勝浦郡
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徳島県勝浦郡の位置(1.勝浦町 2.上勝町 水色:後に他郡から編入した区域)現在の徳島県勝浦郡
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勝浦郡(かつうらぐん)は徳島県阿波国)の

人口6,598人、面積179.46km2、人口密度36.8人/km2。(2017年10月1日、推計人口

以下の2町を含む。

勝浦町(かつうらちょう)

上勝町(かみかつちょう)


目次

1 郡域

2 歴史

2.1 古代

2.1.1 式内社


2.2 近世以降の沿革

2.3 町村制以降の沿革

2.4 変遷表


3 脚注

4 参考文献

5 関連項目


郡域

1879年明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記2町のほか、下記の区域にあたる。

小松島市の大部分(坂野町・和田島町・和田津開町・間新田町・豊浦町・大林町・赤石町・立江町・櫛淵町を除く)

徳島市の一部(大原町・論田町・雑賀町・大松町・西須賀町・大谷町・北山町・方上町・勝占町・丈六町・渋野町・八多町・飯谷町・多家良町および三軒屋町の一部)

歴史
古代

平家物語[1]源平盛衰記では、勝浦と書いて「かつら」と発音していたことや、舎人親王が浦で勝ったから勝浦となったという起源が紹介されている。
式内社

延喜式神名帳に記される郡内の式内社

神名帳比定社集成
社名読み格付記社名所在地備考
勝浦郡 8座(並小)・話・編・歴
勝占神社カツタノ
カツウラノ小勝占神社徳島県徳島市勝占町
事代主神社コトシロヌシノ小生夷神社徳島県勝浦郡勝浦町沼江
山方比古神社ヤマカタノ-小(論)山方比古神社(金山神社)徳島県徳島市多家良町
(論)立岩神社徳島県徳島市多家良町金山神社境内社
宇母理比古神社ウモリ-小宇母理比古神社徳島県徳島市八多町
阿佐多知比古神社アサタチ-小朝立彦神社徳島県徳島市飯谷町
速雨神社ハヤアメノ小速雨神社徳島県徳島市八多町
御県神社ミアカタノ小御縣神社徳島県小松島市中田町豊國神社境内社
建嶋女祖命神社タケシマ-小建嶋女祖命神社徳島県小松島市中田町
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近世以降の沿革

明治初年時点で、全域が阿波徳島藩領であった。「旧高旧領取調帳」に記載されている村は以下の通り。(43村3浦)
渋野村、本庄村、宮井村、飯谷村、沼江村、中角村、森村、鶴敷地村、星谷村、久国村、棚野村、中山村、横瀬村、与川内村、坂本村、黄檗村、福川村、藤川村、傍示村、瀬津村、福原村、野尻村、久保村、樫原村、田野々村、市宇村、八重地村、大谷村、方上村、西須賀村、大松村、論田浦、大原浦[2]、鶴岡新田、江田村、田浦村、新居見村、日開野村、中田村、中郷村、小松島浦、金磯新田村、田野村、芝生村、八多村、前原村

明治4年

7月14日1871年8月29日) - 廃藩置県により徳島県(第1次)の管轄となる。

11月15日(1871年12月26日) - 第1次府県統合により名東県の管轄となる。


明治9年(1876年)(33村3浦)

8月21日 - 第2次府県統合により高知県の管轄となる。

森村・鶴敷地村が合併して生名村となる。

中山村・横瀬村・与川内村が合併して三渓村となる。

福川村・藤川村が合併して正木村となる。

瀬津村・野尻村・久保村・樫原村が合併して生実村となる。

田野々村・市宇村・八重地村が合併して旭村となる。

黄檗村が坂本村に合併。


明治12年(1879年1月4日[3] - 郡区町村編制法の高知県での施行により行政区画としての勝浦郡が発足。「勝浦名東郡役所」が名東郡徳島寺島町に設置され、同郡とともに管轄。

明治13年(1880年3月2日 - 徳島県(第2次)の管轄となる。

町村制以降の沿革1.小松島村 2.勝占村 3.多家良村 4.生比奈村 5.棚野村 6.高鉾村 7.福原村(紫:徳島市 桃:小松島市 赤:勝浦町 橙:上勝町)


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