原宿
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この項目では、東京都渋谷区の地区について記述しています。
栃木市の大字については「原宿 (栃木市)」を、
横浜市戸塚区の地区については「原宿 (横浜市)」を、
現在の静岡県沼津市にあった東海道の宿場については「原宿 (東海道)」をご覧ください。
日本 > 東京都 > 渋谷区 > 原宿竹下通り表参道

原宿(はらじゅく)は、東京都渋谷区の一地区。
原宿駅周辺から表参道周辺にかけての汎称地名。現在の住居表示では「神宮前」の町域が、その大部分を占める。

1965年昭和40年)に廃止された町名。原宿一丁目から三丁目までの町域があり、表参道の北側、現在の神宮前一丁目から四丁目が相当するが、原宿駅(当時の町名は隠田三丁目)や竹下通り周辺(同、竹下町)は町域外であった。

目次

1 概要

2 歴史

2.1 江戸時代以前

2.1.1 地誌による記載


2.2 明治時代以降

2.2.1 終戦直後まで

2.2.2 1960年代

2.2.3 1970年代

2.2.4 1980年代

2.2.5 1990年以降


2.3 かつて存在した施設


3 地名の変遷

4 観光

5 交通

6 脚注

7 関連項目

8 外部リンク


概要

現在広く「原宿」として認識される地域のうち、明治通りや旧渋谷川(穏田川。現在は「キャット・ストリート」と呼ばれることもある遊歩道(旧渋谷川遊歩道路)となっている)に近い低地部周辺は、かつて「穏田(おんでん)」と呼ばれており、1965年昭和40年)以前の町名で「原宿」に相当していたのは、表参道の北側、現在の神宮前2丁目の町域のうち青山寄りの台地部分、神宮前3丁目の多くの部分、神宮前1丁目のうち東郷神社からその裏手に続く台地部分などのみであった。一方、原宿駅から竹下通り周辺は「竹下町」と呼ばれていた。1965年(昭和40年)以降には、この一帯の住居表示はすべて「神宮前」で統一され、「原宿」の町名は廃止された。
歴史
江戸時代以前富嶽三十六景「隠田の水車」

江戸時代以前は鎌倉街道の宿場町があった。後三年の役の際には源義家がこの辺りで軍勢を揃えたとも言われ、この坂は勢揃い坂(現在の神宮前2丁目)と呼ばれている。1582年本能寺の変の際に徳川家康から三河まで無事に帰国させた「伊賀越え」の行賞として、1590年に伊賀者に穏田村とともに原宿村が与えられた、という記述もある。

江戸時代に入ると、甲州街道の南にある原宿には江戸の防衛のために伊賀衆の組屋敷が置かれた。また、安芸藩藩主浅野家江戸屋敷(現在の神宮前4・5丁目)のほかに、数多くの幕臣の屋敷もあった。農民の暮らしはというと、渋谷川などでの水車による精米、製粉が中心であった。しかし、やせた土地であったために生産は上がらず、生活は苦しかった。そのために農民は雨乞いをよく行っていたという。丹沢大山阿夫利神社榛名山に日帰りで詣でた、という話も残されている。
地誌による記載

江戸時代末期に著された地誌新編武蔵風土記稿』は、原宿について次のように記載している:

「原宿町。当所は古へ相模国鎌倉より奥州筋の往還係て宿駅を置し所故此の名ありと、また村内竜岩寺の伝に、往昔源義家奥州下向の時、渋谷城に滞溜し当所にて軍勢着到せし故、今に門前の坂を勢揃坂と唱ふと云、当時街道なりし事証すへし、村の東青山五十人町の通衛は今も相模国矢倉沢に達する往還なり」
明治時代以降


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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