利根川
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こうした河川開発を強力かつ広範囲に実施すべく1950年(昭和25年)、当時の第3次吉田内閣国土総合開発法を制定し日本の22地域[注 15]を対象とした特定地域総合開発計画を推進。利根川水系も対象地域に指定され翌1951年(昭和26年)12月に利根特定地域総合開発計画が閣議決定された[112]。これ以降利根川の河川事業は利根川水系全体にわたり、治水・利水の両面を目的とした総合開発計画に移行する。

利根川水系における河川総合開発は1936年に当時の東京市が主体となって実施した江戸川河水統制事業が最初であり、江戸川水閘門を利用して新規用水を確保するものであった[113]。続いて群馬県が水力発電を主目的として利根川最上流部にダムを建設する群馬県利根川河水統制計画を1937年に着手、これに1940年東京市による東京市第三次水道拡張事業の水源として共同参加したが、戦争により実現には至らなかった[114]。戦後利根川改訂改修計画の策定で治水事業が先行したが、利根特定地域総合開発計画の立案により大規模河川総合開発へと発展した。同計画は改訂改修計画の治水・砂防事業に加え計画ダム群の多目的ダム化、尾瀬原ダム(只見川)から片品川への導水(尾瀬分水)を含む水力発電計画、印旛沼・手賀沼干拓、両総用水建設(1970年)、および国道4号国道6号などの道路網整備を包括した大規模事業であり、この計画において現在首都・東京の最大の水源である矢木沢ダム(利根川)が初登場する[115]徳田球一。彼の提案した利根川総合開発案には後年実現した事業も多い。

なおこの頃利根川の治水や利水について様々な案が提唱された。その一例として日本共産党書記長であった徳田球一による案がある。徳田は1949年に『利根川水系の綜合改革 - 社会主義建設の礎石』という冊子を発表。その中で利根川の惨状は封建徳川帝国主義天皇制の責任であると断じた上で[116]利根川放水路・霞ヶ浦放水路・小貝川付替による下流部治水に加え、江戸川・古利根川・元荒川を大拡張し運河として利用、さらに埼玉県本庄市から東京都立川市まで利根川と荒川・多摩川を連結する大運河を設けて水運と灌漑、上水道工業用水道に利用。房総半島では利根川と房総半島の小河川を繋ぐ運河を千葉県茂原市まで建設して積極的な干拓を図るとした。また山間部には多数のダムを積極的に建設するほかソビエト連邦より大量の木材を輸入して植林を図ることも重要であると論じた[117]。費用については独占資本家や大ヤミ業者から8000億円を徴収することで賄えるとも述べている[118]。この案は建設省によって採用されたものではないが、後年徳田の構想に近似した形で武蔵水路房総導水路が建設されている。
利根川水系水資源開発基本計画矢木沢ダム(利根川)。利根川水系最大の貯水容量を持つ、東京都の水源である。利根大堰取水口。ここから武蔵水路・見沼代用水・埼玉用水路が取水され首都圏へ送水される。

利根特定地域総合開発計画が進められていた当時の日本は朝鮮戦争に伴う特需景気以降経済成長が著しく、高度経済成長に突き進み始める時代だった。経済成長は急激な工業用水道需要の増大を招いたほか、人口も東京を中心に増加が顕著となり上水道需要も次第にひっ迫するに至った。1957年(昭和32年)には東京都の水源として小河内ダムが多摩川に完成するも、需要はさらに増加し遂には1964年(昭和39年)東京砂漠と呼ばれる東京都大渇水が起きる。また農業技術の進歩は耕地拡大を加速させ農業用水の不足を招き、こうした状況下で1958年(昭和33年)利根川下流域を中心とした昭和33年塩害が発生。農地への被害が甚大となった。こうした理由もあり豊富な水量を持つ利根川水系の水利用が緊急の課題となる。

1961年水資源開発促進法が制定され翌1962年(昭和37年)水資源開発公団、現在の独立行政法人水資源機構が発足。利根川と淀川を対象とした水資源広域総合開発が開始された[注 16]。公団は利根川水系水資源開発基本計画を策定して水系の水資源総合開発に着手した。まず矢木沢ダム(1967年)と下久保ダム(1968年)を水源とし中流部に利根大堰を建設(1969年)、利根導水路(武蔵水路・朝霞水路)建設により利根川と荒川を連結して東京都水道局朝霞浄水場へ導水して東京都への水需要を満たす方針とした。これら施設のほか公団は利根川下流に利根川河口堰1971年)を建設し塩害防止と首都圏の水供給を強化するほか、上流部には群馬用水を建設(1969年)し赤城山・榛名山麓の新規開墾を促進させ、中流部では見沼代用水や埼玉用水路の整備による関東中央部の灌漑強化、印旛沼開発による印旛沼干拓(1968年)、房総導水路(1997年)による房総半島中南部への利水を次々と実施した[119][120]。さらに日本第二の湖沼である霞ヶ浦も首都圏の水がめとすべく常陸川水門1963年)を利用してダム化する霞ヶ浦総合開発事業も実施(1996年[121]。草木ダム(1976年)、奈良俣ダム楢俣川1991年)なども完成し首都・東京を中心とした首都圏の治水・利水が強化された。


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