嘉永
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嘉永(かえい)は日本元号の一つ。弘化の後、安政の前。1848年から1855年[1]までの期間を指す。この時代の天皇孝明天皇江戸幕府将軍は徳川家慶徳川家定
目次

1 改元

2 出典

3 嘉永年間の出来事

3.1 誕生

3.2 死去


4 西暦との対照表

5 脚注

6 関連項目

改元

弘化5年
2月28日グレゴリオ暦1848年4月1日): 孝明天皇の代始のため改元

嘉永7年11月27日(グレゴリオ暦1855年1月15日): 安政に改元

朝廷は「万延」・「明治」などを含めた7つの案のうち、最終的に「天久」と「嘉永」の2案に絞り、朝廷の内意は「天久」であると幕府に伝えた。だが、幕府は「嘉永」を推して譲らず、最終的に朝廷もこれに従った[2]
出典

宋書』楽志の「思皇享多祐、嘉楽永無央。(皇を思い多く享(すすめ)れば、嘉を祐(たす)け、楽永く央(つきる)無し。)」から。
嘉永年間の出来事

安政伊賀地震、安政東海地震安政南海地震は嘉永期の地震で本来「嘉永の大地震」であるが[3]、これらの地震や黒船来航内裏炎上などの災異が多発したことにより同年中に安政へ改元されたため、嘉永7年を安政元年と解釈し「安政」を冠して呼ばれる[4]

嘉永元年(1848年): フランスやドイツなどで連続的な革命(1848年革命)が勃発。

嘉永6年(1853年

2月2日3月11日): 小田原地震小田原城大破、小田原で大被害。

6月3日7月8日): アメリカの東インド艦隊ペリー提督が4隻の黒船を率いて浦賀沖に到着。

7月18日8月22日): ロシア大使プチャーチン、開国通商を求めて長崎に来航。

江戸幕府老中首座阿部正弘)、朝廷を始め外様大名や市井を含む諸侯有司に対しペリーの開国通商要求に対する対応策を下問。

江戸幕府、英語・米国情報・造船・操船・測量の生の知識を得るため、中濱萬次郎(ジョン万次郎)を招聘して直参旗本の身分を与え、江川英龍の配下とし、軍艦教授所教授に任命。

ペリー来航を期に品川に砲台を築く工事を開始、翌年に完成。お台場と呼ばれる。


嘉永7年(1854年

1月24日2月21日): 一朱銀を通用開始。お台場銀とも呼ばれる。

3月3日3月31日): 日米和親条約締結。

4月6日 : 京都大火(御所焼け)。

6月15日7月9日): 伊賀上野地震(安政伊賀地震)。

11月4日12月23日): 安政東海地震東南海地震含む)。

11月5日12月24日): 安政南海地震。東海地震の32時間後に発生。

11月7日12月26日): 豊予海峡地震


誕生

嘉永2年(
1849年): 西園寺公望(第2代立憲政友会総裁、第12・14代内閣総理大臣

嘉永3年(1850年): 清浦奎吾 (枢密院議長、第23代内閣総理大臣)

嘉永5年(1852年): 寺内正毅(第18代内閣総理大臣)、明治天皇(第122代天皇)、山本権兵衛(第16・22代内閣総理大臣)

嘉永7年(1854年): 高橋是清(第4代立憲政友会総裁、第20代内閣総理大臣)

死去

嘉永元年(1848年):
土生玄碩(享年86)、八重崎検校

嘉永2年(1849年): 葛飾北斎(享年89)

嘉永3年(1850年): 高野長英(享年46)、国定忠治(享年41)

嘉永4年(1851年): 水野忠邦(享年57)

嘉永6年(1853年): 徳川家慶(享年60)

嘉永7年(1854年): 永樂保全(享年60)

西暦との対照表

※は小の月を示す。¶は改元月を示す。

嘉永元年(戊申)一月※二月¶三月※四月※五月六月※七月八月※九月十月十一月十二月※
グレゴリオ暦1848/2/53/54/45/36/17/17/308/299/2710/2711/2612/26
ユリウス暦1848/1/242/223/234/215/206/197/188/179/1510/1511/1412/14
嘉永二年(己酉)一月二月※三月四月※閏四月※五月六月※七月八月※九月十月十一月※十二月
グレゴリオ暦1849/1/242/233/244/235/226/207/208/189/1710/1611/1512/151850/1/13
ユリウス暦1849/1/122/113/124/115/106/87/88/69/510/411/312/31850/1/1
嘉永三年(庚戌)一月二月※三月四月※五月※六月七月※八月九月※十月十一月※十二月
グレゴリオ暦1850/2/123/144/125/126/107/98/89/610/611/412/41851/1/2
ユリウス暦1850/1/313/23/314/305/296/277/278/259/2410/2311/2212/21
嘉永四年(辛亥)一月二月三月※四月五月※六月※七月八月※九月十月※十一月十二月※
グレゴリオ暦1851/2/13/34/25/15/316/297/288/279/2510/2511/2312/23
ユリウス暦1851/1/202/193/214/195/196/177/168/159/1310/1311/1112/11
嘉永五年(壬子)一月二月閏二月※三月四月五月※六月※七月八月※九月十月※十一月十二月※
グレゴリオ暦1852/1/212/203/214/195/196/187/178/159/1410/1311/1212/111853/1/10
ユリウス暦1852/1/92/83/94/75/76/67/58/39/210/110/3111/2912/29
嘉永六年(癸丑)一月二月※三月四月五月※六月七月※八月九月※十月十一月※十二月
グレゴリオ暦1853/2/83/104/85/86/77/68/59/310/311/112/112/30
ユリウス暦1853/1/272/263/274/265/266/247/248/229/2110/2011/1912/18
嘉永七年(甲寅)一月※二月三月※四月五月※六月七月閏七月※八月九月※十月十一月※¶十二月
グレゴリオ暦1854/1/292/273/294/275/276/257/258/249/2210/2211/2012/201855/1/18
ユリウス暦1854/1/172/153/174/155/156/137/138/129/1010/1011/812/81855/1/6

脚注

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^ 嘉永から安政への改元が行なわれたのはグレゴリオ暦1855年1月15日であり、和暦が新年を迎えないうちに西暦だけが新年を迎えている期間であった。安政元年は西暦1855年1月15日から同2月16日までの短い期間であるため、和暦と西暦を一対一で対応させようとする場合、嘉永7年=安政元年=西暦1854年、安政2年=西暦1855年となって実際とはずれが生じる。
^ 久保貴子「改元にみる朝幕関係」『近世の朝廷運営-朝幕関係の展開-』(岩田書院、1998年) ISBN 4-87294-115-2 P278-281
^ 湯村哲男(1969): 本邦における被害地震の日本暦について, 地震, 第2輯, 22, pp.253-255. doi:10.4294/zisin1948.22.3_253
^ 神田茂(1970): 本邦における被害地震の日本暦の改元について, 地震, 第2輯, 23, pp.335-336. doi:10.4294/zisin1948.23.4_335


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