガー政権

CDU/CSU主体の連立政権が崩壊する政治的危機の中、CDU/CSUとSPDの間で増税などに関する合意が成り立ったことで西ドイツ初の大連立が成立した。この時期、非常事態法案などの懸案を可決することができたが、これは学生らの反発を呼び、1968年に大規模な学生運動が起きるきっかけになった。これを期に政権担当能力を得た社会民主党は1969年に自由民主党(FDP)とのヴィリー・ブラント連立政権を成立させ、大連立は解消した。


2005年 - 2009年キリスト教民主同盟キリスト教社会同盟(CDU/CSU)とドイツ社会民主党(SPD)の間の大連立、メルケル政権

総選挙の結果、CDU/CSUとSPDの双方とも支持を失い議席を減らしてしまった。CDU/CSUおよびFDPを主体とする連立やSPD主体の連立ではどちらも多数派を握ることができなかったほか、SPDと左派の連立交渉が極左勢力の扱いをめぐって難航した。CDU/CSUとSPDは、公開的な政策協議を行いながら政権運営するという大連立提案で合意し、メルケル政権が成立した。この大連立は2009年の総選挙でCDU/CSUが単独第一党となり、連立相手をFDPと組み替えるまで続いた。


2013年 -: キリスト教民主同盟キリスト教社会同盟(CDU/CSU)とドイツ社会民主党(SPD)の間の大連立、メルケル政権

総選挙の結果、CDU/CSUは議席を伸ばしたものの過半数には届かず、また連立相手のFDPは惨敗して全議席を失ってしまった。一方、SPDも議席を伸ばしたが、SPD・同盟90/緑の党左翼党とは連立を組まないことを表明しており、中道右派のCDU/CSUが、中道左派のSPDよりも左派的な緑の党や極左勢力を含んでいる左翼党と連立を組むということも政策的に不可能であった。このためCDU/CSUとSPDが再び大連立を組むことになった。

2017年ドイツ連邦議会選挙では連立与党が議席を大きく減らし、一旦SPDは連立離脱を表明したものの、中小政党との連立交渉が難航し、党員投票を経てSPDとの4度目の大連立を行うことが決定した。(ドイツ社会民主党#4度目の大連立へ)


イスラエル

1984年 - 1990年2001年 - 2003年2005年 - 2006年、ほか:リクード労働党の二大政党が、政局運営を円滑にするために、80年代以降繰り返してきた。


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