利根川
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利根川水系における用水路事業は、1526年永正18年/大永元年)に長野業正が拡張した烏川の長野堰用水が記録上の初見となる[注 23][166][167]。江戸時代には関東郡代伊奈氏や井沢為永といった幕臣により備前渠用水、葛西用水路、見沼代用水などの大規模農業用水路が整備され、新田が飛躍的に開発された。戦後の食糧増産体制や農業技術の進歩による耕地拡大で農業用水不足が顕在化し、対策として両総用水大利根用水、さらに利根川上流ダム群を水源とする房総導水路などが建設された。また従来からある農業用水路の合理化・取水口の統廃合も行われ(合口)、埼玉用水路・邑楽用水路・坂東大堰用水などの合口用水路も整備された。地域における重要な水道施設である用水路のいくつかは、疏水百選に認定されている[168]

一方導水路としては武蔵水路が荒川との間を連結する形で建設され東京都に水道を供給するほか、治水・利水・手賀沼浄化を目的とした北千葉導水路が利根川・江戸川間を連結している。北千葉導水路建設に先立ち利根運河が「野田緊急暫定導水路」として代替役割を担う形で1978年に復活、北千葉導水路完成後も地域の憩いの場として整備されている。ただし利根川と霞ヶ浦、そして那珂川を連結して霞ヶ浦の浄化と首都圏への新規利水を目的に建設中の霞ヶ浦導水事業は、那珂川の水質悪化を懸念する栃木県・茨城県那珂川漁業協同組合が事業差し止め訴訟を起こすなど頑強な反対運動を起こしており[169]、事業は進捗していない。

利根川水系の主要な用水路・導水路[167][170][168]
桃色欄は事業見直し対象である。所在地河川名称管理者完成年水源取水口備考
群馬県利根川群馬用水水資源機構1969利根川上流ダム群(綾戸ダム)東京電力綾戸ダム湖に取水口を設置し取水。疏水百選
群馬県利根川坂東大堰用水土地改良区1951坂東大堰広瀬・桃木・天狗岩・大正・中群馬用水を統合(合口)。広瀬用水は疏水百選。
埼玉県利根川備前渠用水土地改良区1604伊奈忠次建設。疏水百選。
埼玉県利根川見沼代用水土地改良区1728利根川上流ダム群利根大堰井沢為永建設。1969年利根大堰に取水口を変更。疏水百選。
埼玉県利根川埼玉用水路土地改良区1969利根川上流ダム群利根大堰旧水資源開発公団施工。葛西・羽生領・古利根用水などを統合。1995年・2003年に改築。葛西用水路は疏水百選。
埼玉県利根川武蔵水路水資源機構1969利根川上流ダム群利根大堰荒川に連結し秋ヶ瀬取水堰で朝霞水路に導水し東京都へ送水。
群馬県利根川邑楽用水路土地改良区1969利根川上流ダム群利根大堰旧水資源開発公団施工。利根加・明和・北川辺用水を統合。
千葉県利根川大利根用水土地改良区19511992年改築。疏水百選。
千葉県利根川北総東部用水土地改良区1971利根川上流ダム群旧水資源開発公団施工。
千葉県利根川成田用水土地改良区1971川治ダム旧水資源開発公団施工。成田空港周辺整備関連事業。
千葉県利根川両総用水農林水産省
水資源機構
土地改良区1967疏水百選。
千葉県利根川房総導水路水資源機構1997利根川上流ダム群千葉県夷隅郡大多喜町まで導水。長柄ダム東金ダムで貯留。
千葉県利根川東総用水水資源機構
土地改良区1989
群馬県烏川長野堰用水土地改良区1526長野堰完成年は史料上確認できる長野業正による改築年とする。疏水百選。
群馬県鏑川鏑川用水土地改良区1970南牧川南牧頭首工
群馬県神流川埼玉北部用水農林水産省1954下久保ダム神流川頭首工1980年改築。下久保ダムの不特定利水供給分を利用。
群馬県渡良瀬川渡良瀬沿岸用水土地改良区1984草木ダム大間々頭首工
太田頭首工
邑楽頭首工岡登・待矢場・三栗谷用水などを統合。疏水百選。
千葉県利根川
江戸川利根運河国土交通省1890旧名派川利根川。
千葉県利根川
江戸川北千葉導水路国土交通省2000流況調整河川。
茨城県霞ヶ浦霞ヶ浦用水水資源機構
土地改良区1994霞ヶ浦霞ヶ浦・鬼怒川間を連絡する用水路。南椎尾調整池で貯留。
茨城県利根川
霞ヶ浦
那珂川霞ヶ浦導水国土交通省未定那珂川 - 桜川(水戸市)間と利根川 - 霞ヶ浦間が運用中。那珂川 - 霞ヶ浦間は事業見直し。

水力発電事業水力発電揚水発電電力会社管理ダム#東京電力の項目も参照。 利根川水系では下野麻紡績所野発電所と並ぶ最初期の水力発電所足尾銅山間藤原動所跡。 東京電力矢木沢発電所。利根川水系における揚水発電の端緒となった。

利根川および利根川水系における水力発電事業は、日本の水力発電史とともに歩んでいる。日本最初の水力発電所は、1888年(明治21年)に宮城県の宮城紡績会社が運転を開始した自家発電用の三居沢発電所[171][注 24]であるが、2年後の1890年(明治23年)8月に下野麻紡績が運転を開始した自家発電用の所野発電所(15kW。廃止)が、利根川水系最初の水力発電所となる[172]。同年12月には足尾銅山自家発電用の間藤発電所(廃止)が運転を開始。続いて日本初の商業用水力発電所である京都府蹴上発電所運転開始(1891年)から2年後の1893年(明治26年)には商業用としては利根川水系初となる日光発電所が日光電力の手で運転を開始した[173]。日光発電所は現在東京電力日光第二発電所として110年以上経た今日も稼働しており、利根川水系において現役で運転している水力発電所としては最古のものである[174]

大正以降における利根川水系の水力発電事業は、日清日露戦争以降の電力需要急増により日本各地で電力会社が乱立する中で他地域と同様に多くの電力会社が設立され、競争や合併を繰り返していく。この中で鬼怒川水力電気は鬼怒川上流部での電力開発に取り組み、1912年日本初の発電専用コンクリートダムである黒部ダムを鬼怒川本流に建設、下滝発電所(現・鬼怒川発電所)が稼働する[175]。群馬県内では東京電燈や関東水力電気などが利根川水系の水力発電開発を進め、当時としては屈指の出力である6万6000kWの佐久発電所などが運転を開始する。しかし1939年(昭和14年)電力管理法制定により日本発送電が、1941年配電統制令発令により関東配電が発足すると、各電力会社は戦時体制の下強制的に合併させられ水力開発は一時的に停滞する。

戦後1951年に利根特定地域総合開発計画が策定され利根川水系は多目的ダムに付随した水力発電所が建設されるが、同年電気事業再編成令で日本発送電が分割民営化され、関東配電と合併する形で東京電力が発足。戦前より計画された奥利根・鬼怒川上流の電力開発を進めた。高度経済成長期に入り火力発電が主力となると、これを補完するため揚水発電が注目され1965年には利根川最上流部に混合揚水発電である矢木沢発電所の運転が開始される。1982年(昭和57年)には利根川水系初の100万kW級揚水発電所・玉原発電所が完成。1988年(昭和63年)には鬼怒川流域に今市発電所の運転が開始され、2005年には信濃川水系も利用する神流川発電所の運転が一部開始された。


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