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国(くに、こく)は、一般的に、住民領土主権及び外交能力(他国からの承認)を備えた地球上の地域のこと[1][2]。ほとんどの国が憲法成文法で作成し[3]、自国の権利や能力を他国に表明している。新しい国を作ることに関し、すでに在る国が憲法改正革命など「新憲法制定」によって生まれ変わる場合もある。
目次

1 「国」の多義性

2 ヨーロッパの「国」

3 日本の「国」としての成立過程

3.1 近代以前

3.2 近代


4 脚注

4.1 注釈

4.2 参照


5 参考文献

6 関連項目

「国」の多義性

国(くに、こく)は、「邦」「州」などとも表される多義的な語であるが、現在では「国家の権利及び義務に関する条約」に基づいた、主に大きさと独立性(統治機構担税力など)を備えた国家(独立国)を意味し、以下のような地域を表す。
国家、中央政府政治的な国家 (state/etat) が支配する一定の領域や住民・共同体制度文化などの総体。新興国においては、国家の統治機構となる中央政府を指す場合もある。

令制国古代の日本での、律令制下の行政単位。律令制が崩壊した後も、受領の支配区分や守護の軍事警察管区として、また地域区分の単位として明治時代初期まで用いられた。現在でも「旧国名」として、都道府県の別名や、都道府県内の地域名として用いられることがある。

故郷地方生まれ故郷や出身地。また、国家に対して、地方を指すこともある。英語の「country」も、国家を指す場合と、地方を指す場合の2つの意味を持つ。

大地例:天に対する地の意をもって国とし、国津神というように用いられる。「地」の字が充てられることが多い。

「国」の原義(古代中国)は、諸侯が統治する都市を指した。

ヨーロッパの「国」

国と訳される英語には、state、nation、countryがある。

countryは、ラテン語のcontrata terra(向こう側の土地)が語源で、地理的な国土を意味する。政体の性質を問題にしないため、日本での「国と地域」に相当する使われ方もする。

nationは、ラテン語のnatalis(出生)が語源で、土地の住民の総体を意味する。国家の場合は国民のことだが、国家に結びつかない、少数民族・分断民族・流浪民族などにもnationはある。

stateは、ラテン語のstatus(土地とその住民への支配権)が語源で、土地とその住民に対する統治権・統治機構を意味する。

いずれも、明確に国家の意味はなく、文脈によっては国家未満、超国家の意味でも使われる。また、具体的な行政区画の名称としてこれらの語を使うこともある。

countryは、イギリス連合王国を構成するイングランドスコットランドウェールズ北アイルランド(かつてはアイルランド)を意味する。その場合も、国と訳されることがある。

stateは、アメリカ合衆国などのを意味する。その場合は、決して国とは訳されない。

nationは、アメリカ合衆国では合衆国全体の意味で使われる。

これらの場合は、country、nation、stateの本来の意味の区別は問題にならない。

empire、kingdom、duchy等はそれぞれ帝国王国公国等と訳されるが、これらは単にそれぞれ皇帝領地という意味にすぎず、国家の意味はない。西欧社会では、中世封建社会から絶対王政の時代に至るまで、ある国の君主が別の君主の兼任あるいは臣下であることは珍しくなかった。たとえば、インド皇帝イングランド王の兼任であり、インド帝国はイギリスの一部だった。最近の例では、アンドラ大公位はフランス大統領ウルヘル司教が(共同で)就いており、それにより1993年までアンドラ公国は独立国ではなく、フランススペインの共同統治的な地域だった。

republicは共和国と訳されるが、これは民衆による政体という意味で、これも国家の意味はない。たとえば、ロシア連邦(およびソビエト連邦)は国内に共和国を持つ。
日本の「国」としての成立過程

現在の日本が成立するまでには、以下のような経緯があった。
近代以前

日本史においては、古くは中国史書『漢書』にあらわれる奴国(なこく)などがある。「くに」は元来自然の国土を指す語であったが、弥生時代に入って生産経済に突入し、日本列島各地に政治的支配がはじまると、その政権が支配する領域を「くに」と呼称した[4]。これら小国家は、地域としてはのちの「」相当の広さしかない狭小な地域にすぎなかったが、政体としての独立性を保ち、原初的とはいえ国家と称される政権であった。民俗学者折口信夫によれば、「くに」の語の原義は、ヤマト宮廷に対して半属半独立の関係にある地方を意味しており[5]、また、「くに」には「くにたま」(国魂)があって、これを所有する者がその地方を統治する権限を有するものと観念されていた[6]。それゆえ、ある地方が宮廷の支配に服することは、当該地方の「くにたま」が宮廷に奉られることを意味していた[6][注釈 1]

ヤマト王権によって日本列島の統一が進行していった古墳時代にあっては、そのような「くに」に「国造(くにつのみやつこ)」が置かれた。これは元来一定の地域を統治した地方首長層であった。多くの地方的国家はヤマトの勢力のもとに収められていった。その際、戦争をともなう場合もなかったわけではないが、より平和的な手段で目的が達成される場合も多かった。そのため、多くの地方的国家は後世まで大幅な自治を許され、朝廷に対しても半属半独立の関係を保った[7]。地方的国家が宮廷(朝廷)の神々の信仰を受容し、これを最高のとして崇敬する限りにおいて、地方的な信仰と祭祀は多くの場合、残された[7]。このような「くに」をもとに飛鳥時代には律令制のもとで令制国が成立した。

すなわち、日本においては、上述の奴国などの小国家、『魏志倭人伝』収載の邪馬台国などの小国家連合、統一されたヤマト国家、そしてそのなかの国造の支配領域に至るまで、「くに」には大小・広狭さまざまあり、機構や概念においてもそれぞれ差異が認められるにもかかわらず、こうした政治的領域すべてに漢字の「國(国)」の字を当てはめた[4]

令制国は、その広狭や人口、生産力などを基準にして大国上国中国下国の4等級に分類され、「守」以下四等官国司の定員や官人位階などに差が設けられた。大宝律令制定時の8世紀初頭には58国3島であったが、その後の分割や統合などを経て、9世紀初頭の段階では66国2島となり、それ以後、固定化された[4]

また、「倭国」「三国一」のような、視点を日本列島外に置くような表現にあっては、日本全体が1つの「国」として扱われた。

これらとは別に、「大地」「土地」「出身地」に近い意味合いもあった。天津神に対する国津神(くにつかみ)の「国」は、天に対する地を意味し、実際、地の漢字が当てられることもあった。また、「国衆(くにしゅう)」「国替(くにがえ)」などの語では、土地を意味した。


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